第166話 魔族討伐作戦⑤

 東の空が、うすぼんやりと明るくなってきたころ、その知らせは届いた。


「全軍止まれ!」


 女司令官の号令に従い、討伐隊の足並みが止まる。

 どうやら、目的地から伝言メッセージが届いたらしい。

 内容を聞いた途端色を失った司令官は、すぐに聖騎士のベテラン勢だけを伴って、隊列を離れ、生徒らに声が届かぬ位置で緊急会議を始めた。


「何があったのかしら」

「さぁ……」


 ざわざわと生徒らが困惑する中、アリアネルは息苦しさから逃れるように兜の面を上げる。

 目的地は近い。外気は既に濃厚な瘴気で満ちていて、少女にとっては慣れ親しんだ空気だ。


(たぶん、オゥゾのことが露見したんだよね。ゼルも、オゥゾは秘密裏に動くことが苦手だから、人間たちの間では騒ぎになると思うって言ってた。色欲の魔族のせいで瘴気が元々色濃いエリアだし、聖騎士ごときに後れを取るようなオゥゾじゃないから、心配はいらないと思うけど……)


 オゥゾに戦闘訓練を付けてもらった日々を思い返しながら、アリアネルはほっと安堵のため息をもらす。

 アリアネルの前では少し軽薄で楽天家な、幼女の匂いフェチの変態に思えるオゥゾだが、彼が類まれなる戦闘能力を誇る魔族であることも、なんだかんだゼルカヴィアや魔王といった上位の存在に頼りにされていることも知っている。

 ゼルカヴィアと魔王が、オゥゾが適任と判断したのだ。きっと今回の件も、上手くやってくれることだろう。

 魔界側の事情については、オゥゾに任せておけばいい。アリアネルは大船に乗ったつもりで、人間側の指示に従って、この作戦をやり過ごしておけばよいのだ。


 オゥゾが間に合わなければ、魔族らと命のやり取りをせねばならないかもしれぬと不安に思っていたが、どうやら杞憂だったようだ。

 上官たちの蒼い顔を見ると気の毒に思うが、きっとオゥゾは無関係な人間を殺すことはないから安心してほしい、と心の中で呟く。

 ゼルカヴィアや魔王には、オゥゾは本来人間に対して驚くほど残虐な一面を持った魔族だ、と聞かされていたが、アリアネルにとっては、幼いころから優しく面倒を見てくれる頼りになる歳の離れた親戚のような存在だ。

 そもそも魔王は、食事以外の目的で、不必要に人間を脅かすことを魔族に禁じている。

 今回オゥゾが人間界に現れたのは、あくまで色欲の魔族イアスを処罰するためだ。人間を虐殺し瘴気を貪るためではない。

 だから、ここで人間たちが行軍を止めてしばらく静観していれば、そのうちイアスやその他の暴走した魔族たちを残らず仕留め、オゥゾはさっさと魔界へ転移門ゲートで帰っていくだろう。


「全員聞け!作戦に変更が生じた!」


 やがて、司令官たちが戻って来て声を張り上げる。どうやら、極秘会議で結論を出せたらしい。


「新しい魔族の情報だ。現場は混乱している。――蒼い炎が、街道の一部を根こそぎ焼き払ったとの報告が入った」


 朗々とした声を聴いた途端、一団に動揺が走り、俄かに騒がしくなる。


「なっ――」「蒼い炎!!?」「それって、あの、最恐の魔族って噂の――!?」「嘘だろ!?最後に目撃されたのは二百年前の勇者が魔界でやられたときだって――まだ生きてたのか!?」「魔族に寿命なんてないんでしょ!」

「静粛に!」


 怒号に近い声が飛ぶが、生徒らの動揺は収まらない。


 アリアネルが学園で習った情報を元に推察するに、どうやら人間界では、オゥゾの外見特徴や魔法の効果については知られているが、彼の名前までは判明していないらしい。

 名前を知らぬ人間が、助力を乞う形でオゥゾの魔法を使用するときに使える炎は、せいぜいが赤い炎まで。

 だが、オゥゾ本人が人間に対し、攻撃という目的で炎を放つとき、赤い炎とは段違いの威力を誇る蒼い炎を好んで使うという。


(名前を知る人が、オゥゾに命じる形をとれば、蒼い炎も使えるんだろうけど、人間でオゥゾの名前を知っている人は、私以外にはいないもんね。人間界にはもう何百年も顔を出していないって言ってたし……蒼炎はオゥゾの代名詞になってるんだ)


