第60話 いざ、敵陣へ⑦

「ごめんなさい――……」


 馬車の座席に寝かされながら、アリアネルは絞り出すように謝罪を口にする。


「いえ。今日が見学の日で良かったです。……このまま、すんなり入園とはいかなさそうですね」

「ど……して……?」


 嘆息しながら告げられた言葉に、ゆるゆると瞳を開いて執事の格好をしたゼルカヴィアを見る。

 不安げに揺れる竜胆の瞳を困ったように見返してから、ゼルカヴィアはそっとアイボリーの髪に包まれた小さな頭をゆっくりと優しく撫でてやった。


「最後に話しかけてきた人物――あれがきっと、勇者候補のシグルト・ルーゲルでしょう」

「あれ……が……?」

「はい。庶民には見られない、綺麗な金髪碧眼をしていましたし――何より、天使が好みそうな、整った顔立ちでした」


 ふっと皮肉気な笑みを漏らしてから、ゼルカヴィアはゆっくりと続ける。


「貴女に勝るとも劣らない聖気の塊のような魂をしていることでしょう。それを前にして――そして、天使の加護を受けた生徒にぐるりと周囲を囲まれて、貴女は息苦しさに倒れてしまった。……魔界の瘴気に、慣れ過ぎましたね。まさか、ここまで聖気に弱くなってしまうとは」

「ご……め……」

「いいのです。……人間界での諜報活動に慣れている私でさえ、あの空間は少々気分が悪かった。特待クラスの授業と言うのが、あんなにも濃い聖気のたまり場になるとは想定外でした。まして貴女は、生まれてからずっと、魔界の瘴気に慣れることだけを考えて私が訓練をしてきたのですから。身体がついていかないのも無理はありません。入園の時期を伸ばして、何かしらの対策を練りましょう」

「うん……」


 慰められているのが情けなくて、腕で額を覆って弱々しく頷く。

 生粋の魔族のゼルカヴィアよりも役に立たない、人間の自分。

 魔族に比べればただでさえ脆弱な自分が、役に立てるところと言えば、人間界での活動だけだと思っていたのに――


「そう落ち込まないでください。貴女は十分、いい仕事をしましたよ」

「そんな――」

「本当です。魔石という謎の石について、断片的にではありますが情報を仕入れられました。シグルトという勇者候補と出逢うことが出来ました。魔王様直伝の素晴らしい魔法を見せつけて、途中編入でも全く問題ない優秀さであることまで周知しました」

「そ、んな……ことは……」

「あのクソみたいな教員の下卑た視線にもよく耐えましたね。貴女の身体を、不埒な目で不躾に上から下まで舐めるように見ていた時は、一瞬任務を全て忘れて、その場で殺してやろうかとも思いましたが――」

「ぜ……ゼル……??」


 場を和ませるための冗談だろうか、と思いながら視線を巡らせるも、青年のこめかみには、冗談の入り込む余地のないほどの太い青筋が浮かんでいた。


「特待クラスの生徒たちの心も奪えたようで何よりです。貴女の素顔を見て、皆一様に頬を染め、ざわざわと色めき立っていましたよ」

「へ……?」

「特に、笑顔一つで幼気な少年を道ならぬ初恋の沼に突き落としたのは、さすがとしか言いようがありません。素晴らしい。さすが、アリアネル。私と魔王様が手塩にかけて育てただけのことはあります」

「???」


 何やらよくわからないが、絶賛されている。


「いつも思ってたけど、ゼルって――」

「はい?」

「――意外と、親馬鹿だよね。そんな顔して」


 ふ……と思わず笑ってしまうと、これ以上ない渋面が返ってきた。


「誰が親ですか、誰が」

「ゼルだよ。私のおしめを変えてくれたのも、ミルクを飲ませてくれたのも、ゼルでしょう?」


 クスクス、と笑いながら告げるアリアネルに、ゼルカヴィアは小さく嘆息する。

 どうやら、少しは元気を取り戻してくれたらしい。


(アリアネルには、笑顔が似合いますからね)


