第20話 おでかけ④
「家族、が……恋しいのですか?」
互いに手を繋ぎ、通りを離れていく仲の良さそうな三人家族を見つめたまま、弱々しい握力で、縋るようにゼルカヴィアの手を握り立ち尽くすアリアネルに、そっと問いかける。
脳裏に過るのは、アリアネルが“かぞく”と題名をつけた絵。
真っ黒に塗りつぶされた丸の横にもう一つ――紫色の丸があった。
あの日、アリアネルが身につけていたワンピースと同じ色の、それが何を指すのか――ゼルカヴィアはようやく、彼女の意図を理解していた。
「わかんない……でも、アリィにも“パパ”がいるなら、会いたい」
「ふむ。……それは困りましたね」
ゼルカヴィアは口の中でうめく。
良かれと思って、おとぎ話の絵本をたくさん与えすぎた弊害かもしれない。
同世代に比べれば幾分か聡い少女は知識をつけ――親や家族といった概念を知ってしまったらしい。
「どうして、会ってみたいのですか?」
「だって――“かぞく”は、いつも、ずっと、アリィと一緒にいてくれるんでしょ?」
「……」
「毎日、アリィのこと、大好きだよって言って、抱きしめて、キスをしてくれるんでしょ?いっぱい、いっぱい、お話をしてくれて、いろんなところに連れて行ってくれるんでしょ?」
おとぎ話の中に出てくる家族像から得た知識を披露され、ゼルカヴィアは返答に窮する。確かに、直近で読み聞かせていたおとぎ話は、血のつながった家族は優しく暖かな家庭で、血のつながっていない家族は冷たい、という描写が多かった。
(とはいえ……仮に、この子の両親が生きていたとしても、彼女が夢見ているように彼女を愛してくれたかどうかは怪しいところですが)
雪がちらつく地獄のような村で、老人のぶるぶる震える手に乗せられた乳飲み子を差し出されたあの日のことは、昨日のように思い出せる。
あのとき――誰一人、老人を止めようとする者はいなかった。
もしも、アリアネルが抱いている幻想通りの両親があの場にいたとしたら、半狂乱になって暴れてでも、アリアネルを取り返そうとしたはずだろう。
誰もが、魔族と魔王の恐怖に屈して、己の命可愛さに、無垢な赤子を人身御供に差し出すことに異を唱えることすらなかった。
その現実を詳らかにアリアネルに伝え、幼い彼女の幻想を無惨に打ち破り、二度とこんな面倒なことを言い出させないようにするのは簡単だが、不安そうに微かに震える紅葉のような小さな手を見ると、どうにもそんな気持ちがしぼんでいく。
(勿論、我々がワトレク村に赴いた時点で、既に疫病や魔族の手によって、彼女の家族とやらが全員死亡していた可能性も無くはないですが……)
だとしても、魔族の“食事”――それも、過剰な摂取を目的とした暴走――のせいで、アリアネルの両親が死亡したことに変わりはない。
その事実を伝えたら、アリアネルはどんな反応をするだろうか。
信じ切っていたはずのゼルカヴィアが――仲良くなりたいと言っていたロォヌをはじめとする魔族たちが――本当は、恋しい家族を奪った張本人だと知ったとしたら――
「血のつながった家族、というだけでは、今、貴女が思っているような日常を与えてくれる保証はありませんよ」
結局ゼルカヴィアは、アリアネルの問いかけに対して控えめな回答をするに留めた。
そのまま嘆息して腰を屈めると、ひょいっと幼女の小柄な身体を抱き上げる。
「そんな、今にも泣きそうな顔をして……可愛らしい顔が台無しです。不細工になっていますよ。目立たなくて丁度良いですが」
「ぅ……ぜるの、いじわる……」
ぎゅっと眉根を寄せて、アリアネルはいつものようにゼルカヴィアの首に腕を回す。
落ちないように――唯一の頼れる存在へと、縋りつくように。
「下らない心配はその辺にしておきなさい。……貴女が、家族にしてほしいと願っていることも、別に家族であろうとなかろうと、叶えることが出来ます。血のつながりの有無はもちろん、家族という形態をとっているか否かすら、関係がないのですから」
「……?」
