第175話 夢天使①
ゼルカヴィアとルミィが魔方陣を抜けると、そこには見渡す限り、雪一つない灼熱の大地が広がっていた。
「なんともまぁ、派手にやっているようですねぇ。魔王様の説得が上手くいかなければ、間違いなくオゥゾは瞬殺されていたでしょう。この有り様は、さすがに言い訳の仕様がない」
やれやれ、とため息を吐きながら肩を竦める。じわり、と額に滲んだ汗を拭いながら、ゼルカヴィアは後ろに続いて魔方陣を抜けた美女を振り返った。
「気持ちはわかりますが、そう気負わないでください、ルミィ」
死地に赴く覚悟を決めたような、凄絶な面を見せてピクリとも表情筋を動かさない魔族に、ゼルカヴィアは苦笑を刻む。
白地に薄青の紋様が刻まれた戦闘服に、彼女の獲物である長杖を携えた美女は今、冗談でも何でもなく、本当に死地に向かうような気持ちなのだろう。
「ゼルカヴィア様……私はもう、覚悟を決めました。オゥゾを連れて帰らぬ限り、私もここで――!」
「全く、暑苦しいくらいに真面目ですね、貴女は。ただでさえ暑いのですから、少しはクールダウンしてください」
頬を引き締めながら固い声音で口を開くルミィを遮ってから、思い出したように懐に手を入れる。
「そうそう。貴女に、これを渡しておきましょう」
「これは……魔水晶……?」
「はい。以前、魔王様の命令で赴いた竜の棲み処で採掘したものを、小さく砕いて加工しました。飲み込めるサイズになっているでしょう?」
手渡されたその藍色の鉱石は、小石程度の大きさで、体内を傷つけないようにという配慮のためか、綺麗に角を取られてつるりとした肌触りをしていた。
「オゥゾと貴女は、どれだけ戦っても勝負がつかぬよう、互角になるようにと魔王様に造られました。ですが今日は、オゥゾは、何らかの方法で摂取させられた魔石で魔力増幅をしている可能性は高い。普段の実力で正面から挑んだとて、貴女が負ける可能性も高いでしょう」
「ぁ……」
「貴女の魔法は、魔界勢力の中では防御力に特化した優秀なものです。もしも戦闘の途中で貴女が倒れるようなことがあれば、能力が一時魔王様預かりとなります。そうなれば、その瞬間から私も水魔法を今までのように自由に使うことが出来なくなるので、あっさりと貴女に死なれては困ってしまうのですよ」
「それは……」
ルミィは受け取った鉱石を手の中に握り込んで長い睫毛を伏せる。
魔水晶は、竜の魔法の源だ。
体内に入れることで、人ならざる者たちは魔力を増幅させ、本来よりも強い力を使うことが出来るようになると言う。
「私も、ここに来る前に一つ飲み込んできました。貴女も、オゥゾを見つける前に飲み込んでおきなさい」
「っ……」
上司の命令に、ルミィは声を詰めて俯く。
拒否は出来ない。上下関係は絶対だ。
だが、明らかに気乗りしない様子の美女の表情を見とがめ、ゼルカヴィアは片眉を跳ね上げた。
「何か、懸念点でも?」
「は……いえ……その……」
視線を揺らした後、ルミィは恐る恐る口を開く。
「怖く、て……」
「怖い?」
「魔王様もゼルカヴィア様も、この水晶に似た造りの魔石が、暴走の要因だと考えていらっしゃいました。もしこれを飲み込んで、前後不覚になり、暴走してしまったら、と思うと――……」
ぎゅっと瞼を閉じてか細い声で不安を吐露するルミィに、ゼルカヴィアはなるほど、と嘆息する。
瘴気を食べ過ぎて暴走する――これは、天使にはない、魔族だけの特徴だ。
ただ、基本的に魔族は、魔王の厳命で瘴気を食べ過ぎることを禁止されているため、暴走=魔王の厳命への反逆と捉えられ、処罰される。
強力無比な能力を有する上級魔族は、人間界に降りれば、少しの力で尋常ではない量の瘴気を容易く集めてしまうため、人間界で己の能力を使うときは、瘴気に酔わないよう殊更理性的振る舞うのが普通だ。
だがもしも今、魔石に似ていると言うその藍色の鉱石を飲み込み、理性を失って暴走してしまったとしたら、ルミィ自身も処罰を免れない。美女の不安はもっともだった。
