第146話 王都へ⑥
おそらく、ゼルカヴィアから報告を聞いていたのだろう。
半身を起こした魔王は、アリアネルを問い詰めるように見つめていた。
「う、うん。ゼルに聞いたの。王都の周りは聖気でいっぱいだから、ただでさえ普通の魔族たちは近づけないのに、封天使の結界のせいで、天使と人間以外は入れないようになってるって。だから、私が――」
「いつ向かうつもりだ」
「えっ……は、早ければ次の夏の終わり――遅くても、来年には全員参加って聞いてるよ」
「お前は今いくつだ。まだ、加護はあるのか。この夏の終わりと言っているが、そのころにもまだ加護はあるのか」
「ぱ、パパ……?」
矢継ぎ早に質問されて、アリアネルは困惑する。
そもそも、期待などしていなかったが、アリアネルの年齢すら覚えていないことには寂しさを覚えた。
「私の誕生日は冬だよ。厳密には、私が生まれた日じゃなくて、ゼルが記録しててくれた、私が魔界に来た日だけど。……この前の冬で、十三歳になったの。次で十四。仮に来年に王都――その中にある神殿に行くとしても、まだ十四歳。加護はあるはずだけど」
「必ず水晶を持っていけ。そうでなければ、無駄に足を運ぶ必要などない。お前の助けなど無くても、魔界は変わらん」
ぶっきらぼうな父の言い草に、アリアネルはむっと口をとがらせる。
彼なりの心配の現れなのかもしれないが、さすがに、その言い方は酷くないだろうか。
「でも、王都にはパパも入れないんだよね。神殿は、昔から天使が顕現しやすくて、特に、正天使の目撃情報が多いって聞くよ。魔界侵攻作戦の前には、神殿で正天使から神託を受けてから行くのが一般的ってくらいなんだから――」
「何が神託だ。……”寵愛”を与えて、死んだらすぐに眷属になるようにしているだけだろう」
「へ……?」
吐き捨てるように言われた言葉に、アリアネルはきょとんと眼を瞬く。
「寵……愛……?」
「天使が加護を与えるのは、あくまで目印と生存確率を上げるためでしかない。まだ人間の文明が今ほど発達していなかった頃、奴らは本当にいとも簡単に死んだ。互いに争い合うことは勿論、自然や野生動物にすら負けて命を落とす始末だ」
「う、うん……」
「眷属となっても永続的に瘴気を発しない魂だけを迎え入れるために、選別は厳しく行う。眷属になる可能性を秘めた魂をみつけて、十五を過ぎるまで、生存確率を上げて経過観察をするのが加護の目的だ。他の天使とのトラブルを避けるため、最初に見つけたのは己だ、という目印もかねて」
確かに、外敵から身を守る術に長けている結界を張るシステムは、特に文明が未発達だった時代は命を守るのに一躍買ったことだろう。
聖なる乙女伝説でも、森に捨てられた無力な赤子を野生の獣から守るために、今まで決して誰にも加護を付けたことがなかった初代正天使が例外的に加護を付与した、とあったくらいだ。
「実際には、加護を付けた対象であっても、成長する過程で魂が穢れることは往々にしてある。それらを天界に迎え入れるわけにはいかない。加護を付けることがそのまま、眷属として認めることではないと、教えたはずだが?」
「うん、覚えてるよ。確かに、文明が未発達で、天使についてもよくわかっていない時代ならきっと、外敵から全自動で身を守る結界が現れる上に魔法が使える人間なんて、奇異の眼差しで見られるか、神格化されて崇められるかのどちらかだっただろうし……虐げられたり他者に過剰に祭り上げられたりしても、誰かを恨んだり驕ったりしないかを見極めることも出来て、丁度よいシステムだったのかも」
「そうだ。……だから、その”選別”を潜り抜けた人間には、加護が無くなる十五歳を超えた後に、眷属として認めるための"契約"が必要だ」
言って、魔王は軽く眉を顰める。
「――それを、俺たちは、”寵愛”と呼んだ」
「寵愛……」
