第30話 かぞく②

「ちょ――アリアネル、それはさすがに――」


 まだ、時期尚早ではないだろうか。

 相変わらず、物怖じすることなく誰にでも一足飛びで心の距離を詰めに行く行動力に翻弄されながら、ゼルカヴィアは制止しようとするが、アリアネルには関係がないらしい。


「ねぇ、パパ、いいでしょ?パパも、休憩終わるとこだったんだよね?」


 中庭の隅にある太陽の樹から、こちらにやってきたということは、城の中に帰る最中だったと言うことだろう。そう判断して、アリアネルは図々しくおねだりを開始する。

 じっ……と魔王は蒼い瞳でアリアネルを見下ろし、無言で何かを考えているようだった。

 アリアネルは、自分の要求が却下されることなど考えていないかのように、にこにこと笑顔で魔王の返事を待つ。


「……俺は」

「うん!」


 魔王は、あまりアリアネルと直接会話を交わさない。いつも大抵、ゼルカヴィアとばかり話をする。

 アリアネルに向けて言葉が発せられる――それだけで、随分と貴重なことだ。アリアネルは心から嬉しそうに返事をする。


「お前の虫のごとき小さな歩幅に合わせて歩くほど暇ではない」

「えぇ~!アリィ、手を繋いでもらったら、頑張って早く歩けるよ!」

「アリアネル……!!!!」


(貴女はどこまで図々しさを極めるのですか――!)


 胃がキリキリと捻じれていくのを感じながら制止の声を上げる。

 魔王の言葉にあっさり引き下がるどころか、あまつさえ手をつなぐことを要求するとは何事か。本来であれば、後ろを駆け足で着いて行くから許してほしい、と懇願する立場であると言うのに。

 魔王からしてみても、予想外の言葉だったのだろう。ピクリ、と小さく眉が動いた。


「……お前の身長で、俺と手を繋げると思うのか」

「ゼルは時々繋いでくれるよ!……駄目?」

「アリアネル――!」

「昔、パパに抱っこはお願いしちゃダメ、ってゼルに言われたから――アリィ、手を繋いでくれるだけで頑張れるよ!」


 幼女の図太さに、ゼルカヴィアは膝から崩れ落ちたい衝動に駆られる。頼むから、謙虚という単語を今すぐ辞書で引いてほしい。

 じ……と再び魔王は黙ってアリアネルを眺める。

 高い位置で一括りにされた長い髪。タオルで拭いたようだが、少し髪の端が濡れているのは、この真冬でもそれだけの運動量をしたからだろう。

 ”パパ”は優しい――そう信じて疑っていない、キラキラと輝く竜胆の瞳は、魔王が申し出を断ることを想定していないらしい。運動後で上気した頬も、やっと落ち着いてきたらしい呼気も、さっきまでせわしなく上下していた胸も――


「……鍛錬の後の疲れ切った身体で、俺の歩幅に付いて来れるのか」

「ぅ……パパが一緒に歩いてくれるなら、アリィ、頑張る!」


(……ぉや……?この、魔王様の口ぶりは――)


 冷ややかな魔王の切り返しに、たじろぎながら答えるアリアネルは、普段塩対応の極みの”パパ”との対話に必死だ。

 だが、長年魔王と共に生きてきたゼルカヴィアは、彼の視線の動きや些細な言葉尻から、小さな違和感を感じ取る。


「くだらない。……抱えた方が、随分とマシだ」

「へ?――っ、わぁ!?」


 魔王は鼻を鳴らして不機嫌そうに告げた後、迷うことなくアリアネルへと手を伸ばし、腹のあたりを無造作に捕まえた。


「まっ、魔王様!その抱き方では子供は窒息し――」

「五月蠅い。……子供の抱え方くらい知っている」


 ひょいっと一瞬荷物のように宙づり状態にされたアリアネルを見て、ゼルカヴィアが蒼い顔で慌てて制止するが、魔王は軽く顔を顰めてあっさりと、いつもゼルカヴィアがしているようにアリアネルを縦抱きに抱えた。

 驚いて息が詰まったのか、魔王の肩口でケホッ……と一つ小さく咳をするアリアネルと、幼女を難なく抱えて涼しい顔をしている魔王を前に、ぱちぱちと何度も目を瞬く。


「ま、魔王様……子供の、抱き方を……ご存知、だったのですか……?」

「俺を誰だと思っている。……城で、何度かお前が抱きかかえているのを見たことがある。人間どもが、子供を抱えているのも見たことがある。この程度、難しくもなんともないだろう」

