第64話 親心③
ふわり……と室内の空気が動いた気配がして、アリアネルはベッドに横たわったまま、ゆっくりと視線を巡らせた。
「ぅわ。何だこの部屋。聖気だらけじゃん、気持ち悪ぃ。――アリィ、大丈夫か?ゼルカヴィアさんに言われて来てやったぞ」
「オゥゾ……?」
「おぅ。人間界で聖気に当てられてぶっ倒れたんだって?」
燃えるような真っ赤な短髪をした見慣れた魔族がずかずかと部屋に入ってくるのを視界の端に捉えながら、アリアネルはぼーっとした頭を持ち上げ、身体を起こそうとする。
「あぁ、いいって、寝てろ寝てろ」
「でも――」
「ほら、いいから。……こんな聖気だらけの部屋、相当気分悪いんだろ」
「ぅ……ごめん……オゥゾも、苦しいよね……?」
「うんにゃ?いやまぁ、確かにいい気分はしねぇけど――俺様を誰だと思ってんだ?魔界でも戦闘能力だけなら五本指には入る上級魔族様だぜ?そこらのカス魔族と一緒にすんな」
ハハッと白く尖った犬歯を見せて笑いながら、手近な椅子を手に取り、ベッドの傍へと持って行って腰掛ける。
「魔界に帰ってきてからちょっとは回復したって聞いてたんだが――回復して、それか?相当大変だったんだな」
「ううん……帰ってきたときは、もうちょっと元気だったんだけど……ゼルを見送ってしばらくしたら、どんどん苦しくなってきて――」
「ぅん?……あぁ、なるほど」
妙な話に疑問符を上げたオゥゾは、少し考えてから合点が言った様に声を上げた。
「どうせ、お前のことだから、寝てる間も、魔王様やゼルカヴィアさんの役に立たないと!とか考えてたんだろ」
「えっ――な、なんでわかったの……?」
「誰かに貢献したいって感情は聖気の元だ。アリィの場合は、『自分が多少辛くても』っつって自己犠牲精神まで含んでそうだから、なおのことだな」
「ぅ……」
「誰も魔族がいない密室で、独りで寝ながらうんうん唸ってそんなことばっかり考えてたら、いくら魔界の中だって言っても、勝手に聖気だけが増えてくだろ。……つまりお前は、自分が発した聖気で勝手に苦しんで、そのたびに『こんなんじゃいけない、役に立つにはこの程度じゃ弱音は吐けない』とか思ってどんどん聖気を発して――要するに、自分で自分の首を絞めてる状態だったってことだ」
「ぅぅ……」
「ま、俺様が来てやったから安心しろ。ここで、アリィが楽になるまで瘴気放出し続けてやるから。……あ、扉開けとくか。そっちの方が廊下の瘴気も入ってくるだろうし」
言いながら立ち上がってガチャリと扉を開け放つ。ふわり――と空気が動いて、ほんの少し胸が軽くなるような気がした。
「ありがと……オゥゾ」
「おぅ。いいってことよ。……ま、そのうち回復するから、安心しろ。体力も消耗してるだろうから、寝てていいぞ」
「でも――」
「大丈夫だって。……ほら。いい子だから」
再びベッド脇に腰掛けて、オゥゾは優しい手つきで頭を撫でてやる。
幼子にするようなその手付きに、ふふっとアリアネルは笑みをこぼした。
「なんだか、オゥゾとゆっくり過ごすの、久しぶりだね」
「んなこと言ったって、風呂に一緒に入らないって言いだしたのはアリィの方だろ」
「だ、だって――!もう私、九歳だよ……!?次の冬で、十歳になるのに――!」
「??……だから、何だ?」
かぁっと頬を真っ赤にして反論するアリアネルに、きょとん、と聞き返す。
魔族は、人間のような繁殖を行わないせいで、恋愛や性欲といった概念がないと言ったのはゼルカヴィアだったか。どうやらオゥゾも、思春期の入り口に立とうとしている女児が異性を意識する感覚は、よくわからないらしい。
