第27話 正天使②

 ぱちぱち、と竜胆の瞳が何度か瞬かれる。どうやら、ゼルカヴィアの発言の意図を脳内で咀嚼しているらしい。


「つまり、二代目正天使は――パパのことが嫌い、ってこと?」

「その通り。ですが、魔界に堕ちたことで魔王様は天界との繋がりを無くしました。重い罪ではありましたが、その分、天界とは無関係の生活を営むことにもなり――要は、正天使の前に現れることも無くなった、ということでした」

「もう、お互いに会わなくて良くなった、ってこと?」

「そうです。……互いに関わることの無くなった世界で、両者は折り合いをつけて、別軸から世界を支えていくのだと、そう思われていた矢先――『勇者』などという小賢しい抜け穴をわざわざ作ってまで、魔界に攻め入ってきたのは、正天使の方です」

「えっ!なんで!?」


 アリアネルは驚いて尋ねる。

 ゼルカヴィアは、憎々しげに頬を歪め、呻くように言葉をつづけた。


「命を司る魔王様のみに許された力を、奪い取ろうとしたからですよ」

「奪い……とる?」


 そんなことが可能なのか――というアリアネルの問いに、こくり、とゼルカヴィアは一つ頷く。


「魔王様が魔界に堕とされ、自然生殖の出来ない天使は緩やかに数を減らし衰退するしかありませんでした。ですが、天使や魔族が司る能力は、その個体特有のものです。……その個体が、死ぬまでは」

「ぇ――」


 アリアネルは小さく息を呑んだ。


「魔王様は、魔族の王ではありますが、その本質は、今も命天使としての存在そのままです。命を司る力を保有したまま、翼をもがれて魔界へ堕とされただけの天使――つまり、魔王様が死ぬまでは、天界に二代目の命天使が生まれることはありません」


 一度言葉を切り、苦い顔をしてからゼルカヴィアは言葉をつづけた。


「魔王様を失った天界で、天使たちが数を増やすには、加護付きだった人間が、加護を失った十五歳以降も清らかな魂を持ったまま死ぬことが出来た時――天界からの褒美として死後の魂を天界へと招き、加護を与えた天使の眷属として迎える方法しかありません。そして、迎えた眷属が何を司るのかは、加護をつけた天使に決定権があります」

「そう……なんだ」

「つまり、魔王様を亡き者にさえ出来れば、その後、眷属として迎えた者に“二代目命天使”の称号を与えることが出来ます。そうすれば、天界は自在に純正の天使を生み出せる上に、眷属は、基本的にはかつて加護を与えられた天使の言いなりですからね。実質的には、二代目命天使を眷属に持つ天使が、天界における生殺与奪の権理を掌握したも同然です。逆らえるものはいなくなるでしょうし――天使と違って、魔族は眷属を迎える制度などありませんから、魔王様がいなくなれば我ら魔族は滅びに向かって一直線です。なおのこと、都合が良いのでしょうね」


 だから、正天使は執拗に魔王の命を付け狙う。

 唯一自分よりも力を持っている魔王を廃して脅威を取り除くと同時に、天界を掌握し、我が物にするために。


「……ですが、この戦略には穴もあります」

「穴?」

「はい。……人間を天使の眷属として迎え入れる方法は酷く不確実性が高いのですよ。一般的に、人間が八十年ほど生きると仮定しても、十五で加護が無くなった後、六十五年。その間、誠実に、清く正しく、魂の潔白を保ったまま生き続けるなど――愚かな人間には、難しい所業です」

「そ、う……なの?」

「そうです。……子を成すことすらできませんしね」

「えっっ!!?」


 二度見するアリアネルの小さな頭を撫でて苦笑する。

 “欲”というものは、瘴気との相性が良い。

 強欲も、色欲も、何もかも――人間が囚われやすいそれらは、簡単に魂を汚し、瘴気を発生させる。

 男であれば童貞のまま、女であれば処女のまま、生を終えなければ、眷属にはなれない――となれば、その難しさはすぐに理解出来るだろう。


(自分から行為を望まなかったとしても――極端な話、事件に巻き込まれて強姦されただけだとしても、資格は失われるわけですしね。色欲を司る魔族にちょっかいを出されてもアウトですし)


