第165話 魔族討伐作戦④
世界がゆっくりと茜色に染まるころ、当初の予定通り、緊張した面持ちの生徒らが集合場所に集まった。
「これから、夜通し移動を続け、目的地へと向かう。途中休憩を挟むが、事態の緊急度を鑑みれば、悠長な進軍は出来ない。決して遅れることなく、足並みを乱さず、付いてくるように」
一人一頭ずつ、軍事用に訓練された騎馬を与えられた生徒たちは、無言で了承の合図を送る。
集まったほとんどが女生徒という、異色の一団だ。十三歳以上の生徒しか作戦に組み込まれないという制約もあるせいか、男子生徒は片手で数えられる程度しかいない。
「それでは、出発!」
号令をかけるのもまた、聖騎士に支給される
入念に手入れされ、磨き抜かれた鋼に茜色の陽光が反射して、生徒らの視界を真っ赤に染める。
聖騎士養成学園では、乗馬は低学年の頃から毎年組み込まれている必須科目だ。ただの移動であれば、全員が馬を手足のように操れるはずなのに、卒業を間近にした生徒でも、緊張で手が震える者も多い。
成績下位者は、まさか、自分が討伐隊に組み込まれることなど考えていなかったのだろう。特に、将来の進路は神官を希望している者はなおさらだ。
生まれて初めて、強力な魔族と直接相対するかもしれない恐怖に、誰も彼もピリピリと頬を引き締めている。
「アリィ。……大丈夫?」
「え?」
「皆、不安と緊張が凄そうだから、その……苦しかったり、しない?」
こそっと声をかけてきたのは、隊列でアリアネルの真横に配置されたマナリーアだった。
「あぁ……うん。ありがとう。大丈夫だよ。――ほら。この中は、聖気が充満してるから」
答えながら、顔のあたりを指さしてマナリーアを振り返ると、ガシャンっと大仰な金属音が響いた。
「そっか。ならいいんだけど……でも、学生の身分で、将来は神官になることを想定している娘のために、そんなすごく高そうな金属鎧を用意できるなんて、相変わらず、アリィのおうちは凄く気前がいいのね」
「あ、あはは……」
アリアネルは乾いた笑いで誤魔化すように頭を掻く。動くたびに、耳障りな金属音がするので、どうにも慣れない。
十四歳になる少女の身体を包むのは、頭のてっぺんから足先までを覆う白金の眩い鎧。
出立の前に、ゼルカヴィアが人気のない市街の裏に直接
『貴女は、終始その身に収まりきらない聖気を纏っています。故に、全身をすっぽりと包むこの鎧を身に着ければ、どれだけ瘴気が濃い場所にいても、鎧の中に聖気が充満するおかげで、息苦しくはならない――そう言って切り抜けてしまいなさい』
緊急事態の勃発で目が回るほど忙しいだろうに、そんな言い訳まで考えてくれたゼルカヴィアには感謝しかない。
「その材質、鉄……じゃ、ないわよね。鋼でもないし……白金?だとしたら、値段を聞くのはすごく怖いんだけど、そもそも強度は大丈夫なの……?」
「う、うぅん……どうかな。今回の作戦では、私は戦闘行為には積極的に参加しない予定でしょ?どっちかっていうと、瘴気に当てられないように……っていう目的が強いと思うから、強度は、最悪、別に……えっと、加護もあるから、直接的に鎧の強度を気にするような場面は意外と少ないだろうっていうか……」
アリアネルは、もごもごと歯切れ悪く答える。
勿論、本来であれば、鉄か鋼で造られた鎧を着るべきだろう。
この作戦に参加する庶民の女子生徒のほとんどは、鉄で造られた学園支給の半身鎧を身に着けている。一部、裕福な家庭の出身者や、将来聖騎士を希望している者、マナリーアのように過去何度も討伐作戦のメンバーに選ばれるような成績優秀者といった生徒は、より強度がある鋼製の半身鎧や、覆われる箇所が多くなる全身鎧を入手している。それらとて、決して安い買い物ではない。
「目玉が飛び出るくらい高価なくせに、強度は鉄や鋼より期待できない鎧を用意しちゃう家人の気持ちがわからないけれど……まぁ……仕方ないか。これを着て実戦に赴くことなんて想定してなかっただろうし、授業とか何かの催しとかで着て、せいぜい箔がつくように、くらいの気持ちで事前に用意されてた物なのかもね」
どうやらマナリーアは呆れながらも納得してくれたらしい。ほっと気づかれないように鎧の中で安堵のため息を吐く。
とはいえ、仕方がなかったのだ。
ゼルカヴィアが考えた言い訳を使おうと思えば、学園支給の半身鎧では、頭部を覆い切れないため、聖気を云々という理屈が立たなくなる。