「まぁ、貴女の不安も理解できますよ。体内に取り込んだ魔石を使って魔法を使うことで、意図せぬ飢餓状態が生まれ、飢餓を克服するためにさらに魔石を使いながら終わりの見えない被害を広げていく、というのが最近頻発している理性的な魔族が暴走するカラクリでしょう。魔石を使って魔法を行使する最初の『きっかけ』が、魔王様の幻覚による命令なのでは、という可能性が見えただけ進歩ですが」
そうでなければ、最近になって妙な暴走を繰り返す魔族らの死体から魔石が例外なく発見されるようになった謎が解けない。
必ず、魔石は一連の陰謀に繋がっていることだろう。
「ですが、今貴女に渡したのは、まぎれもなく竜の棲み処で私がこの手で採掘した物です。これは、世界のバランスを担うために地天使が固有魔法で生み出す鉱石と聞いています。魔王様が命天使の時代にお造りになった地天使は未だ存命で、今でも定期的に固有魔法の使用許可が来るとおっしゃっていました。少なくともこれは、竜族のために生み出された魔水晶――貴女が恐れる、天使が陰謀で造り出した魔石とは別物です」
「ですが……」
「これもまた使用者の暴走を引き起こすとなれば、天使は竜族をも意のままに操ることが出来ることになってしまう。魔族にしたように、幻覚を見せ、暴走させればいいのですから。ですがそうなれば、わざわざ魔族をチマチマ同士討ちさせる必要などないでしょう。……上級魔族でも、竜族に手こずる者は多い。脆弱な人間の勇者一行など使わず、魔界に直接、操った竜族をけしかければ話は早いわけです。それが成されていない時点で、”魔水晶”は、天使の陰謀とは無関係の、純粋な魔力増幅器としての役割しか持っていないとわかります」
竜は、瘴気とも聖気とも関係がない世界に生きている。人間がいてもいなくてもその生態系に関係がない、太古の存在だからだ。
その驚異的な存在を「ただのデカいトカゲ」と言い切れるのは、魔界においては魔王くらいしかいない。仮に天使が竜を意のままに操り魔界に送り込めるなら、あっという間に魔族の大半が滅ぶことだろう。
「そして、この鉱石で魔力を増幅できる回数は有限です。この程度の小ささであれば、下手をすると戦闘中に効力を失うかもしれませんね」
「えっ!?」
「まさか、一度飲み込めば無限に魔力を増幅出来る、とでも思っていましたか?もしそんな効力が付与されていたら、竜の生態の説明がつかないでしょう。水晶の純度と大きさに、増幅できる魔力の量が比例するのは、水晶に封じられる魔法のレベルや使用回数からも明らかです。まさか、かつてこの世界を席巻した竜という強大な生物の魔法行使の源が、たまたま飲み込んだ水晶に寄与する不確定な運要素の強いもの、とでも?」
「ぁ……」
呆れたように言うゼルカヴィアに、ルミィは己の無知を恥じる。
確かに、もしもたった一つの鉱石がずっと効力を発揮し続けるのだとしたら、竜は生れ落ちてから偶然最初に飲み込んだ水晶の大きさと純度で、その長い生涯の魔力増幅量が固定されてしまうということになる。
だが、地天使が定期的に固有魔法で水晶を生み出し世界のバランスを保っているという話からも、竜が日常的に大地の中の水晶を摂取していることは明らかだ。つまり、一度飲み込んだ水晶は、いつか効力を失うものであり、そのたびに摂取する必要があるのだろう。
アリアネルの指輪は、中級魔族であるミヴァの魔法を三回までしか封じ込められないが、首飾りは第三位階の封天使の魔法を数年単位で人間界に赴いても天使を欺き続けるほどに効力を発揮している。大きさと純度が、その水晶がため込める魔力の大きさに関わっているのは明らかだ。
今、ルミィの手の中にあるぺろりと一飲みに出来そうな大きさであれば、仮に水晶に頼って数度力を使い、飢餓感に襲われたところで、戦闘が終わることには効力を発揮できないただの石ころに成り下がっているはずだ。
「まぁ、気が乗らないというのなら、無理強いはしません。魔王様に本来与えられた能力以上の力を、一時的とはいえ魔王様の命令ではないところで手に入れるのですから、私の権限で強制するのも憚られますし。ただ――もし、それを飲み込まずに天使にやられそうになった時は、貴女の固有魔法をその水晶に込めてから死んでくださいね」
