第25話 【断章】幼馴染
”永遠”なんて存在しない――それを悟ったのは、三歳の時だった。
「ねぇ、あの子、いつまでうちで面倒を見るの?」
"永遠"に続くと思っていた日常は、ある日を堺に驚く程あっさりと豹変したのだ。
「そう言うなよ……他の子供らと同じように接するしかないだろう」
「そんなこと言われても――やっぱり、違うわよ。天使様の加護付きだなんて言われたって、見た目は変わらないんだし……正直、不気味だわ」
窓際でぼんやりと外を眺めている少年に聞こえぬよう、ヒソヒソと大人たちが声を潜める。
この距離で聞こえないと思っているのだろうか。それとも、三歳児には、聞かれたところで意味など分からないと思っているのだろうか。
どちらにせよ、当てが外れている。
昔から、大人たちの悪意のある囁き声は、妙によく耳に届くのだ。
(僕が、一人で、生き残ったから――)
大人たちの囁きを聞こえないふりをするのは、慣れている。
何も気にしていない風を装いながら、少年はぎゅっと己の右手を左手で握った。
「ぁ――えぇと……シグルト、くん……?」
「はい」
一人の大人が近づいてきて、遠慮がちに声をかけてくる。
返事をしながら、少年――シグルトは、顔を上げた。
「聞いているかもしれないけれど、君は今から少しの間だけ、この施設で暮らすことになったから」
「……はい」
幼いながらに、状況は何となく理解している。
従順に頷く少年に、目の前の大人はあからさまにホッとした顔をした。
何故、どうしてと泣きながら問い詰められたらどう答えるべきか――そんな心配をしていたのだろう。
(僕には、次に行くべき家があって――だけどすぐに受け入れられない事情があって。僕は、その"準備"が整うまで、この施設で暮らす。"準備"がどれくらいかかるかは――わからない)
大人たちの悪意ある噂話は、妙に耳に入る。それは、この施設に連れて来られてからも――その前も、ずっと。
「君が賢い子で良かったわ。これから、よろしくね」
「……はい」
別に、賢いわけではない。――賢くならざるを得なかった、だけだ。
――コルレアの家は、人々の愛憎が渦巻き、常に瘴気で満ち溢れていたから。
「皆に紹介するわ。一緒に行きましょう」
女の職員らしき人物に声をかけられ、先導されてついて行く。
三歳児であれば、手を引いて導いてもおかしくないが、放置されるのを見るに、張り付けたような笑顔で誤魔化してはいるものの、この若い女職員も、きっとシグルトが不気味な子供だと心の底で思っているのだろう。
それもそのはずだ、とシグルトは心の中で達観する。
従者も含めて、相当な数がいた屋敷の中――夥しい惨殺死体が折り重なる中で、ただ一人、無傷で生き残った少年など、不気味以外の何物でもないだろう。
「この部屋よ」
振り返る女の顔は、仮面のような作り物の笑顔だ。プロ意識がそれを形作っているのだろう。
こくり、とシグルトが頷くと、職員は一息に扉を開けた。
「さぁ、皆――!今日から、新しい仲間が入るわよ!」
職員の声と共に、室内にいた子供たちが一斉に手を止めてこちらを振り向く。
無数の瞳に凝視され、ドクン……と心臓が脈打った。
「ぁ……」
コルレアの家では、勝手に外に出ることを許されなかった。いつだって、母と共に狭い部屋に閉じ込められて、部屋を出ることさえ家人の許可を必要とした。
だから、同世代の子供たちに出逢うのは、人生で初めてのことだった。
「シグルト……です」
絞り出すような声で言って、ぺこり、と頭を下げる。
しん……と束の間の静寂が降りた後、子供たちは一斉におしゃべりを始めた。
「俺、アイツ知ってる。『悪魔の子』だろ」
「違うよ、『天使様のお気に入り』でしょ」
「どっちにしても、縁起が悪いから近づくなって、先生たちが話してたよ」
「近づいたら殺されるんだろ?コルレアの人みたいに」
「えー、嘘、怖~い」
子供特有の無邪気な残酷さを伴って、取り繕わない言葉の刃が突き刺さる。
ぎゅ……と左手で己の手を握り締めると、わざとらしい咳払いが上から響いた。
「と、とにかく!一緒に遊んであげてね。それじゃあ、先生は他の仕事があるから――」