ぽんぽん、と帽子の上から小さな頭を撫でて言い聞かせて、颯爽と歩き出す。人通りの多い表通りは、家族連れを目にすることも多いだろう。
これ以上、アリアネルの愛らしい顔が哀し気に曇るのを見たくなくて、いつも通りの涼しい顔で、ゼルカヴィアは先を急いだ。
肩に顎を乗せるようにしながら、何事かを一生懸命考えていたアリアネルは、街を出る直前になって、ハッ……と小さく息を飲んだ。
「もしかして――ぜるが、アリィの、”パパ”!?」
「いえそれは断じて違います」
ぱぁっと明るい顔で覗き込まれ、鉄壁の無表情で拒否する。
先ほどの店員と言い、どうして誰も彼も、ゼルカヴィアをアリアネルの父親にしたがるのか。
「違うの?だって、ぜるは、アリィにいっぱいお話をして、一緒におでかけしてくれるよ?抱きしめて、キスをして、大好きって言ってくれるよ?」
「大好きなどと言った記憶は――いえ、まぁ、何でもいいんですがとにかく違います。勝手に人を父親にしないでください」
キラキラと、自分は天才的な思い付きをしたのだと言わんばかりに瞳を輝かせるアリアネルにげんなりとため息を吐く。その天使の笑顔には、既にどこにも涙の気配は見当たらない。
「いいですか、アリアネル。私たち魔族は、人間のように家族というものを形成しません」
「……???」
「そもそも、人間と違って、生殖行為によって命を生み出したりしませんから、必要がないのです。恋愛も結婚も、魔界にはもちろん、天界にだって存在しません。性欲を司る魔族は何体かいますが、あれはあくまで人間から瘴気を集めるためのものでしかなく、同族を相手に子を成すため行為に及ぶことはありません。あくまで人間を犯して孕ませ――」
「?????」
「――いえ、すみません。忘れてください。とにかく、ですね」
少し教育上早すぎる知識を授けてしまいそうになり、ぐるぐると混乱して目を回すアリアネルに我に返って気を取り直す。
ごほん、とわざとらしく咳払いをした。
「我々魔族には、父とか母とかといった概念は理解しかねる存在なのです。”情”を持つことはあっても、それは同胞――同僚や、部下に対する感情でしかありません。いわばビジネスの関係。貴女が思い描く”家族”のイメージとは全く異なるものなのですよ」
「??……じゃあ、ぜるにも、パパとママはいないの?」
どうにも、幼子にこの概念を理解させるのは難しいらしい。
しつこく家族という形態について尋ねるアリアネルに、ゼルカヴィアは返答に窮する。
「そうですね……しいて言うなら、魔王様が、我らにとっての”父”でしょうか」
観念して、いったんアリアネルの考えに合わせて解説しようと試みる。
「まおう、さま……いつも、ぜるとお話してる、低い声のひと?」
「そうです」
正天使の加護を乳飲み子の段階で賜るほどのアリアネルは、人間にしては大きすぎる魔力を持っているのだろう。
姿を見たことがない『まおうさま』という存在に、アリアネルは想いを馳せる。
「どんな、ひと?」
「難しい質問ですね……とにかく素晴らしい御方です。魔界の頂点に立つに相応しい、至高の存在」
「しこう……」
「偉大な御方、ということです。誰も彼もが、あの方の信頼を得たいと――特別な寵愛を賜る存在になりたいと躍起になるのですが、天界にも魔界にも、それを成し得た人物は古今東西、誰一人として存在しませんでした。自分にも、同胞にも非常に厳しい御方ですが――よく知っていくと、あれでいて情が深く、お優しい御方なのですよ」
「……つまり、ぜるのパパは、優しいパパなの?」
「パ――……その呼称は、酷く違和感を伴いますが」
玉座に腰掛け、ぞっとするほど美しい面をピクリともさせず、冷酷な瞳で臣下を見下ろす普段の王の姿しか思い描けないゼルカヴィアは、彼に対して”パパ”という表現をしてのけるアリアネルの感覚にぶるり、と背筋を震わす。
「私の”パパ”、ではなく――魔族すべての、”パパ”なのです。……いえ。魔族だけではなく、天使たちにとっても、”パパ”ですね」
