第19話 おでかけ③
「ありがとうございました。――お子様用ですか?可愛らしい娘さんですね」
「いえ。私の子供ではないのですが」
人間界に到着してからずっと――街に到着してからもしばらく――はしゃぎ続けていたアリアネルは、案の定、店に着く前に体力の限界を迎えたらしい。
会計を済ませる最中、若い店員がゼルカヴィアの腕の中でぐっすりと眠ってしまったアリアネルの顔を覗き込みながら告げて来た言葉を律儀に否定しながら、釣り銭を受け取る。
石ころを金貨へと変えることができる黄金を司る上級魔族は、人間同士を手っ取り早く争わせ、効率よく瘴気を生み出すために魔王に造り出されたはずなのに、まさか、己が生み出した金貨が、こんなふうに人間界の適正な貨幣取引に使われるなどとは、夢にも思っていなかっただろう。
「あら。じゃあ――」
「それでは、私たちはこれで」
若い店員の好奇心旺盛な視線を鉄壁の笑顔で跳ね返し、ゼルカヴィアは画材屋を後にする。
外に出た瞬間、眩しい陽光が視界を焼いて、煩わしげに目を眇めた。
「相変わらず、ここは随分と眩しい世界ですね……」
「ん……ぜる……?」
「おや。お目覚めですか、アリアネル」
眩しさのせいか、たっぷり眠ったせいか、目を擦りながら意識を覚醒させた少女に声をかけて、地面に下ろしてやる。帽子をしっかりと目深に被せてから、その手を取った。
「買い物は終わりましたよ。帰りましょうか」
「ぅん……」
ゴシゴシと目を擦りながら甘えた声を出すのは、まだ眠たいせいだろう。
そもそもアリアネルは、幼子ということを差し引いても、毎日ほとんどを部屋の中で過ごしているという時点で、同世代の子供より体力がないはずだ。
(今後は、定期的に人間界に連れて来ましょうか……人気のない山奥や森林であれば、瘴気も聖気も関係なく、十分な運動量を担保できるでしょうし)
花や小動物に心をときめかせていた少女の顔を思い出す。単に運動させるよりも、心が満たされることだろう。
早急に、謎の抽象画を生み出す精神状態から回復してくれなくては困る。
「手を離してはダメですよ」
「うん……」
まだ眠そうなアリアネルの手を引いて、街を歩く。
せっかく瘴気に慣れてきたアリアネルの状況を考え、瘴気が濃い街を選んだせいだろう。
表通りといえどもどこかどんよりとした空気が停滞し、道ゆく人々からは、コソコソと悪意の混じった噂話が寂れた風に混じって絶えず聴こえてくる。
「コルレア家はこれからどうなるんだ?大人はみんな賊に殺されて、唯一の生き残りは、小さいガキ一人なんだろ?」
「あぁ……子供は、父親に引き取られるんじゃないか、ってもっぱらの噂だよ。ここらじゃ一番の名家だったってのに、まさか、あのお綺麗なお嬢様に隠し子とはねぇ……ここ数年、あまり顔を見なくなったなと思ってたんだよ。巷じゃ病弱だって噂だったが――子供をこさえて引きこもってるなんて、思いもしなかったな」
(また、この話ですか……よほど、この街では影響力の大きな家だったようでしょうか。あるいは、こんな田舎では、一つの屋敷で起きた一家惨殺事件程度が、世紀の大事件になりうるということでしょうかね)
街に入ってから何度も耳にした噂話に、ゼルカヴィアは心の中で嘆息する。
街に渦巻く瘴気が濃いために、アリアネルを伴う行き先として選んだのだが、瘴気の発生源はというと、どうやら街一番の富豪であり旧家でもあったコルレア家とやらが、賊による襲撃で惨殺された事件が起きたことに起因しているらしい。
アリアネルを拾うことになったワトレク村の惨状を思えば、鼻で笑ってしまうほどの事象だが、どうやらこの街では一大事として住民の不安を煽っているらしい。街を優しくふんわりと包み込むように、薄い瘴気の膜が遍く広がっている。
「お嬢様のお相手は、あの“龍殺し”のルーゲル一族の当主だろう?蝶よ花よと育ててきた才女が、妻子ある男を相手に、結婚もせずに関係を持って孕んだともなれば、そりゃ、コルレアとしては醜聞騒ぎの種だ。存在ごと隠したくなるのも無理はないさ。引きこもってた、っていうよりも、想い合う二人を引き裂くために、コルレア一族総出で幽閉してた、って感じじゃないのか?そうじゃなきゃ、父親も、すでに自分の家族がいるってのに、わざわざトラブルの種を引き取るなんて言い出さないだろ」
「なるほど。一応、そこに愛があったのなら、救いだな。お嬢様が引っ込んだ時期から考えれば、子供は三歳か四歳くらいのはずだろう。うちの子供もそれくらいなんだ。いくら加護付きの子供だって言っても、流石に、ちょっとなぁ――」
(――加護付き……?)
聞き流していた噂話の中に、新しい情報が混じったのを耳聡く聞きつけ、ゼルカヴィアは足を止める。
「ぜる……?」
アリアネルが不思議そうに長身の魔族を振り仰ぐ。
「いえ。すみません、何でも――」
緩く頭を振って、安心させるように笑みを浮かべて、再び歩き出そうとした時だった。
「パパ!」
二人の後ろから、元気な声が響いて、アリアネルのすぐ脇を駆け抜けていく子供がいた。
年のころなら、アリアネルと同じくらいか。あどけない笑顔で真っ直ぐに噂話をしていた男の一人へと駆け寄り、その腰へと勢いよく飛びついた。
「パパ!早く行こうよ!あっちでママが待ってるよ!」
「あぁ、すまない、マシュー。すぐに行くよ」
大人同士でゴシップに花を咲かせていた男は、すぐに子供用に笑顔を作り、小さな頭を撫でてやる。
知人の男に軽く手を挙げて別れを告げ、マシューと呼ばれた子供をひょいと抱き上げると、男は通りの向こうで待っている腹が少し大きくなり始めた若い妊婦の元へと歩き出した。
「――――……」
「アリアネル?どうしましたか?」
じぃっとその父子を眺めたまま立ち尽くす少女に、ゼルカヴィアは怪訝な顔で語りかける。
「……ぜる」
「はい。何ですか?」
「――“パパ”って……なぁに……?」
ぎゅ……と馴染みの魔族の手を握りしめて、微かに震える声で問いかける。
ハイハイと適当にあしらうことは許されない空気が、そこにあった。
「……父親、のことですよ。主に、父親本人に呼びかける時に使われる呼称です」
静かに、冷静に、答えを返す。
アリアネルは、きゅぅっと小さな手にさらに力を込めた。
「じゃあ……アリィの“パパ”は――どこに、いるの……?」
「――――」
ゼルカヴィアは、そっと口を閉ざす。
答えることは、簡単だ。何をどう言ったところで事実は何も変わらない。
すでにアリアネルの両親はこの世にはおらず――その命を奪ったのは、他でもない、ゼルカヴィアなのだ。
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