大人たちの噂話を子供たちに聞かれていたことを知り、バツが悪くなったのだろう。そそくさと女職員は子供らの遊戯室らしきこの部屋にシグルトを置き去りにしてしまう。
最初から頼るつもりなど無かったが、あまりにも無情な大人の仕打ちに茫然としていると、ひゅ――と風を切る音が耳に響いた。
「――!?」
パンッ
振り向くと同時に、光の障壁が展開し、目前に飛び込んできた物体をはじき返す。
「おぉ~~スゲ、本当に『天使様のご加護』ってあるんだ」
「手品?今の光、何?」
「バ~カ、加護だよ。アイツを苛めようとすると現れる、さいきょーのバリア」
ゴン、と重たい音を立てて床に落ち、コロコロ……と地面に転がるのは、固い木彫りの玩具。
音から察するにそれなりの重量があり、当たれば怪我は免れなかっただろうと思うと、ぞっと背筋が寒くなる。
どうやら、悪戯を兼ねた新人への洗礼として、子供たちは無邪気な残酷さを発揮したらしい。
「さいきょー!?すげぇじゃん、ずりー」
「どこまで守ってくれるのかな」
「何しても大丈夫なの?」
生まれて初めて見る玩具を前にしたときのように、少年少女たちの顔が煌めく。
「や……やめて……」
「試してみようぜ!」
子供たちの中で最も発言力のある餓鬼大将らしき少年の言葉が、火蓋となった。
――シグルトのこの施設での立ち位置がはっきりと決まった、瞬間だった。
◆◆◆
加護は、決して万能ではない。
最初から悪意を持って仕掛けられる攻撃に対しては万全の備えとなるが、直接的な物理攻撃以外には発動しないものだからだ。
子供たちは、『せいぎのじっけん』と名付けた作戦名で、シグルトの結界を破る方法を考えては試す毎日を繰り返した。
例えば、悪意を持ってシグルトを転ばせようと足を棒で引っ掻けたところで、結界に阻まれて足まで棒が到達する前に弾かれるが、床に油を撒いておき、彼が勝手に足を取られて転ぶ分には、結界は発動しない。
苛め行為は、どんどん陰湿なものへと発展し、シグルトは常に孤立して、一人輪から外れた場所にいた。
特に、『遊戯時間』と名付けられた自由時間は苦痛で仕方がなかった。
玩具を武器に見立てて追い回されることは数知れず。言葉の暴力を振るわれるのは日常茶飯事。
シグルトはそっと気配を消して、施設の裏庭に逃げ込み、ぼぅっと時間が過ぎるのを待つばかりだった。
その日も同じく、この施設の唯一の安全地帯である裏庭に逃げ込み、ほっと一息を吐いたときだった。
ザッ……と小さな足音がして、驚いて振り返る。
「ちょっと!――アンタ、名前を名乗りなさい!」
「――――ぇ……?」
腰に手を当て、ふんぞり返って、蹲るシグルトに指を差したのは、栗色の髪を持つ小柄な少女だった。
「名前よ、名前!アンタ、自分の名前もわからないの?」
「ぇ、あ、し……シグルト。シグルト、コル――違う、えぇと……ルー、ゲル……?」
もうコルレアの家は無くなってしまったことを思い出し、引き取られる先だと言われた家名を思い出しながら告げると、自分の名前すらまともに言えない奴だと侮られたのだろう。ふっと鼻で笑って、少女はシグルトを見下ろした。
「あたしは、マナリーアよ。言える?」
「マナ……リーア」
「そう。やればできるじゃない」
ふふん、と妙に得意げなのは、何故なのだろうか。
「あたし、今日からここへ来たの。なのに、アンタ、教室にいないから」
「ぁ……」
自分がここへ来た時のように、教室で紹介が成されたのだろう。しかしシグルトは、開始時刻と同時に教室を抜け出すため、その場にいられなかったようだ。
シグルトの不在を知ったこの少女は、わざわざ彼を探してこんなところまで来たと言うのか。
「こんなところで何してるの?」
「別に……」
「皆と遊ばないの?」
「別に……一人で、いい」
ここには、土もあるし、雑草のような花もあるし、小さな植木もある。土遊びをすることも、地面に絵を描くことも、花を摘むことも、時間の潰し方など無数にあった。
「ふぅん……変な子」
ズキン、と胸が小さく痛む。
集団から弾かれることは、どれだけ経験しても、慣れない。
ぐっと胸を刺し貫く痛みに耐えて頬を眇めると――すとん、と隣に少女が腰を下ろした。
「え……?」
「一人で遊ぶより、誰かと遊んだほうが楽しくない?可哀想だから、あたしが一緒に遊んであげるわ」