 子供の情操教育のため、アリアネルに詳細に関して教えることは控えておくが、そうした背景のため、天使の眷属になる存在は非常に稀有だ。

 種を残したいという生物としての根源的な欲求を理性でねじ伏せ、常日頃から禁欲的かつ誠実に振る舞い、不幸な事件に巻き込まれぬように六十五年ほどを過ごすなど――ほぼ不可能と言っても良い。

 だからこそ、人間の身でありながら天界に召し上げられるという僥倖が価値を持つのだ。


「勇者を使うのは、その辺りもあるのでしょう。加護を失った十五歳以降に魔界に旅立ち、魔王様と戦って――万が一勝つことがあったとしても、勇者側も大ダメージを負うのは確実です。まさか、五体満足で帰れることはないでしょう。第一、魔族の残党が魔王様を討った仇敵を許すはずがありませんから、人間界に逃げ帰る前に袋叩きに遭って殺されるのではないでしょうか。……結果、魂が汚れるよりも先に、勇者は死んでしまうわけです。正天使からしてみれば、魔王様が死んだらすぐに自分の眷属として勇者の魂が手元に来ることになる。そうすれば、眷属になった元勇者に命天使の称号を与えて、天界の実権を握れる――まぁ、とはいえ、勇者パーティーも基本的に皆加護付きでしょうから、一緒に死んだ人間たちも即刻眷属として召し上げられる可能性が高いわけですし、他の天使に出し抜かれる危険性は孕んでいそうですけどね」


 暗い笑みで嘲笑した後、ゼルカヴィアは嘆息する。


「仮に、奇跡のような偶然で、魔王様を廃して五体満足で王都に帰れたとしたら、それはそれで厄介です。我々魔族は聖気の濃い王都に入れませんし――そもそも、不確実性の高い繁殖方法では、流石に天界も困ってしまいますから、長い歴史を経て、今はル=ガルト神聖王国の王都にいる神官たちが何やら天使の眷属を生みやすくする仕組みを作っている――という噂を聞いたことがあります。何分王都に入れぬこの身では、詳細は分かりませんが、その仕組みとやらで、帰還した勇者を故意にその場で眷属にさせられては、正天使の思う壺ですから。……アリアネルが大きくなったら、ぜひ王都に赴いて、その辺りの仕組みを調べてきてほしいところですね」

「うん!アリィ、頑張るよ!」


 ぐっと拳を握って請け負う少女は、ゼルカヴィアの期待に応えようと必死の様子だ。


「さて、今日はこの辺りにして眠りましょうか」


 難しい話が続いてしまったことで、疲れさせてしまったかもしれない、と反省して、そっと布団をかけてやる。

 アリアネルは大人しく横になりながら、大きな竜胆の瞳でゼルカヴィアを見た。


「ねぇ、ゼル」

「はい。何ですか?……まさか、子守唄を歌えと?」

「違うよ」


 クスクス、と笑いながら揶揄われて、口を尖らせて否定する。


「アリィは、人間――なん、だよね……?」

「……はい。その通りです」


 一週間ほど前――世界の成り立ちを教える一番最初に、魔族と天使と人間という存在を教えた。

 その際、アリアネルは人間であること――ゼルカヴィアや魔王とは明確に生きる世界が違う存在であることを、告げた。


 どうしても、人間の大人達によって人身御供に差し出された――という事実だけは告げることができず、魔族によって壊滅させられた村で、天使の加護があったおかげで奇跡的に生き残っていたのを、魔王が戯れに育てろと命じた――と、少しだけ話を端折って。


 話を聞いたアリアネルの反応は、静かだった。

 好奇心旺盛な彼女らしくもなく、ただ「……そう」とだけ呟いて、下唇を噛んで頷いただけだ。

 村を壊滅させた魔族とは、誰なのか。故郷はどこにあって、彼女の本当の家族はどういう最期を迎えたのか。

 聞こうと思えば聞きたいことはたくさんあっただろう。

 だが、幼女なりに、四六時中ずっと一緒にいるゼルカヴィアの表情の違和感や、声色の機微から、何かを悟ったのかもしれない。

 アリアネルは、自身の出生について、多くを尋ねることはしなかった。


「パパが嫌いな、正天使の……加護が、ついてるんだよね……?」

「……そう、ですね」

「十五歳になったら……加護が消えたら、アリィは、どうなるのかな……」

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