第312話 ”幸せ”な日々②

 それから、どれくらいの時間が流れたのかは、わからない。

 幸せな日々は、一瞬で過ぎ去っていく。

 魔族を生み出すことにも慣れてきたのか、魔王は次々と新たな個体を生み出しては、休憩の度に太陽の樹を訪れた。


「今日は、魔族たちが持って帰って来てくれた、人間界の本を読んでいたの。どうやら、ラミキアとフェネガがお仕事をしているお屋敷で、奥様がご懐妊されたようで――お産や育児について、使用人も学びなさいって言われているみたい。知らないことがいっぱいで、とっても興味深いの」


 ラミキアとフェネガとは、炎と水の魔族の名だ。どうやら、現在は裕福な家の使用人として紛れ込んでいるらしい。


「なるほど。つくづく、人間とは、不思議な生き物だ。昔に比べれば、医療も発達したと聞くが、子供を産むのは、時に命がけだと聞く。それも、産んだ個体の能力は愚か、性別すら不明のまま産み落とすのだろう。命を造る際、一つの異常イレギュラーも無いように入念に構築する俺から見れば、そんな博打のような所業をよくも繰り返すものだと感心する」

「うぅん……貴方から見たら、そうなのかもしれないけど――わからないってことは、そんなに悪いものでもないと思うわ」


 感覚が違う魔王の言葉に苦笑しながら、手にした本の表紙を撫でて、少女――と呼ぶにはもうふさわしくない、大人の女性となったリアは苦笑する。


「”未知”は”可能性”だと思うの」

「可能性……?」

「えぇ。未来と言う名の大きな純白のキャンバスが広がっているようなものよ。どんな色を載せても、何を描いても、自由なの。出来上がるのは、風景画かもしれない。人物画かもしれない。上手いか下手かもわからない。誰も完成図を予測なんて出来ないけれど――その代わり、無数の可能性が存在している。それが、人間の、命の営み」

「ふむ……」

「貴方が言うところの、『異常イレギュラー』すら楽しむのが、人間なのよ」

「……全く以て理解出来ん」


 鼻の頭に皺を寄せて呻く美丈夫に、クスクスと軽やかな笑い声が響く。

 

「天使の中にも、異常イレギュラーな存在はいたって、いつか言っていたでしょう?造物主以外を愛してしまった存在――彼らの中に、愛する相手との子を願った者はいなかったのかしら」

「そんな個体はいない。……いや、いた、のかもしれない。……が、そんなことは許されるはずがない。天使同士であれ、天使と人間であれ――間に子を設けるなど、度し難いことだ。不幸になることは確実だ。そんなものが存在したならば、俺は親である天使共々、命を奪う必要がある」

「あら。……子供を作ること自体は出来るの?」


 意外だ、とでも言うようにリアは目を見開く。

 魔王は、そのあり得ない発想を少し考えてから、ぎゅっと眉根を寄せた。


「俺たち天使は強度の差はあれど、根幹の作りは概ね人間と変わりがない。人間のような生殖行為で増えることがないのは、性欲を付与されていない以上、そもそもそうした欲求が湧きおこらないからだ。とはいえ、人と同じく、子を成すために必要な器官は備わっている以上、人と同じ生殖行為を行えば、子供が出来る可能性は――無いとは言えない。前例がなく、どんな個体が生まれるかなど、わかりはしないが」

「まぁ……」

「天使同士の子であっても、産まれる個体が天使になるかはわからん。人と天使の子など、なお予想もつかない。魔法は使えるのか否か。寿命は人と天使どちらに近いのか。人と天使が交わった結果、突然変異のようにして竜や魔族が生まれた――と言われても、俺は信じる。それくらいに、未知の概念だ。考えるだけ馬鹿馬鹿しい。生まれる子供は、確実に不幸になるだろう」

「そうかしら」


 リアは、首を傾げて考える。

 

「どんな個体が生まれてくるかわからない――なんて、人間にとっては当たり前の感覚だもの。そんな不安よりも、愛する人との間に出来た命だと思えば、愛しさの方が勝るんじゃないかしら。そうして愛されて生まれて育った命は、不幸とは限らないんじゃない?」

