第97話 太陽祭③
(た、太陽の樹って……あれだよね。パパがいつもよく見てる……あれは、瘴気を吸って生きる魔族の亜種みたいなものだって言ってたけど、それと同じ植物が人間界にはあるってことだよ……ね……?)
「そ、そういえば……小さい頃に読んだ絵本でも、王子様がお姫様に『結婚してください』って言うとき、いつも緑の葉っぱがついた何かを渡してた気がする……」
「そりゃそうでしょ。常緑樹だから、魔法が使えない人でも、季節に関係なく緑がついている状態で渡せるのが、風習として広く根付いた背景でしょうね。プロポーズと言えば太陽の樹、くらい有名な文化よ」
”愛”とは理解から一番遠い感情だ、と言い切った父が毎日見上げる植物が、人間界では”愛”を象徴する植物として何万年も愛されているらしい。
おそらく魔王はそんな逸話など全く知る由もないだろうが、一体どんな皮肉だろうか。
「で、でも……まさか……迎えには、来なかったんだよね……?さすがに……」
流石のアリアネルでも、初代正天使が告げたと言う言葉が、その場しのぎだとわかる。
正天使がそのとき何年生きていたのかは知らないが、乙女が十歳前後だったというなら、今のアリアネルと同じくらいだ。
こんな小娘が、泣きながら感情論だけで『離れたくない』と訴えたところで、それを素直に聞いてもらえるなどと思わない。
(だって――パパだったら、絶対そんな我儘、聞いてくれないし……)
ただでさえ、魔王と同じく合理の塊と言って差し支えのない性格と思考回路をしていたという初代正天使なのだ。
その彼が、『聖なる乙女』は人間に紛れて神殿で暮らすのが一番だ、と判断したのだ。
それは情理が介入する余地など全くない、世界を俯瞰することのできる第一位階の天使が下した、絶対の決定事項。
まして、正義を司る天使が下した判断なのだ。正しくないはずがない。
それを、彼自身が覆すことなど、ありえるはずが――
「それが、ちゃんと迎えに来たから、こうして何万年も経っても語り継がれる伝承として残ってて、お祭りも毎年盛り上がるんじゃない」
「えぇえええ!!?う、嘘!!嘘だ!」
「本当よ。嘘教えてどうするのよ」
クスクス、とマナリーアは朗らかに笑って目を剥くアリアネルを見返す。
今時、未就学児ですら、太陽祭の伝説を聞いてこんな素直な反応はしてくれないだろう。とても新鮮な気分だ。
「ま、本人じゃなくて、泣き暮らす乙女を見かねて遣いの天使が迎えに来てくれたってのが定説だけど。その遣いの天使は、その前も後も一切目撃情報がなかったから、正体は不明なんだけど――巷じゃ、”愛”を司る天使じゃないか、って言われてるのよ」
「愛……を……司る……天使」
そんな天使が存在するとしたら、それはきっと、あの氷の仮面をかぶっているのかと錯覚するほどの父が造ったということだ。
”愛”など理解できない、と言っている彼がそんな存在を造るとはどうしても思えず、ひくり、と頬が引き攣ってしまう。
(そもそも天使は人間を見下しているんだから、天使側から人間を愛すなんてありえない……何かメリットがあって、相手から”愛”されるように仕向けたかったとしても、恣意的な人間の操作は、造物主が禁止してるはず――!)
難しい顔で、前提知識との齟齬に苦しむアリアネルのことなど気にせず、ふふっとマナリーアは頬を綻ばせた。
「天使様と人間の、種族を超えた禁断の愛――そう考えるととても、素敵じゃない?」
「い、いや……うん…それは、本当にそうなら素敵だけど……」
もごもご、と口の中で呟く。
マナリーアは、知らないからそんなことが言えるのだ。――魔王に似て造られたと言う天使が、”愛”を理解し、語ることなど、あり得ないのに。
「話が少しそれちゃったけど――まぁ、そういう訳で、太陽祭は、正天使様の初めての顕現を讃える宗教的な側面も無くはないけれど、今じゃ、カップルが愛を祝うお祭りとしての側面が強いのよ」
「愛を……祝う……?」
「そう。瞳の色と同じ実をつける樹を渡した正天使様にあやかって、男性が想い人の女性の瞳と同じ色の花をプレゼントするのが一般的ね」
「!」
やっと、マナリーアが最近、男子生徒たちに花天使の魔法をレクチャーさせられている理由がわかって、アリアネルはハッとする。
「そ、そっか……魔法なら、季節外れのお花も、タネから育てられるから――」
「そういうこと。毎年いい小遣い稼ぎよ。特待クラスの生徒には、魔法のレクチャー代金として小銭をもらえるし、一般クラスの生徒たちには、意中の女性の瞳の色をした花を育てて売ってあげるだけで感謝されるし」
「ぅ……あんまりお金儲けのことばっかり考えるのは、良くない気もするけど」
「いいのよ。私、死んだ後に治天使様の眷属になりたいわけじゃないし」
肩を竦めてあっけらかんと言ってのけるマナリーアは、アリアネルの控えめな提言もどこ吹く風だ。
「まぁ、気になるなら、ゼルカヴィアさんが来るまで図書室にでも行ってみたら?戦争で勝利をもたらしてくれる正天使様は、他国からも人気の高い天使様だし、このお話は世界でも一番有名って言っていいほどのお話だから……絵本なのか、分厚い小説なのか、両方なのかはわからないけど、関連する本はきっとあるわよ」
「本当?……ちょっと気になるし、見てみるね」
真剣に頷くアリアネルの頭には、前提知識との齟齬をどのように解消するか……ということばかりが渦巻いている。
数万年も昔の話なのだと言うなら、きっと、事実が伝承となるにつれて尾ひれはひれがついたり、創作物として脚色されたものがまるで事実のように語られていたり、といった部分があるはずだ。
今も世界的に高い支持を得ている正天使は、魔王の一番の敵だ。その支持の元となっているであろうこの伝承を紐解くことは、きっと魔界にも何かしらの利をもたらすはずだと思えた。
「っていうか――本当に、知らなかったの?」
「え?」
ぶつぶつと口の中で何かを唱えるようにしながら考え込むアリアネルに、呆れた声でマナリーアは語り掛ける。
「だって、『聖なる乙女の伝説』って――アリィの名前の由来になった伝承でしょう?」
一瞬、奇妙な沈黙が降りて――
「――えぇええっ!!?」
アリアネルの何度目かの素っ頓狂な声が、教室中に響いたのだった。
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