「ぁ、いえ、それは、そう……なの、ですが。てっきり――魔王様は、子供の呼吸に心配りをされるようなことはないのではないかと――」

「やけに突っかかるな。俺が、子供の抱き方を知っていてはいけないか?」

「あ、いえ、そ、そういうわけではないのですが――」


 ぽり、と頬を掻きながらゼルカヴィアはバツが悪そうに視線を伏せる。

 

「……息が苦しいか?」

「ううん!――むしろ、すごく、息がしやすい!なんでかな!?」


 言葉少なく問いかけられ、ぎゅっと嬉しそうに笑って首に抱き着くアリアネルに、魔王は小さく鼻を鳴らす。


「……俺は、厳密には魔族ではない」

「えっ?そうなの?」

「あくまで、羽を堕とされた天使だ。……造物主の計らいで、魔界を治めるのに必要な能力を付与されただけの、な」

「……??」

「俺は、魔族と違って瘴気を瘴気として取り込み、糧とすることは出来ない。ただ、魔界に堕とされたとき、天使にとっては猛毒の瘴気を、体内に取り組む際に聖気に変換出来るようにされただけだ。……つまり、俺の活動の源が聖気であることに変わりはない」

「……???」

「生粋の魔族と違い、この身体に渦巻くのは、瘴気ではなく聖気だということだ。……今のお前にとっては、まだ、聖気の方が心地が良いのだろう」

「!」


 いくら瘴気に慣れたとはいえ、本人が善性の塊である以上、聖気との相性が悪くなるわけではない。適量の聖気であれば、彼女にとっては心地よい空気になりうる。

 特別濃厚な魔界の瘴気が渦巻く中で、”適量”の聖気の摂取など適うはずもないと思っていたが、どうやら、魔王にこうして抱きかかえられていると、仄かな聖気を感じ取り、呼吸が楽になるらしい。


「天使の羽は、聖気を管理し、操る役割がある。羽が無くなったせいで、聖気のコントロールが出来ないからな。摂取した瘴気の余剰分は、聖気として垂れ流すしかない。それが漏れ出ているのだろう」

「すごい!パパの傍にいると、気持ちがふわふわしたのって、そういう理由!?」

「知らん。……可能性は高いだろうがな」


 きゃっきゃと魔王の腕の中ではしゃぐアリアネルに、つまらなさそうにフン、と鼻を鳴らす。


(これは――どういう、光景ですか……?)


 ゼルカヴィアは、目の前の光景が信じられなくて、思わず眼鏡を押し上げる。

 魔王の口調がぶっきらぼうなことに変わりはないが――アリアネルが首にぎゅっと縋りつこうと、腕の中でテンション高く騒ぎ立てようと、鼻を一つ鳴らすだけで、咎めることもなく好きなようにさせ、曲がりなりにもコミュニケーションが成立している。

 まるで、本当の父娘のような光景に、ゼルカヴィアはひくり、と頬を引き攣らせた。


(もしかして――初めてアリアネルと出逢った、あの時も――)


 太陽の樹の下で、「抱っこ!」ととんでもない要求をしてのけたアリアネルに、少し考えた後、静かに手を伸ばした魔王を思い出す。

 あの時は、魔王が不愉快のあまりアリアネルを処分しようとしているのだと思ったが――

 もしかすると、今日のように、普通に抱き上げようと思っていただけなのかもしれない。


「は……はは……」


 乾いた笑いが口から洩れる。

 アリアネルに告げた、『魔王様は優しい』という己の言葉を思い出す。

 決して、偽りを告げたつもりはなかった。魔王は時に、元天使だったと頷けるほど、慈悲深い。 

 ただ、その慈悲深さは、一般的には理解されにくいものだ。――疫病が流行し救いようのない村を、村人ごと地獄の業火で焼き払えと命じるくらいには。


 だから、まさか――こういう『優しさ』を、戯れにでも表すような男だとは、夢にも思っていなかった。


(アリィが、天使に好かれる聖気の塊みたいな子供だからですか……?それとも――)


「……?どうした。何を呆けている、ゼルカヴィア」

「!」


 アリアネルを抱えたまま歩き出した魔王が、片頬で振り返り声をかける。

 ハッと我に返って、ゼルカヴィアは顔を上げた。


「まさか、このまま俺の執務室までこの子供を連れ帰れとでもいうつもりか?」

「め、めめめ滅相もございません――!」


 慌てて後を追いかけ、謝罪する。


「パパ!――大好き!」


 ぎゅぅっと首に縋りついたアリアネルは、無邪気に笑って頬擦りをする。

 それはまさに、『夢のような』光景としか表現の出来ないものだった――

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