第227話 封天使⑥

 大仰な音を立てて扉を押し開いた勢いのそのままに、アリアネルは前のめりで石床へと倒れ込む。

 能力向上の反動か、極限まで使用した全身の筋肉が悲鳴を上げ、もはや指一本動かすことさえ難しかった。


「アリィ!」


 大好きな兄の声が背後から聞こえ、安堵と共にそっと瞳を閉じる。

 どうやら、封天使との戦闘を生き延び、こちらへ向かってきてくれているようだ。


半重力ハーフ・グラビティ!」


 ”影”は唱えた呪文を解き放ち、己にかかる重力を半減させる。

 途端に身体が軽くなり、地を蹴れば一気に加速した。


(正体がバレた――!私が人間ではないと知れば、天使は私を殺すことを躊躇しなくなる!早く、”門”の中へ――!)


 封天使が上げた驚愕の声が届いてから、”影”は焦燥を募らせていた。

 ゼルカヴィアの存在を知っていたらしき封天使の声は――狂気を孕んでいたように感じたから。


「は――はははははははは!!!!ゼルカヴィア!ゼルカヴィアか!!!以前見たときから、随分と様変わりしたじゃないか。すぐには気が付かなかったぞ!」


 背後から狂った様に響く笑い声にも構わず、一足飛びで床に頽れる少女へと距離を詰め、掻っ攫うように腰を抱えて室内へ駆ける。

 明らかに、声色が変わった。まるで、人格が変わったかのようだ。もはや慎重に相手の出方を伺い、状況を見極めようとはしてくれないだろうと悟る。


 その声に滲むのは、愉悦。

 獲物を前にしたときの捕食者としての、余裕だった。


(あと、二歩――!)


 軽くなった身体で”門”までの目測を胸中で呟いた瞬間、ゾワリ、と背筋が泡立った。

 本能に従い、咄嗟に脇に抱えていた少女を深く抱き込むようにして身体全体で包み込む。


疾風ゲイル!」

「ぐっ――!」


 嫌な予感は的中し、背後から疾風の鋭い刃が、青年の背中に容赦なく幾つも突き刺さる。


「っ、ぉ、兄、ちゃ……」


 青年の身体越しに、連続して衝撃が伝わった。指先一つ動かせないほど疲弊したアリアネルは、薄目を開いて掠れた声を出すことしか出来ない。


(動いて――動いて、身体……!このままじゃ、お兄ちゃんが――!)


 鼻腔を擽る鉄臭い血臭に、気持ちだけが逸るが、青年は刃の雨が過ぎ去るまで決して少女を己の影から出すことなく庇い続ける。

 永遠に続くのではとすら思える刃の雨が止んだと思った瞬間、ジャララララ――と金属が擦れるような、耳障りな音が迫った。


「っ――!」


 ぐっと歯を食いしばった青年は、背中の痛みも無視して、渾身の力で手の中の少女を担ぎ上げる。


「っ!?お兄ちゃ――」


 アリアネルの抗議など聞く耳を持たず、そのまま青年は歯を食いしばり、小柄な少女の身体を光を放つ”門”目掛けて放り投げた。


「――!」


 驚愕に目を見開いた少女が最後に見た光景は、青年の背中から吹き出し床に広がっていく血だまりと、その背後から迫る漆黒の長い鎖。


 廊下の先で、鎖を放ちながら狂った愉悦に整った顔を歪ませて笑う天使と――


 ――光の中に飲み込まれる少女を見て、安堵に瞳を緩める、最愛の家族。


「お兄ちゃん!」


 枯れた喉から血を吐く思いで必死に叫ぶと同時に、少女の身体は、とぷんっ……と光に飲み込まれる。

 恐ろしさに一つ瞬きをした瞬間、目の前には、出発前と同じ不毛の荒野が広がっていた。

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