人間界では、口付けと共に付与される加護を寵愛と例える者が居るのは知っていたが、その後の選別においてその呼称が用いられているとは思わず、アリアネルは目を瞬く。
さらに言えば、愛は理解から一番遠い感情、と言い切っていた父の口からそんな言葉が出るのが凄まじい違和感で、アリアネルが物言いたげに口の中で繰り返すと、魔王はもう一度顔を顰めて言い訳がましく口を開く。
「そう名付けたのは、治天使だ。……あの皮肉屋に相応しい」
フン、と鼻を鳴らして言いながら、魔王は続ける。
「天使は、造物主によって、”愛”を制限されている。……誰をどれだけ愛してもいいが、必ず一番深く『特別に』愛するのは造物主でなくてはならない、という下らない制限だ」
「うん……」
「しかし、眷属というシステムは、 見方を変えれば、人間を特別視することと同義だ。眷属と天使は、一蓮托生。絶対服従の眷属を手にすれば、便利な一面もあるだろうが、その眷属が何か過ちを犯せば、天使ともども処罰されるわけだからな。そのリスクを孕んででも、己の眷属に――と望むのは、その人間を誰より『特別』に想っているのではないか、と疑われる危険性を孕んでも仕方ない」
「――……」
思わずアリアネルは口を噤む。
今まで、魔王から聞かされてきた造物主の狂った行いを思い返せば、その疑いを招くのがどれほど危険な事なのか、嫌でも理解できてしまったからだ。
「俺としても、それを想定してシステムを作った。あくまで、眷属は俺の生成が追いつかぬ分を補うための臨時施策でしかない。制約は設けすぎるくらいでちょうどいい」
「パパ……」
「造物主に目をつけられ、処罰されるリスクを冒してでも傍に置くべきだと思えるくらいの魂の清らかさでなければ、天界に迎えるには相応しくない。……故に、面白がった治天使が、造物主をも恐れずに人間に与えるそれを、"寵愛"と名付けた」
「寵愛……」
「長い期間を経てこの習慣が根付いた後でも、これがリスクを冒す行為なのだと忘れぬように、加護にしろ寵愛にしろ必ず口付けという“愛”を想起させる過程を入れろ、というのも、思えばアイツの発案だったな。昔から、悪ふざけの好きな女だった」
アリアネルは目を瞬いて、鼻を鳴らす父を見返す。
「じゃあ、十五歳を過ぎて、加護を貰った天使にチューされたら、眷属になっちゃうの?」
「概ねその通りだ。厳密には、加護は目印でしかない以上、加護を付けた天使とは異なる天使が寵愛を与えれば、加護を付けた天使を差し置いて寵愛を与えた天使の眷属となるが――序列が絶対の天界で、第一位階の正天使に喧嘩を売るような真似をする天使はいないだろう。故に、勇者が魔界に攻め入る前に正天使が決まって現れるというのは、魔界で勇者が命を落としても、滞りなく魂を回収出来るように、邪魔の入らない人間界で寵愛という名の契約を結んでいるに過ぎない。酷く身勝手なそれを『神託』とありがたがる人間どもの精神は、理解が出来んな」
下らない、と言わんばかりに吐き捨てる魔王の言葉を頭の中で咀嚼しながら、アリアネルは疑問を口にする。
「ってことは、もし、不慮の事故とかで、天使にキスされる前に死んじゃったら、眷属にはならなくていいの?」
「そういうことになる。だから、これは天界に迎え入れるに相応しい魂だと確信したタイミングで、すぐに寵愛を与える者が多い。……寵愛の本質は、人間の身で眷属になるという”契約”だ。それが結ばれた後に、万が一にも魂や身体を穢されるようなことがあってはならない。故に、寵愛を授けた瞬間から、眷属と変わらぬ制約の元、天界に迎え入れることが可能になる」
「えっ、どういうこと!?」
「人間としての命を終えて死ぬまで、天界に迎え入れ、寵愛を与えた天使の元に保護をする、ということだ。……寵愛は契約だと言っただろう。結ばれた瞬間から、人間は寵愛を与えた天使に名前を支配され、絶対服従を強いられることになる。その制約の下で、天界で人間としての生を終えるまで保護しておくのが一般的だった。……当時は、な」
