第29話 かぞく①

「ふっ……!」


 鋭く呼気を吐いて、ずっしりと重い錘を括りつけた棒を遠心力を利用しながら振り抜く。


「んっ、やぁ――!」

「そう、いいですよ、アリアネル!」


 振り回される、と、振り回す、の違いは難しい。

 小柄な体格で重量のある巨大武器を扱うにはコツがいるが、最初に睨んだ通り、アリアネルはこの種の武器が性に合っているらしかった。

 十分に体重を乗せた上段からの一撃を受け止めながら、ゼルカヴィアは少女を励ます。


「すぐに武器を引いて――反動を意識して!」

「っ、ぇい!」


 もうすぐ五歳になろうか――というアリアネルは、以前に比べればだいぶ大きくなったが、決して同年代と比べて大柄というわけではない。

 象牙色の髪を高い位置で括って、冬の寒い中庭でも汗をにじませて鍛錬に励む少女の横顔は、幼いがどこまでも真剣だった。


「最後に一撃――ここです!」

「てやぁ!」


 可愛らしい掛け声とともに、両手でゼルカヴィアの指示通りの位置に武器を振り抜く。ガィン――と鈍い音を立てて受け止められたそれを見届けた後、アリアネルはゆっくりと武器を降ろした。


「はぁっ、はぁっ……ありがとうございました!」

「はい。今日の一連の流れは良かったですよ。昨日から錘を増やしましたが、よく一日でここまで順応したものです」


 汗を拭って、荒い息の合間で元気よく礼を言えたアリアネルを褒めながら、懐からタオルを出して渡してやる。タオルに顔をうずめながら、アリアネルはこくり、と頷いた。

 ゼルカヴィアは、指導が上手い。幼子相手でも容赦がないのは事実だが、無意味に怒鳴ったりはしないし、指示は的確だ。そして、出来たことはしっかりと褒めてくれる。

 目標の設定も明確だ。長期的な目標――勇者の打倒という大目的を決してぶらさぬようにしながら、短期の目標の設定もしてくれるおかげで、毎日成長実感を得ながら鍛錬を積むことができる。


「もう、瘴気の中での激しい長時間の運動も苦ではないようですね。……人間界の『聖騎士養成学園』とやらは、五歳から通えると聞きます。とはいえ、最初の一年は座学と基礎訓練が中心だと聞いていますから、今の貴女の方が一歩先へ進んでいるでしょう」

「うん」

「この調子で、誰にも負けない戦士となるのですよ。――打倒勇者、です」

「うん!」

「はい、でしょう!」

「はい!」


 アリアネルは、座学の飲み込みも相当なものだったが、なぜか敬語表現に関しては上手くいかない。ゼルカヴィア相手に敬語を使う、という概念がどうにも理解できないのかもしれないが。

 タオルから顔を上げて、ふぅっ、と一つ大きく息を吐くと同時――ザッと後ろで小さな足音がした。

 ゼルカヴィアが視線を遣るより早く、アリアネルは笑顔で背後を振り向く。


「――パパ!」

「……順調に育成は進んでいるようだな」


 どうやら、休憩時間に『太陽の樹』を見に来たついでに、中庭で行われているアリアネルらの訓練を横目で見ていたらしい。


「恐れ多いお言葉でございます」

「……こんな、うっかり踏みつぶしてしまいそうな小さな身体で振り回すには、大きすぎる武器じゃないか?」

「人間界の噂では、アリアネルの代わりの勇者候補は男のようなので……将来的に、体格差の不利を補える武器にした方が良いかと。彼女の適性もあるようですし」

「そうか」


 初めて出逢ったときと変わらず、足元で好意に満ちたキラキラした瞳を向けてくる少女に冷ややかな目を向けながら、ゼルカヴィアと言葉少なに会話を交わす。

 あの日以降、魔王自身が口にした通り、こうして不意の遭遇を重ねたとしても、アリアネルの無遠慮な振る舞いに対して、魔王は腹を立てることはなかった。

 ただ、冷ややかな視線を向け、じっと少女を見つめているだけだ。

 まるで――興味深い生き物を観察するかのように。


(意外と、悪い印象は持たれていないのかもしれませんね。魔王様相手に、怖いもの知らずな言動ばかりしていますが、もしや、数万年も生きている魔王様にしてみれば、脆弱な人間の子供が裏表なく無邪気に振舞う姿が、いっそ新鮮に映っているのかもしれません)


 もはや、すっかり”パパ”呼びも定着してしまった。

 最初の出逢いでこそ戸惑ったようだった魔王だが、今は普通にそれが己への呼びかけだと理解しているらしい。

 アリアネルの怖いもの知らずのその呼称にも、眉を動かすこともなくチラリ、と当然のように視線を向けるようになった。


「パパ!……アリィ、上手になった?」

「……そうだな。だが、まだまだおぼつかない。いずれ、片手で軽々と扱えるほどになれ」

「うん!……あ、ちがった。はい!」


 アリアネルは嬉しそうに全力の笑顔で魔王を見上げる。

 眩しさの塊のような存在に、冷ややかな瞳を向けた後、魔王はゼルカヴィアへと向き直った。


「戦いに赴く心構えの方は、問題ないのか」

「はい。見ての通り、物怖じと言う言葉を知らない子供ですから、瘴気による体調不良が無くなってからというもの、通りかかる魔族相手に果敢に声をかけては純度百パーセントの善良な精神で接するので、毒気を抜かれてしまう魔族ばかりです。魔王城の中では、彼女に好意を持っている者の方が多いのではないでしょうか。……当然、アリアネル本人も、魔族に対して偏見を持つことも怯えることもなく、我らの一員なのだと言う認識で日々生きているようです」


 ゼルカヴィアの報告に、微かに眉間にしわを寄せて、魔王はなんとも言えない複雑な表情を返す。

 親が恋しいだの、故郷が恋しいだの、人間界に戻してほしいだの――面倒なことを言って敵対しないかと憂慮しての質問だったのだが、どうやら杞憂だったらしい。

 それどころか、周囲の魔族まで絆されていると言う。――それは、予想外だった。


「魔王城には、中級以上の魔族しかおりませんから、聖気の塊みたいなアリアネルに当てられて具合を悪くするような者もおりませんし……御覧の通り、本人も、打倒勇者を掲げて頑張っています。人心掌握という観点では問題ないかと」

「アリィ、パパの役に立てるよう、頑張るよ!」


 アリアネルの有用性アピールに余念のないゼルカヴィアの隣で、邪気のない笑顔で宣言するアリアネルに、毒気を抜かれるのは魔王も同じらしい。いつものように小さく鼻を鳴らして、嘆息を漏らした。


「ゼル、今日のお稽古、もう終わり?」

「鍛錬、ですよ。……はい。今日はもう終了です」

「じゃぁ――パパと一緒に、帰ってもいい!?」


 突然爆弾を投下した少女に、ゴフッ……とゼルカヴィアは咳き込んだ。

 

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