第24話 太陽の樹④
ゼルカヴィアは、知っている。
魔王と呼ばれるその存在が、己が生み出した我が子ともいえる魔族を手ずから葬るそのときの表情を。
人間界の晴れた空のように青く澄み切った瞳に、慈悲も寂寥も何一つ宿すことはなく、淡々と、冷ややかな光だけを湛えて、その命の灯をかき消していく。
それが、造物主から与えられた彼の役割だから――そこに、彼個人の感情が入り込む余地などありはしない、とでも告げるように。
「抱っこ!」
衝撃的な発言をしたアリアネルに、息が止まる。きっと、彼女は何の疑いもなく、普段ゼルカヴィアにねだるように、無邪気な笑顔で”パパ”に甘えただけなのだろう。
魔王も、さすがにそんな申し出をされるとは思っていなかったのか、無言で、足元で両手を伸ばしながらねだる幼子を冷ややかに見下ろす。
(駄目だ――)
ざぁっ――と血の気が引いて、今まで何度も目にしてきた魔王の姿が脳裏に蘇る。
死を恣意的に与えることをただ一人造物主に許可された、特別な存在である彼は、対象に手を触れて魔力を注ぎ込むだけで、簡単に命の役目を終わらせられる。
許しがたい大罪人相手には、酷い苦痛を与えて。情状酌量の余地がある相手には、安らかに眠らせるように。
何の感情も写さない、天の祝福を思わせる真っ青な瞳は、凍てつく氷を思わせ――
「アリアネルっっ!」
魔王が静かに幼女に向かって手を伸ばそうとしたのを見て、ゼルカヴィアは必死に叫びながらアリアネルの身体を引き寄せ、胸に抱いた。
「ひゃぁ――!」
「あ、貴女はっ……!どこまで不敬を重ねれば気が済むのですか――!!」
バクバクと五月蠅い鼓動を重ねる心臓の音に、額から冷や汗を流しながら、腕の中の幼女を本気で窘める。
「至高の存在たる魔王様に、度重なる無礼を……!どうか、お許しください魔王様――!人間の子供というのは、無知で、無垢で、愚かな存在なのです――!」
しっかりと胸に小柄な身体を抱きしめたまま、地面に膝をついて必死に懇願する。
ぎゅっと目を閉じても、数瞬前の光景が目に焼き付いて離れない。
魔王が、戯れにアリアネルに向かって伸ばした右手。
あの指が、わずかでもこの小さく脆弱な命に触れていたら、どうなったのか――考えるだけで、恐ろしい。
「ぜる、痛い……」
「抱っこなら、帰ってからいくらでも私がして差し上げますから……!今は、黙ってそこにいてください……!」
言葉を封じるようにぎゅぅっと抱きしめると、アリアネルの頭に乗っていた花冠がぽとりと地面に落ちた。
「……面を上げろ、ゼルカヴィア」
「!」
少しの沈黙の後、命じられた言葉に肩をはねさせ、ゆっくりと顔を上げる。
顔面が蒼白になっていることは間違いがない。――魔王の右腕として、相応しくない行いをした自覚はある。
だが、それでも――今、腕の中で苦しそうに小さく身動ぐ少女を差し出す気持ちには、なれなかった。
「お前が、俺に向かってそんな声を出すのを聞くのは初めてだな」
「は……」
ドクン、ドクン、と心臓が大きく不穏に脈打つ。
思わず瞳を閉じて再び頭を下げると、ざっ……と小さく音がして、魔王がゼルカヴィアに向かってゆっくりと足を踏み出したのが分かった。
もしかしたら、魔王によって処されるのかもしれない。
人間に情を移すなと命じられていたにもかかわらず、取るに足らない脆弱な人間を全身で庇うなど、魔王への忠誠を疑われても仕方のない行為だ。
(だが、それでも――!)
自分が死ぬのは構わない。
だが――何の罪もない、胸の中のこの小さく尊い命が奪われるのだけは――
「……お前の仕事ぶりを疑うことはない」
「ぇ……?」
ゼルカヴィアの目の前まで来た魔王は、呟くように言った後、軽く身を屈めた。
虚を突かれて顔を上げると、目の前の主は、地面に落ちた花冠を拾い上げるところだった。
(これは――どういう光景だ……?)
冷酷非道な魔王が、小さな花冠を手にしている。――ミスマッチなことこの上ない。
非現実的な光景に、思わず目を瞬いていると、魔王はいつものように小さく鼻を鳴らして、軽く花冠を振って土を落としてから、ゼルカヴィアの腕の中にいる少女の頭の上に無造作に乗せてやった。
「ま、おう……様……?」
「一度、お前に任せた仕事だ。お前の好きなようにすればいい。その子供が、何を言おうが、どんな行いをしようが、俺は腹を立てたりはせん。その代わり――必ず最後まで完遂しろ」
どうやら、即刻処刑されても文句は言えぬ振る舞いの数々をしたというのに、お咎めはなし、ということらしい。
信じられない気持ちで目を見開き、息を詰めるが、魔王は気にした様子もなくそのままその場を去っていく。執務に戻るらしい。
呆然とその背を見つめていると、腕の中でアリアネルがもぞもぞと動いた。
「パパっ!」
「あ、アリアネル――!」
乗せてもらった花冠を手で押さえながら、元気な声を出した少女に焦る。せっかく見逃してもらえたと言うのに、この子供は何を考えているのか。
「パパ!――拾ってくれて、ありがとう!」
「――……」
ちらり、と魔王が横顔で振り返る。
ゼルカヴィアの肩口から顔を出し、上気した頬で、瞳を輝かせるアリアネルは、太陽の樹の下で、陽光のような眩しい笑顔をはじけさせる。
「ありがとう!――だいすき!!」
「――――――……」
ぴくり、と魔王の眉が少し動いた。
しかし、そのままその瞳にも表情にも、感情らしい感情を宿すことはなく、ふぃっと顔を背けて去って行ってしまう。
その姿が見えなくなり――はぁっ……!とゼルカヴィアは大きな息を吐いた。
我知らず、緊張に息を止めてしまっていたらしい。
「ぜる?だいじょうぶ?」
「~~~~~っ!全く、貴女という愚か者は――!」
事の重要性も緊迫性もわかっていないらしい少女が首をかしげて聞いてくるのに、わなわなと手を震わせる。こちらの心労を少しは理解してほしい。
「ぜる、ぜる、”パパ”、すっごく格好いいね!王子様みたい!」
「何を言っているのですか!王子様どころか、王様ですよ!!?」
キリキリと眉を吊り上げるも、少女はうっとりとした瞳で、魔王が去った方向を見つめるばかりだ。
「パパって呼んでも怒らなかった!」
「魔王様の寛大さに救われただけです!」
「お花の冠、拾ってくれた!」
「帰り道を阻む存在を、戯れに取り除かれただけです!!!」
すべては、魔王の”お戯れ”――そんな、不確実性の高い偶然が重なって、たまたま命を繋げられただけに過ぎない。
「ぜるが言った通り、パパ、すごく、優しい!!!」
「それは否定しませんが、貴女はもう少し自重しなさい!!!」
わくわくと感動に目を輝かせるアリアネルには、ゼルカヴィアのお小言は届かないらしい。
嬉しそうに拾ってもらった花冠に手を遣りながら、にっこりと笑う。
「アリィ、パパのこと、大好きになっちゃった!」
「……もう……好きに、してください……」
全く懲りていない様子のアリアネルに、泣きたくなるような気持ちで項垂れる。
こうして、世界最強のパパっ子・アリアネルが爆誕したのだった――
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