第138話 【断章】お兄ちゃんとゼルカヴィア①

「――ル……アリアネル……」

「……ん、ぅ……?」


 遠くで誰かが名前を呼んでいる気がして、アリアネルはぼんやりと意識を浮上させた。

 

「起きなさい、アリアネル。朝の支度をする時間ですよ」

「お兄ちゃん……?」


 聞きなれた柔らかなテノールに、夢の中から問いかけつつゆっくりと眼をこすると、ふっと目の前の人影が呆れたように吐息を漏らした。


「残念。――貴女の"お兄ちゃん"はもういませんよ」

「へ?……あっ、ゼル……!」


 やっと意識がはっきりして、驚きとともに声を漏らす。

 目の前にいるのは、昨夜、優しく添い寝で寝かしつけてくれた金髪の青年ではなく、見慣れた宵闇の髪をした青年だった。


「おはようございます、アリアネル」

「お、おはよう……」


(な……なんで、ゼルまで添い寝してるの……!?)


 昨夜見た”影”と同じ寝間着を身につけ、いつも結んでいる長髪を解いた完全に部屋でくつろぐスタイルで、肘枕の状態で寝顔を覗き込まれれば、脳みそは寝起きということを差し引いても混乱してしまう。


「よく眠れましたか?」

「う、うん……」


 優し気に緩むいつもの深緑の瞳に、トレードマークの眼鏡はかかっていない。ゼルカヴィアも寝起きの体制なのだから当然と言えば当然だが、妙に色気を感じる青年の寝起き姿にドキドキしながら、アリアネルはササッと髪を撫でつけて整える。


「い、いつ帰って来たの……?」

「夜明けごろですかね。帰ってきたら、人のベッドでいい歳をした子供が”影”と一緒になって甘えるように眠っているので驚きましたよ」

「ぅ゛っ……」

「経緯については、融合すればわかるとはいえ……まったく、いつまでも甘ったれなお子様ですね」

「ぅぅぅ……」


 昨夜、『お姫様』と言って成長を喜んでくれたのと同じ声が、呆れて小馬鹿にした口調で『お子様』などと呼んでくるので、いたたまれない。


「私も聊か疲れていましたし、時間もありましたから、仮眠をとったのですよ。ここは私の部屋なのですから、別にいいでしょう?」

「ハイ……」


 どうやら、何故ゼルカヴィアまで添い寝をしていたのか、という疑問は顔に出てしまっていたらしい。見透かしたように経緯を説明され、小さくなりながら頷く。

 ふ、と口の端に笑みを浮かべた後、ゼルカヴィアもゆっくりと身体を起こした。


「久しぶりに、貴女の寝顔を見ました。眠い時に体温が高くなるのは昔と変わらないのですね」

「それは、赤ちゃんの時のことでしょ……!?」

「今も変わりませんでしたよ」


 クス、と吐息で笑う仕草は、昨日の青年の嗤い方とよく似ている。

 その横顔を見ながら、アリアネルはふと思いついたことを口にした。


「ゼルって、眼鏡かけてないと、意外と綺麗な顔してるよね」

「……はい?」


 鬱陶しそうに長髪をかき上げたゼルカヴィアは、怪訝な顔でアリアネルを振り返る。

 いつも眼鏡の奥にある深緑の瞳は、こうして至近距離でガラスを隔てずに覗き込めば、くっきりとした綺麗な二重瞼の印象的なまなざしをしていた。ゆるく自然にカーブした睫毛は、男性にしては長く、随分と整った顔立ちをしている。


「お兄ちゃんは、髪型も色も全部違うから、印象が違いすぎると思ってたけど――こうやってゆっくり見てみると、顔の造りは、眼鏡をしてないゼルとほとんど同じなんだね」

「はぁ……まぁ、”影”ですから。あれは私の分身のような男ですよ。諸事情で、髪の色や瞳の色は変わってしまうのですが、それ以外の外見や性格、声音も全て、基本的には殆ど元の”ゼルカヴィア”をトレースしています」

「そっか。……う~ん。こうしてみると、ゼルとお兄ちゃんって、意外と女の人みたいな顔なのかな」

「……はい……?」


 今度は、明らかにいつものテノールが低くなる。寝起きの不機嫌とは違う低さだろう。

 なかなか聞くことのない低音ボイスに、ハッとアリアネルは己の失言に気づき、慌てて言い募る。


「ほ、ほら!だって、パパは、すごく”男前”!っていう感じの顔でしょ?確かに綺麗な造りをしてるんだけど、切れ長の瞳とか、スッと通った鼻筋とか、ぐっと出た喉仏とか――すごく、"男の人"って感じの顔じゃない?」

「私は違う、と?」

「う、うぅん……ごめん、気にしてた?」


 正直、ゼルカヴィアの外見をまじまじと客観的に観察したことなど無かったのだ。当たり前に身近な存在過ぎて、その美醜について考えたことも無ければ、特徴を一つ一つ注視したこともない。

 だが、初めて気づいた事実が意外過ぎて、つい口を突いて出てしまったのだ。


「パパもそうだけど、ゼルは一段となんていうか……女の人みたいなきめの細やかな肌と言うか」

「……はぁ」

「いっつも眼鏡をかけてるし、胡散臭い笑顔浮かべてる時も多いから、あんまり瞳の印象はなかったんだけど、こうやってよくよく見ると、意外と大きくてぱっちりした目だよね。睫毛も長くて、全体的にすごく小顔だし……」


 ぎゅっとゼルカヴィアの眉根が不機嫌そうに寄ったのを見て、アリアネルは慌てて更に言い募る。


「あっ、でも、可愛いとかそういう感じじゃないよ!?なんていうか……そう!すんごい美人っていうか、中性的っていうか――その、ちゃんと格好いいって!うん!学園に迎えに来てくれるときのゼルを見ても、皆、格好いい執事さんだねって言ってるよ!」

「…………」

「ほ……ほほほら!パパって、すごく面食いでしょ!?そのパパが、四六時中傍に置くのを許してるんだよ!?ってことは、絶対にイケメンってことだって!だから自信もって大丈夫だよ!ね!ねっ!?」


 言葉を重ねてもむすっとした表情は全く晴れる気配がなく、アリアネルは自分の更なる失言に気付いたが、墓穴を掘るばかりだ。

 ゼルカヴィアは重いため息を吐きながら、サイドチェストの上に置いてあった眼鏡を手に取り、無言で定位置へと掛けてしまう。下らないやり取りはこれで終わりだ、とでも言いたげに。


「ぁぅ……ごめんなさい」

「別に、構いませんよ。……もとよりこの眼鏡も、この顔の印象を薄れさせたくて掛け始めたくらいでしたから」

「えっ?ゼル、目が悪いわけじゃないの!?」


 十三年越しに知る事実を聞いて、思わず驚いて顔を二度見すると、呆れたような顔が返ってきた。

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