ゼルカヴィアとて、魔王が作り上げた序列や秩序を乱しかねないほどの力をルミィに与えたいわけではないが、状況を考えれば贅沢を言っていられないのも正直なところだ。
もしも、増幅器として使わないのならば、せめて人間たちのような使用方法として使って有効活用するべきだろう。
飲み込める程度の小さい水晶に込められるのは、古参魔族の固有魔法一発程度までと予想される。
ルミィが死んで能力が魔王預かりになれば、戦闘で防御力が落ちることは避けられない。せめて、いざというときのために、魔族が展開できる最強の防御魔法である彼女の固有魔法一回分くらいを残してから死んでくれ、というのが、魔王の命に背くことになるのではと恐れを抱くルミィにゼルカヴィアが要求できるギリギリのラインだ。
説明を終えると、ふいっと興味を失った様にゼルカヴィアはルミィから視線を外して周囲を見回した。
「どうやら、そろそろ夜が完全に明けるようです。魔王様との問答に時間をかけ過ぎました。早くオゥゾを見つけなければ、アリアネルの一団が到着してしまう」
「!」
東の空を見上げながらゼルカヴィアが言った言葉に、ハッとルミィは息を飲んだ。
「今の魔界事情を鑑みれば、オゥゾを何とか手駒として失わないようにしたいという思惑があるのは事実ですが、私は結構、本気でアリアネルの心配をしていますよ。――オゥゾ一人を失うことと、魔界の事情に精通している有能な天使候補のアリアネルが敵に捕らわれることを天秤にかけたとき、後者が傾く程度には、差し迫った魔界の危機だと感じています」
ゆるりと首を巡らせ、周囲を探る。
最初はイアスが。次に、オゥゾが。
強力な魔族が好き勝手に暴れたせいで、人間たちにとって今ここは、地獄よりも絶望に包まれた世界だろう。
瘴気の濃さは既に魔王城並だ。
「幸い、これだけの瘴気があれば、私の固有魔法も温存を気にせず存分に使えるでしょうが、それは最終手段です。この濃さであれば、夢天使も封天使もそうそう容易く顕現出来ないはず……姿を消して力を温存しながら様子を見守っているはずです。探しますよ。――アリアネルが到着する前に」
「はいっ……!」
キリリと表情を引き締めたルミィに頷いて、ゼルカヴィアは足を踏み出す。
より強い熱源がある方にオゥゾがいるのだろうと当たりをつけ、東南へ。
(この方角はたしか――サバヒラ地方の主要都市がある方角ですね。この状況で、より多くの人間に被害を出すように動いているとは、もはや『暴走していない』という可能性は完全に無くなりましたね)
胸中で呟きながら視線を遣ると、ルミィは、受け取った魔水晶を懐に大事に入れていた。
それは、交戦が始まってから飲み込むということなのか、いざというときは固有魔法を封じて覚悟とともにオゥゾを道連れに息絶えるという意思表示なのかはわからないが、今はその問答をする時間すら惜しい。
「いいですか。アリアネルが到着したら、その時点でタイムアップです。それまでにオゥゾを正気に戻せなければ、魔王様をお呼びします」
「っ……!」
魔王を呼ぶ――それが何を示すのか、わからぬルミィではない。
――オゥゾの救出を諦め、魔王の固有魔法でその命に終わりを告げさせるということだ。
「時間がありません。人間界に被害が多く出れば、本来成績優秀なアリアネルが最前線に出される可能性が高まります。そうすれば――当然、天使に発見されやすくなる。わかりますね?」
「っ、はいっ……はい、ゼルカヴィア様!」
「オゥゾを助けたいと、本気で思っているのなら。――死ぬ気で彼を見つけ出し、動きを封じて正気へ戻し、魔界へ送り返しなさい。私は天使捜索に専念しますから、オゥゾの対応は、貴女に一任します」
「はい!」
指示を飛ばすだけ飛ばして、二人は同時に強く大地を蹴る。
赤髪の魔族が暴れているであろう東南へ向けて、強く――強く。
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