「…………」
「な、なによ」
驚きのあまり目を瞬いて隣を見ると、マナリーアはたじろぐ。シグルトの反応が予想外だったのだろう。
「君は……ぼくが、気味悪く、無いの……?」
「なんで?」
マナリーアは、春に萌ゆる若草のような色の瞳をパチパチと瞬いてシグルトを見る。
「アンタ、ちょっと前に来たんでしょ」
「え……う、うん」
「あたし、施設は二つ目なの」
「えっ……!?」
「『おとなのじじょー』ってやつで、前の施設からこっちの施設に移ったの。だから、施設暮らしは、あたしのほうがずっとずっと詳しいんだからね!」
「え、あ、う……うん……」
「お姉さんが、施設での暮らし方を、教えてあげるわ」
自信満々な笑顔を見せるマナリーアは、キラキラと陽光を弾いて眩しく見えた。
意表を突かれて、シグルトはマナリーアをじっと見つめる。
自分と大して歳が離れているとも思えない少女が――施設暮らしが長いという割に、寂しさの一つも滲ませないで、力強く振舞う少女が――頼もしく見えた。
「うん。……うん、よろしく、マナリーア」
「マナって呼んでいいわよ」
結局、振り返ってみれば、その後、施設で暮らした期間はさほど長くはなかったのだが――少年シグルトの中に、生まれて初めて出来た”友達”マナリーアの記憶は強く強く刻まれることになる。
まさか、ほんの二年後に、聖騎士養成学園で再会するとは夢にも思わずに。
◆◆◆
「あ~ぁ、初めて逢った時は、うじうじおどおどした素直な可愛い子供だったのになぁ。僕、とか言っちゃって」
「うっせぇよ、いつまでも人の恥ずかしい過去覚えてんじゃねぇ!」
ブルグ村への遠征前日――念のため、武具の確認を兼ねて鍛錬場で身体を動かし終えた二人は、荷物を片付けながら軽口を叩き合う。
「そういえば――お前が治天使の加護をもらったの、俺が施設を出た後だったんだろ。その……大丈夫だったのか?色々……」
「あははっ……なぁに、一丁前に心配してくれてるの?さっすが勇者の卵。優しいじゃない」
「ばっ……お前なぁ!」
思春期真っ盛りの男子には、女幼馴染のからかいを余裕を持って切り返すスキルなどない。カッと顔を赤らめて怒るシグルトに、マナリーアはケタケタと笑ってみせた。
「それよりアンタこそ――ルーゲルの家とは、うまくやれてるの?」
「まぁ……そもそも、ちゃんと暮らしたのは学園に入るまでの二年くらいだし、今じゃ長期休みの時にちょっと帰るくらいだからな。うまくやるも何も」
「そ?なら、いいけど。……あはは、そういえば、アンタの生家も物凄いお屋敷のお金持ちだっけ。心配することなかったか」
嘯きながら荷物の口をきゅっと締めるマナリーアに、呆れた顔を返す。何でも言い合える仲なのは事実だが、本当にこの少女は人が踏み込みにくいと思って滅多に踏み込んでこない場所にもずかずかと入りこんで来る。
それが、不思議と嫌ではないのだから、腐れ縁というのは恐ろしい。
「明日も、怖かったらお姉さんの後ろに隠れててもいいんだからね~?」
「ふざけんな。後方支援型が何言ってんだよ。俺が前線切り開かなきゃ、何も出来ないくせに」
「あはは。それもそっか」
シグルトも荷物の紐を縛って立ち上がる。
「ま、アンタには天下の正天使様が目をかけたくらいの男だもの。何があっても大丈夫でしょ」
笑いながら鍛錬場を後にするマナリーアの背中に、ぽつり、とシグルトが呟く。
「――天使様って言っても、そんなに素晴らしいばっかりじゃないぞ」
「……え?何か言った?」
振り返ると、マナリーアのショートボブが宙に弾ける。
出逢ったときは腰のあたりまであった栗色のそれを思い出しながら、シグルトはふっと小さく自嘲の笑みを漏らした。
「いや?……なんでも。今日の夕食は何だろな、って言っただけだ」
「食いしん坊。それ以上でっかくなってどうするつもりよ」
幼馴染と気安い会話を交わしながら、陽が暮れた学園を出る。
あと数か月後には、この穏やかな学園生活も終わりを告げる――その現実から目を逸らすように、シグルトは微かに瞼を伏せて、眩しい夕日から顔を背けたのだった。
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