「俺にとっちゃ、ついこないだアリィに逢ったばっかり、って感覚だぞ。俺の中じゃアリィってのは、ぷにっぷにのほっぺと、すべっすべの肌と、あんま~~~い香りを漂わせて、満面の笑みで『オゥゾ!』って言って両手広げて抱き付いてきてくれる頃の、最高に可愛い存在のまんまだ」
「い、いつの話してるの……!」
「?……ホントについ最近のことだろ?人間ってのは、本当に記憶力ねぇな」
「き、記憶力の問題じゃないよ……」
こういう時、改めて、自分と魔族は流れるときの速さが違うのだと実感する。
すっぽんぽんでルミィとオゥゾと一緒に風呂に入って楽しんでいたころを思い出して、かぁぁっと頬が真っ赤に染まった。
「ずりぃよな~。女だからって、今じゃ風呂に一緒に入るのはルミィばっかり。……なぁアリィ。夜までに体調良くなったら、今日は久しぶりに俺と一緒に入ろうぜ?」
「っ!?だ、だだだ駄目!!ルミィと入る!」
「え、なんでだよ。別にいいじゃねぇか」
「駄目!!!恥ずかしいの!」
湯気が出そうなくらいに顔を染め上げてブンブンと必死で否定され、オゥゾはつまらなさそうに口をとがらせる。そんなに拒絶しなくてもいいだろう。
「じゃあ、匂い嗅いでいいか?」
「えぇ!?」
「久しぶりだし。いいだろ、減るもんじゃねぇし」
「ぅ……べ、別にいい、けど――苦しくて汗かいた気がするから、きっと臭いよ……?」
「アリィが臭いわけねぇだろ。昔から、訓練直後の汗まみれのときでも、いっつも最高の匂いしてたし」
「ぇええ?オゥゾ、鼻、大丈夫?」
昔からのことで、ついうっかり受け入れてしまいがちだったが、よくよく考えるとこの男の発言は少し異常なのではないか――と軽く抗議してみるが、オゥゾ本人は何も気にした様子もなく、横たわっているアリアネルの頭に顔を近づけて、スンスンと鼻を鳴らした。
「あ~……久しぶりに嗅いだ……最っっ高に満たされる~……」
「お……オゥゾ……さすがにちょっと、その発言は本当に変態っぽいよ……」
うっとりと堪能しているらしい上級魔族の様子に、軽く引き気味に呟く。他者が見たら、幼女趣味の変態と言われても否定できないのではないだろうか。
「本っっ当、マジでゼルカヴィアさん、ミルクしか飲んでなかったころのアリィになんで会わせてくれなかったかな……ぜってぇ最高に甘い香りだったのに。世界で一番いい匂いだったはずなのに。くっ……時間を操る魔族とかいねぇのかな。魔王様に頼んで造ってもらえないか聞いてみようかな」
「オゥゾ……気をしっかり持って……」
くんくん、ふんふん、と頭のてっぺんから順番に匂いを嗅ぎながら血迷ったことを本気で呟くオゥゾに、呆れながらツッコミを入れる。
そして、気づいた。
臭いを嗅ぐくらいの至近距離にオゥゾがいてくれるおかげだろう。――随分と、息がしやすい。
「オゥゾ……ありがとう。楽になって来たよ」
「ぉ?マジか。じゃあ、寝ろ寝ろ。早く元気になれ」
よしよし、と大きな掌で頭を包むようにして撫でてくれる温かさに、ほっと心の緊張もほぐれていくような気がする。
昼間から、慣れないことをしていたせいでもあるのだろう。――眠気が訪れるのは、すぐだった。
「ん……オゥゾ……」
「ぅん?なんだ?」
「あり……がと……大……好き、だよ……」
眠りに落ちる直前、ふにゃ、と笑顔を作って甘えた声が愛を告げる。
そのまま、すー……と穏やかな寝息が聞こえてきた。
「……大好き、か」
昔から、アリアネルが太陽のような笑顔を振りまいては、嬉しそうに何度も伝えてくれた言葉。
苦笑しながらつぶやいて、安らかに寝入った寝顔を見て、頬をするりと撫でてやる。
くすぐったいのか、へらっと眠ったまま笑うのがまた、堪らなく愛おしい。
「……人間、なのにな」
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