第156話 神殿⑧

 広場に戻ったアリアネルは、当然細かな裂傷と土汚れの付いた格好を皆に心配されたが、「つい屋上の彫像に見惚れすぎてしまい、集合時間と昼を食べ逃す危機を感じて、階段をショートカットしてしまおうとしたら着地に失敗した」と嘘をついて誤魔化した。

 嘘を吐くことは壊滅的に下手くそだと、常日頃からゼルカヴィアに言われているアリアネルだが、どうやら級友たちは信じてくれたらしい。

 正天使に加護を与えられるほどの殊更善良な魂を持つ少女が、嘘を吐くなど考えられなかったのかもしれない。あるいは、級友たちも皆天使の加護を得るほどの善良な魂故に、人を疑うということを知らなかったのか。

 何にせよ、知人を偽る罪悪感に胸を痛めながら日中をやり過ごした後、アリアネルは帰ってすぐにゼルカヴィアに今日の概要を報告した。


「ねぇ、ゼル、パパは!?直接、色々聞きたいことがあるの!」

「今、魔王様は地下で新しい魔族を造っていらっしゃる最中です。仮にヴァイゼルに匹敵するような上級魔族を造ろうとしているならば、あと数か月は出て来ていただけないでしょう。側近たる私とて、いつになるかは見当も――」

「じゃあ、私がパパのところへ行く!パパの居場所を教えて!」


 鼻息荒く言い募るアリアネルに、ゼルカヴィアは困った顔を返す。

 少女から概要を聞いただけでも、確かにすぐに魔王に報告すべき案件だ。ゼルカヴィアだけでは判断がつかないことが多すぎる。

 まっすぐに見上げてくる竜胆の瞳は、決して譲らないという覚悟を宿していた。


 しばらくその強い瞳を見つめていたゼルカヴィアは、やがて観念したように大きな吐息を吐く。


「わかりました。……魔王様に、お伺いを立ててみます」

「やった!ありがとう、ゼル!」


 太陽のような笑顔をはじけさせる少女にもう一度だけ嘆息してから、ゼルカヴィアはこめかみに手を当てて語り掛ける。


伝言メッセージ。魔王様。ご報告と、ご相談がございます――」


 苦い声で、主へと許可を申請する。

 概要の報告を黙って聞いていた魔王は、いつもより少し疲れた声で、返答を返した。


『ちょうど、最後の仕上げに入ったところだった。夜までには城内に戻る。……報告は俺の部屋で聞こう』

「えっ!パパのお部屋に行ってイイの!?」


 隣で聞いていたアリアネルは、思わず驚いて声を弾ませる。

 魔王と交流する場所と言えば、基本的にはお茶会が開かれる彼の執務室か、休憩中の太陽の樹の下。それ以外となれば、彼が魔法の訓練を付けてくれる中庭か竜の棲み処くらいだろう。

 当然、未だかつて、魔王の私室に入ったことはない。

 この城内でも、その私室に足を踏み入れることを許されているのは、彼の右腕たるゼルカヴィアだけだった。


『構わん。さすがに俺も、こう何体も連続して力のある魔族を造れば、聊か疲れる。だらだらと話に付き合う気はない。俺が眠るまでの間に話せ』


 つまり、アリアネルの報告を聞き終えたらそのまますぐに就寝したい、と言うことなのだろう。

 そんな理由を付けられたとしても、魔王の私室に入らせてもらえるなど、アリアネルにとっては奇跡のような事態に違いない。


「ありがとう、パパ!」

『フン……五月蠅い腹の虫を聞くつもりはない。飯を済ませてから来い」

「うん!お風呂にも入って、寝る準備万端にしてから行くね!」

「……アリアネル。くれぐれも、魔王様に失礼のない格好で来るのですよ?他の魔族も起きている時間帯に、男性型の魔族の往来もある廊下を薄着でうろうろするなど、もっての外です」


 少女が夏の間によく身に着けている透ける素材で作られた薄手の寝間着を想像しながら、ゼルカヴィアが引き攣った声で注意を促す。

 はぁい、と少し不満げな口を尖らせるのは、もしや注意しなければそんな恰好で来るつもりだったと言うことだろうか。

 もうすぐ十四になろうかという年齢でありながら、あまりに危機感のない娘に頭痛を覚えながら、ゼルカヴィアはふるふると頭を振るのだった。

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