 オゥゾがかつてアリアネルに戦闘訓練を付けてくれたときには、いつもの調子でニカッと白い歯を見せて笑い、「アリィには俺の蒼炎も使わせてやるぞ!」と言って命令すら従順に受け入れるという意思表示をしてくれたが、そんなことをすれば、どうして最恐の魔族の名前を知っているのかと言って大騒ぎになってしまう。

 つまり、今、人間界で蒼い炎が目撃されたと言うことは、オゥゾ本人が現れたか、オゥゾ以上の位を持った魔族がオゥゾに命ずる形で魔法を使っているかのどちらか、ということなのだ。

 司令官らが青ざめるのも無理はない。


「対象は、突如として何もない空間から現れ、まるで外部からの横やりを嫌うかのように、蒼い炎で壁を築き、街道を封鎖したらしい。壁の内の様子は伺い知れないが、見るもおぞましい地獄絵図が広がっていると思っていいだろう」


 悔しそうな顔で司令官が告げるが、アリアネルは複雑な顔で俯く。

 ――オゥゾは、無意味に人間を甚振って殺すような魔族じゃないのに。


(だって……あの、オゥゾだよ?確かに普段は、きっぱりと人間を「ゴミ」って言い切るくらいの魔族だけど、城勤めの魔族だから、食事事情には切羽詰まってないだろうし、オゥゾは基本的に、自分に関係ない人間になんか興味がないってゼルも言ってたから……その分、興味があることには物凄くのめり込むから、怒られることもいっぱいありそうだったけど)


 人間に興味がないと言っているくせに、デレデレと鼻の下を伸ばしてアリアネルを幼女の頃から溺愛する彼は、「困ったことがあったら、俺の名前で魔法なんか使わず、伝言メッセージで呼んでくれたら、直接転移門ゲート開いて助けに行ってやるからな!そしたら、黒炎も使い放題だ」と力強く言い切っていた。

 当然その時は、すぐにゼルカヴィアに聞きとがめられ、本気でお説教されていたが。


 黒炎は、オゥゾにしか使えない固有魔法だ。

 そもそもは、天界最大の火力を誇る第二位階の雷天使の魔法に対抗できるように、として造られたのが黒炎らしい。

 雷は、一瞬にして周辺の空気を太陽の表面温度の約五倍近くまで引き上げると言う。

 黒炎は、その雷と真正面から打ち合っても相殺できる魔法として、魔法戦における魔族側の切り札となるべく魔王が授けたものだ。

 

 当然、人間との戦いごときで使用するような場面は過去一度も訪れなかったし、今後もそんな予定はない。人間界で放てば、周辺の生態系に何らかの悪影響を与えかねないためだ。

 それを「アリアネルのためなら」と言って軽々しく使ってもいいと言ってのけるオゥゾは、興味の有無で行動を決定する気分屋と言っても過言ではない。ゼルカヴィアも、困った部下を持って大変だと常々嘆いていた。


「おそらく、当初の作戦で想定していた以上の被害者が出ることだろう。故に、作戦を変更する。先遣隊が調査し、戦闘部隊が前線を押し上げた後、本陣は一所に留まるのではなく、前線と共に前進。男性の戦闘員も前線の戦闘部隊に合流し、積極的に戦闘に参加。これは、色欲の魔族よりも炎の魔族の方が脅威と判断したためだ。優秀な戦闘員は一名でも多く前線に配置したい。リスクは百も承知だが、その分先遣隊は、色欲の魔族が近くにいるか否かを特に慎重に探索し、報告せよ!」


(ぅ……さすがに、オゥゾが魔界に帰るまでここで一時待機、とは、ならないか。当然、王都の聖騎士団宛に応援は呼んでるだろうから、それが到着するまで、最大限人間界の被害を食い止めるよう活動するってことなんだろうな……)


 本陣に配置されることが変わらない以上、積極的な魔族との戦闘を強いられるわけではないだろうが、前線に近い位置に行かされるのはやはり気が進まない。

 何より、万が一オゥゾと鉢合わせしてしまったら、どういう顔をすればいいのか。


(オゥゾ、難しいこと考えられなさそうだしなぁ……)


 人間が恐れる冷酷非道な一面を知らないアリアネルは、『アリィ!匂い嗅がせてくれ!』と無邪気にねだってくる青年の姿しか知らない。そのオゥゾが、この場でアリアネルと不意の遭遇を果たしたとき、器用に立ち回ってくれるかは正直とても心配だ。

 アリアネルも嘘を吐くことが苦手という事実を棚上げしながら、何気に失礼なことを頭の中で考えて、早くオゥゾが作戦を完了して帰ってくれることを祈りつつ、憂鬱なため息をつくのだった。

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