第二章

第26話 正天使①

 魔王との予期せぬ遭遇を経て、ゼルカヴィアの教育ママっぷりは一気に加速した。


「いいですか、アリアネル。――早急に、魔王様の前に出しても恥ずかしくない、優秀な存在にならねばなりません」

「えぇ……??」

「今日から、ビシバシ行きますよ!」


 普段の仕事でもなかなかここまでの粒度での書類は作らない、というほど緻密に練り上げられたアリアネル育成計画書を書き上げたゼルカヴィアは、手にした計画書をもとに高らかに宣言した。


 計画の大幅修正の要因は、何と言っても魔王との遭遇だ。

 前回のように、気まぐれで何度も見逃してもらえる保証はない。となれば、積極的に、魔王に育成は順調であるとアピールしながら、少女の有益性を理解してもらう必要があるだろう。


「まずは、この世界の成り立ちについてです。魔王様がいかに偉大なお方かを理解すると共に、語彙の習得も同時並行で進めていきます」

「う、うん……?」

「それから、幸か不幸か、不意の遭遇を以前ほど警戒しなくて良くなったわけですから、積極的に屋外で鍛錬もしましょう。今までの、体力面の育成遅れを早急に取り戻さねば!」


 キリキリと眉を吊り上げるゼルカヴィアは、鬼気迫った形相だ。アリアネルは、戸惑いながらもこくり、と頷く。


 そうして、魔王の右腕による最高水準の英才教育が始まった。


 とはいえ、ゼルカヴィアも、嫌がる少女を鞭打って学ばせるような非効率的な手段は取らない。

 まず、世界の成り立ちについては、アリアネルが普段から強く絵本に興味を示していたことから、物語調で噛み砕いて伝えるのが早いと踏んだ。

 絵を描いて絵本に仕立て上げるような悠長な時間はなかったので、人間界にある天使の画集や参考資料を買ってきて、開きながら物語を聞かせた。


「……というわけで、この世界は全て、造物主という存在によって創造されました。その後、魔王様の計らいで、三大天使は直接造物主と言葉を交わせるようになったようですが、元々は魔王様――命天使にのみ与えられていた特権でした。つまり、魔王様は己のみに許されていた特別扱いを、寛大にも、世の中のためにと言って、他の二人の天使に分け与えたことになります。とても、お優しい方ですね」

「うん。パパ、優しい!」

「でしょう?」


 正天使と治天使の画集ページを開きながら伝えると、アリアネルは素直に受け入れたらしい。あの遭遇以来、魔王を心から慕っている様子のアリアネルには、魔王を礼賛するゼルカヴィアの教育方針はよく合っていた。


「ねぇゼル」

「はい。何ですか、アリアネル」


 いつの間にか、アリアネルを拾ってから四度目の冬が来ていた。

 成長と共に、舌足らずな発音も少しずつ綺麗になってきたアリアネルは、ゼルカヴィアをふり仰ぐ。


「正天使……?の、絵がたくさんあるのは、どうして?」

「それは――彼が、人間界では最も親しみやすく、尊敬されている天使だからですよ。……とても信じ難いことですが」


 吐き捨てるように言いながら、ゼルカヴィアは画集のページを捲る。

 そこには、著名な芸術家たちが、伝承や、実際の目撃談をもとに描いた天使画を写したものがたくさん載せられている。


「髪は、パパと同じで金色だけど、眼は真っ赤なのが多いね」

「そうですね。魔王様の方が何億倍も美しいですが」


 正天使の目撃談として最も多いのが、光り輝くような黄金の短髪と、燃え盛るような炎のような瞳だ。

 太陽の祝福を表す金髪は天使に多い髪色だと聞くが、瞳の色は天使によって多種多様なことが多い。

 正義と戦を司ると言われる正天使は、戦場を思わせる烈火の色を瞳に纏っていた。


「でも、時々、長い髪の絵もあるよ?どうして?」

「もちろん、絵画ですので、作者のインスピレーションという可能性もありますが……魔王様のお話を聞く限り、先代の正天使が顕現した時の伝承をもとに描かれたものだからではないでしょうか」

「先代??」


 キョトン、とアリアネルは目を瞬く。


「最初に魔王様が生み出した正天使は、この長髪の天使のように、厳格で、理知的な雰囲気を持つ、正義を司るにふさわしい者だったようです。ですが――この辺りは、魔王様に尋ねてもあまり積極的に話してくださらないので詳細は不明ですが、何らかの罪を犯したらしく、魔王様自ら、処罰されたとのことですよ」

「え……?」

「とはいえ、役割としての正天使は必要です。故に、新しく生み出す必要があるわけですが――魔王様が、と望んで造られた性格と能力を持った先代が、罪を犯したのですから、全く同じ個体を作っては、二の舞になる可能性が高い。そうして、今の二代目正天使が生まれたのです。外見も、性格も、全く別物として、ね」

「そうなんだ。じゃあ、この長い髪の厳しい顔の人は、昔の正天使なんだね?」

「おそらくは。……ただ、私なんぞが魔王様の所業に物申すのは大変烏滸がましいことですが――結果として、二代目を先代と大きく変えて作ったのは、失敗だったと言わざるを得ないでしょう」


 ゼルカヴィアが、魔王のことを悪くいうことなど滅多に無い。

 アリアネルが首を傾げて聞き返すと、黒尽くめの魔族は苦い顔で吐き捨てるようにうめいた。


「魔王様を妬み、魔王様にだけ与えられていた造物主の寵愛を欲し、魔王様を天界から魔界に追いやってしまおうと策謀した首謀者とは――他ならぬ、二代目正天使だったのですよ」

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