何としても全身鎧を用意しなければならないが、基本的に全身鎧は受注生産制だ。実戦に繰り出されることなどないだろうと高をくくっていたアリアネルは、今日まで全く鎧を造らねばならないなどと言う考えに至っていなかった。
とはいえすぐに注文をしようとしたところで、今日中に出立、と言われているのに、街へ繰り出して採寸をしてもらい、夕方までに造り上げてくれ、と要望するわけにもいかない。たとえミュルソスの魔法でどれだけ金を積み上げようが、無理なものは無理だ。
そうなれば、魔法でアリアネル専用の物を造るしかないが――生憎、鋼を司る魔族は現在、空席だ。
空席の魔族の魔法を使おうと思えば、魔王に助力を乞う形でしか叶わない。
しかし、上級魔族の仕上げに入っている魔王の手を煩わせたくないという気持ちが働いたのだろう。
ゼルカヴィアは結局、近場にいた間に合わせとして、ミュルソスを伴って路地裏に現れ、その場で彼の能力で造れる中で最も硬度が高い白金を使い、アリアネルにぴったりの金属鎧を作らせたのだ。
ミュルソスが作り上げた白金の純度と面積の広さを考えれば、下手をすれば、その鎧一つで小さな家の一つくらい建つくらいの値段だろうが、時間がない中の間に合わせである以上仕方がない。
世間知らずのお嬢様という設定をこれ以上なく活かして押し切ってしまえ、というのがゼルカヴィアの指示だった。
「まぁでも、何はともあれ、体調は大丈夫なのね?よかった……現場でも、無理しちゃだめよ。そりゃ、現場は大変なことになってるはずだけど……聖気が少ないだろうから、治癒魔法だって、ポンポン掛けられるわけじゃないもの。どちらかっていうと、基本的な応急処置対応をする泥臭い救護活動がメインになると思うから、体力勝負になるんだからね!」
「う、うん。ありがとう、マナ」
こくり、と頷いてアリアネルは気を引き締める。
魔王から、なるべく高位の天使の魔法は使うな、と厳命されている。第一位階の天使の魔法を使うなど、もっての外だろう。
「それに、アリィは正天使様の加護を持っているんだから、治癒魔法よりも、能力向上の魔法の方が相性はいいのかも。後方支援として、元気な戦闘員にかけるっていうのも――」
「そ、それは難しいかな……私、その魔法、今まで一度も成功させられたこと、なくって……シグルトにお願いすることになるかも……」
慌ててマナリーアの言葉を遮って否定する。
正義と戦を司る天使は、戦争において彼が”正義”と断じた方を必ず勝たせることが出来ると言う。
その理由の一つが、正天使が操る能力向上の魔法だ。
古来より、扱いが難しく正天使の加護を得ている者にしか会得出来ないと言われているその魔法を、過去の勇者たちは巧みに操り、己が本来出せる能力値以上の力を出すことで、魔界で遭遇する強力な魔族にも対抗してきたと言う。
だがアリアネルは、一度もその魔法を使ったことがない。
正天使に助力を乞う形の呪文を唱えるというのは、直接正天使に語りかけることになる。魔王がどれほど強力な目くらましの魔法をかけてくれていたとしても、かつて赤子の時点で加護を与えたにもかかわらず村の滅亡とともに行方不明になったことになっているアリアネルの存在に気付かれてしまうだろう。
「いきなり実戦で使って、不発だった時、迷惑かけちゃうし……」
「そうね。まぁ、無理はしないでほしいってことが言いたかっただけなの」
「う、うん。ありがとう、マナ」
ぎこちなく笑って答える。
実は、鎧を着込んでいるせいで、自分の聖気が内側に溜まり、今まさに息がしづらい状態に陥っているのだが、それを伝えるわけにもいかない。
(ゼルは、オゥゾが私たちが到着する前に事態収束に向けて動いてくれるって言ってた。授業でも、オゥゾは人間が把握する中でも最恐に近い魔族だって教えられたし、騒ぎが起これば作戦に変更が生じるかも。それまで何とかやり過ごせたら、この息苦しさからも解放されるかな)
考えながら、鎧の面を上げて、深呼吸をする。
「ふぅ……」
そうしてアリアネルは、生徒たちの不安と恐怖で濃くなった周囲の瘴気交じりの空気を吸い込み、体調を整えながら進むのだった。
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