「馬鹿な――」

「未知は、可能性――そう言ったでしょう?」


 朗らかに笑いながら言われて、魔王は再び鼻の頭に皺を刻む。長年、天使として生きて来た魔王には理解しがたい考えだったが、毎度、リアの発想の柔軟性には舌を巻く。


「貴方は、自分で意図して好きな時に好きな命を生み出せてしまうから、ピンとこないのかもしれないけれど……きっと、『役割』を付与して生み出す命と、愛の結晶として生まれた自分の血を分けた子供では、全く違うものよ。だから人間は、古来からずっと、命を懸けて子供を産み、育てるんだわ」

「そういうものか」

「そういうものよ、きっと」


 全能の造物主の次に優秀な頭脳を持つ魔王を相手に、ふふん、と得意げに笑って言い聞かせるような物言いが出来るのは、世界広しと言えど、彼女だけだろう。

 嘆息するように小さく鼻で息を吐いて、魔王はゆっくりと愛しい女の頭を抱き寄せる。


「ラミキアとフェネガの話から、随分と逸れた。体調は問題ないか」

「えぇ。こうして、貴方の傍にいるときは、とても息がしやすいわ」


 元来、目が潰れると錯覚するほどの魂の輝きを持つリアだ。一度純潔を失ったことに加え、造物主が気を利かせたこともあるのだろう。本来であれば、濃い瘴気が渦巻く魔界では、息苦しさに喘ぎ呼吸もままならないはずだったが、普通に暮らしていくには問題がない。時折、息苦しさを感じることもあるが、そんな時はこうして魔王の傍に寄りかかりさえすれば、彼の身体から漏れ出る聖気を感じて、安らかな気持ちになれた。

 ほっと瞳を閉じて、厚い胸板に身体を預ける。

 しっかりとリアの身体を支えてくれる腕は逞しくて、永遠にこうしていたい気持ちに駆られる。


(どんなに願っても、叶わない願いだけれど――)


 魔王の身体から溢れる心地よい聖気に身をゆだねながら、リアは考える。

 とても美しくて、優しい、誰よりも孤独な、王様。

 いつか、自分が死んでしまったら、彼はいったいどうなってしまうのだろう。

 

 魔族達との一線を画した関係を見ていると、まだ見ぬ未来が心配になってしまう。


(この人は、私が死んだ後も、誰かを愛することが、出来るのかしら)


 その昔、”愛”も”幸せ”も理解しがたい考えだと言っていたことを思い出す。

 こうしてリアと共に太陽の樹の下で語らう時間を、”幸せ”だと思ってくれていることだろう。リアのことも”愛している”などと口にしてくれる以上、今は、彼の中で”愛”がどんなものか、理解できているはずだ。


 だが、自分が死んだあと――また、彼は、”愛”も”幸せ”も理解できない、といって心を閉ざしてしまわないだろうか。


 誰よりも優しい彼が、心を許すことが出来る存在は、生まれるのだろうか。


(誰よりも『役割』に忠実であらんとする人だもの。一度禁忌を犯してしまったこと、きっと、後悔しているはず。私がいるうちは、私のために生きてくれると言うけれど――きっと、私が死んだら、また、私と出逢う前のように、ただ毎日、『役割』をこなすためだけに、死んだような眼をして生きていくに違いないわ)


 瞼を押し上げ、長身を下から見上げる。

 美しい澄み切った蒼い瞳は、愛しいものを腕に抱えて、幸せそうに緩んでいた。


 この瞳が、出逢った頃のように、温度を失くして醒めきってしまうところなど――想像したくない。


 リアは、この男の優しい穏やかなまなざしが、何よりも大好きだから――


「――そうだわ」

「……?」


 はた、と思いついて、声を上げたリアに、美丈夫は視線だけで疑問を投げる。


 ガバッと身体を起こして、良い思い付きに瞳を輝かせ、リアは口を開いた。


「――子供を作りましょう!」


「――――――……は……?」


 魔王は、有史以来初めてといっても良いくらいの、間抜けな声を上げていた。

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