魔王が追放されて以降、天界には、新しく無から天使が作り出されることはない。
仕方なく、天使たちは、聖気を多く生み出せる魂を持ったまま死んだ人間を己の眷属として迎えることで、何とか勢力を保っているが、純正の天使の数は魔王が天界にいた頃と比べて、だいぶ減ってしまっていることだろう。
「『まおうさま』は、みんなの、”パパ”なの――?」
「そうです。返す返すも、素晴らしい御方ですね」
感心したように竜胆の瞳を輝かせるアリアネルに、苦笑しながら頷く。
「じゃぁ――じゃあ、アリィの“パパ”にもなってくれるかな――!?」
「そ、れは……どう、でしょう、ね……」
期待を隠し切れぬ弾んだ声で言われ、ひくっ……と頬を引き攣らせてゼルカヴィアはもごもごと口の中で呻く。
さすが、図太さに定評のあるアリアネル。魔族には思いもつかない、不敬極まりない考えだ。幼女の発想の柔軟さに舌を巻く。
だが、今ここで「あるわけがない」と否定してしまえば――せっかくキラキラと輝いているこの瞳が、また、哀し気な色に沈んでしまうかもしれない。
伏し目がちに、震える手で、声で、寂しそうに肩を落とす姿を、今は少し、見たくない。
「もし会えたら、パパ、って呼んでもいいかな!?」
「そ、れは……いえ、えぇと……返事をしてくださるとは思えませんが、度胸があって良いと思います」
(まぁ……この子が、魔王様とお会いする機会など、しばらくはないでしょうし)
魔王と直接やり取りをしなければならない用事がある時は、アリアネルには部屋で留守番をさせておき、ゼルカヴィアの方から赴く。相手は王であり、自分は臣下なのだから、当たり前だ。
故に、ゼルカヴィアが計らぬ限り、魔王とアリアネルが偶然に出逢うことなど、これからもきっとあり得ないだろう。
勿論、アリアネルを養育している大目的を考えれば、いつまでもこのままというわけにもいかない。だが、それでももう少し、教養を積んで物事の分別がつくようになり、戦士としての素養を見出して、アリアネルがある程度有用だと思えるようになったタイミングで、彼女を紹介すればいいとゼルカヴィアは考えていた。
有用でない段階でアリアネルを紹介などしたら――あの、冷たい目をした美しい王者に、どこまでも冷酷に、無惨に、斬り捨てられてしまうかもしれないから。
「きっと、返事してくれるよ!だって――やさしい、パパなんでしょ?」
「……ま、まぁ……そう、です……ね……」
そのポジティブさは、天使の加護を受けているせいなのか。ゼルカヴィアは引き攣る頬で歯切れ悪く呻く。
どうせ逢う機会など無いのだろう――ではなく、大きくなるまでは、何があっても遭遇させてはいけない、と心に強く誓った。
最初に転移門を開いた人気のない森の中に入っていきながら、はしゃいでいるアリアネルの横顔を見て、ふ、と口の端に笑みが漏れる。
「ぜる……?」
「いえ。……あの御方が、幼子に親し気に父と呼びかけられて、返事をする光景を思い浮かべて――ふふ……一度でいいから、見てみたいですね。そんな、夢みたいな光景を」
生い茂る緑の隙間から降り注ぐ木漏れ日に目を眇めながら、ゼルカヴィアは静かに笑う。
「だいじょうぶだよ!――やさしい、”パパ”だもん!」
「そうですね。楽しみにしていますよ」
そんな未来が来るはずがないとわかっていながら、嬉しそうに笑うアリアネルに同調してみせる。
今が穏やかなら、いい。
どうせ、十五になれば、少女に待つ運命は否応なく過酷なものとなる。
それまでの数年くらい――魔族にとっては瞬きするほどの一瞬に過ぎぬその時間くらい、少女の太陽のように眩しい笑顔は、なるべく曇らずにいてほしい。
そんなことを願いながら、そっとアリアネルを優しく抱きしめる。
――まさか、自分が戯れに口にした『夢みたいな光景』がうっかり叶ってしまうなどとは、夢にも思わずに。
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