 落ち込んでいる少女の顔を見たくない、と思うのは、もう、幼少期からずっと変わらない一貫した思いだ。

 この少女には、眩しいくらいの笑顔がよく似合うのだから。


「では、一度、魔界に戻りましょう。瘴気を吸えば、すぐによくなりますよ」

「うん。……迷惑かけてごめんね、ゼル」

「構いません。……赤ん坊のころの貴女に比べれば、随分と手がかからない娘に育ったものです」


 皮肉気に笑ってから、ゼルカヴィアは馬車の扉を閉めて御者台へと移る。

 馬の嘶きが響いて、ゆっくりと馬車が動き出したのだった。


 ◆◆◆


 魔界に到着した後、ゼルカヴィアがコツコツと靴音を響かせて城の廊下を歩いていると、目の前から見慣れぬ漆黒のローブを羽織った男が前方から歩いてきた。


「おや、ゼルカヴィア殿。お早い御戻りですね」

「貴方は――ルシーニ。辺境に引きこもって滅多に他者の前に姿を現さない貴方が、城にいるのは珍しいですね」

「魔王様への謁見ですよ。……城には目障りな人間の娘がいるとの噂がありましたが、今日は留守にすると聞いて、この機を逃すまいとやってきたのです」

「なるほど。相変わらず、ひねくれた考えの持ち主ですねぇ」


 序列が上であるはずのゼルカヴィアの前でも、ローブのフードを目深にかぶったまま脱がないのは筋金入りだ。きっと、魔王の前でも脱いでいないのだろう。

 その程度で気分を害すような器の小さな魔王ではないが、いつもゼルカヴィアは苦々しく思っていた。


(まぁ……アリアネルを拾ったワトレク村の二の舞を避けるためにと、他の魔族に唆されぬように上級魔族として生み直され、他の魔族や人間という存在から徹底的に距離を取る性格を付与されたと聞いてますが――この偏屈っぷりはどうしたものでしょうか)


 眼鏡を押し上げながら嘆息し、ふぃっとルシーニがやってきた方角を見る。


「魔王様は、まだ謁見室ですか?」

「いえ、今日の謁見者は私で最後だったらしいので、もう執務室にお戻りになられるとのことでしたよ」

「そうですか。ありがとうございます。……あぁ、ルシーニ。先ほど、貴方がいう所の『目障りな人間の娘』が帰ってきました。部屋でしばらく寝ているようにと指示をしましたが、不意の遭遇すら避けたいと言うのなら、西の出口からお帰りなさい」

「……ご忠告、感謝いたしますよ。ゼルカヴィア殿」


 フードの下でくぐもった声で返答をしてから、くるりとルシーニは踵を返す。言われた通り、西の出口へ向かうのだろう。


(ルシーニが来たということは、もしかしたら、暴走しそうな上級魔族がいるのかもしれませんね……全く、面倒なことは重なるものです)


 正気を失った上級魔族が暴走するとき、絶対と言っていいほどにルシーニの力を借りた魔法が使われる。

 それが、転移門ゲートと、空間を捻じ曲げる結界魔法だ。


 瘴気を得るための狩り場を作る時、大抵はルシーニの力を借りて狩り場を限定し、限られた範囲で狩りを楽しんだ後、十分な量を確保できれば結界をかき消して魔界へと戻る。

 だか、自分の力を借りた魔法を行使されるときは、力を貸す貸主側は、必ず貸す相手――魔法の行使者と、魔法が行使される場所を正確に把握出来るようになっており、下位からの命令や名前を用いぬ助力の嘆願であれば、情報を元に拒否することも可能だ。


(つまり、ルシーニは、世界中のどこでいつ転移門ゲートが開かれ、結界が張られたとしても、その全てを把握している、ということ……魔族の暴走を最も察知しやすい者ですからね)


 狩り場を造るようにして結界を張ったくせに、いつまで経っても行使者が転移門ゲートを開かない――どころか、張った結界を解くことすらしない、という場合は殆ど黒だ。そういう時は、早急に伝言メッセージで魔王へと連絡が入り、魔王やゼルカヴィアが直々に様子を見に行くことになる。

 気になるのは、結界を張ってからしばらくして転移門ゲートを開いて帰ったが、結界を展開している期間が平均よりも長すぎる場合だ。

 単純に、一緒に狩り場で食事をする魔族の中に、飢餓状態の者が複数いたために、いつもより狩りが長くなった――というのであれば、問題はない。

 だが、稀にそれは、魔族が暴走する予兆であることもある。

 必要量以上の瘴気を摂取する愉悦を覚えてしまった上級魔族が、これくらいなら大丈夫、というほんの少しを繰り返すうち、理性で押さえきれなくなって暴走してしまう――そんな例を、この数千年、嫌になるくらい見てきた。


 つまり、ルシーニは、魔王による処刑執行の告げ口役でもあるのだ。

 ルシーニ本人を抱え込んでしまえば、暴走の露呈が遅れ、ワトレク村のような悲劇が起きてしまうため、魔王は生み直したルシーニを、孤独を愛す偏屈者として造り上げたのだろう。

 その彼が、わざわざ辺境を出て城へと赴いたのだ。怪しい動きをしている者を報告するために、偏屈な性質を押してわざわざ魔王に謁見を申し込んだ――という可能性は、低くはないだろう。


 厄介事の気配に、やれやれと首を振ってから、ゼルカヴィアは魔王の執務室へと向かうのだった。

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