初めて聞くそのシステムの詳細に、アリアネルは驚きながらも納得する。
「そっか。……じゃあ、もしかして、過去、魔界に行くって決まった勇者たちが、途中で逃げ出したり作戦を諦めて人間界に帰ったりしなかったのって――」
「寵愛を施した後なのであれば、名前で縛っているのだろう。本人の意思がどうであれ、魔王を討つまで決して帰ってくるなと厳命することが出来る訳だからな。……本来の運用方法とは異なる上に、『人間を意のままに操ってはならない』という造物主の定めたルールに抵触しそうな行いだが、その辺りを今の造物主がどう捉えているかまではわからん。……勇者が魔界に来るようになって何千年と経つことを鑑みるに、恐らく黙認しているということなのだろうが」
魔王は、微かに目を伏せる。長い睫毛が、頬に昏い影を落とした。
「でも、『神託』を下すのは正天使だけ、って聞いたよ。他の天使――例えば、毎回必ず勇者パーティーには治天使の加護付きが組み込まれるけど、治天使が討伐前に現れるって話は聞いたことないの。どうしてかな……?」
「言っただろう。原理としては、”寵愛”は加護を付けた天使と異なるものが与えても構わない。正天使が手駒としての眷属を増やしたいと思えば、治天使や他の天使の加護がついている者に寵愛を与えればいいだけだ。俺がいたころであれば、トラブルを生みかねないそんな行いを許しはいないだろうが、今の正天使に逆らえるものはいない。お前が持ち帰った人間界の知識が、異常に偏っているのが良い例だ。アレに物申せるのは、今となっては造物主と治天使だけだが、共依存に陥っている造物主はアレに逆らうことはないだろう。治天使に至っては――まぁ、あの性格だからな。中立を標榜するだけして、我関せずを決め込むだろうな」
魔王の話を聞いて、アリアネルは頭の中で聞いた情報を整理する。
「ふぅん……じゃあ私も、天界に行きたくないなら、十五を過ぎたら正天使だけじゃなくて、全部の天使に気を付けないといけないってこと?」
アリアネルの発言に、ぴくり、と魔王の肩が小さく跳ねる。
少女は口を尖らせながら、ぼやくように言葉を続けた。
「嫌だなぁ……パパを苛める正天使や造物主が力を持っている天界になんて、行きたくないよ、パパ」
「それは――」
「それに、チューは、大好きな人に、大好きって伝えるための特別なものなんだよ?どうしてそんなシステムにしたの」
「いや……それは俺の発案ではなく、治天使の――」
「シグルトが加護をもらったときの話を聞いたけど、正天使は全然シグルトのこと好きじゃないっぽかったよ?気持ちがなくても、天使は人間にチューしたら、加護や寵愛を与えられるってことでしょ?」
「それは、そうだが……そもそも、最初に仕組みを考えたときの狙いは――」
「あっ!もしかして、加護とか寵愛のチューって口にするの!?それは何かヤだ!」
ガバッと顔を上げてアリアネルは蒼い顔で父に訴える。
「いや……額や頬にすることが多いと聞く。稀に、手などにする個体もいるようだが――唇への口付けなど、間違いなく造物主の反感を買うだろう。そんな行いをして、相手に『特別』な感情など抱いていない、と主張したところで弁明が難しい。自殺願望でもなければ、基本的に唇へは避ける者が多いはずだ」
「仕組みを考え出した張本人なのに、なんでそんな他人事なの?……あ、そっか。パパは、今まで誰にも加護とか寵愛とかを与えたことないんだっけ」
だからすべてが伝聞調なのだろう。アリアネルは納得してから、ふっとため息を漏らした。
「なんだか複雑な気持ちだなぁ」
「?」
「パパが、もう何万年も生きてるのに誰にも加護を与えることはなかったって聞いて――やっぱり、って納得する私と、ちょっと寂しいなぁって思う私がいるの」
「寂しい……?」
「うん。パパが、造物主の制約があっても、寵愛を与えたいって思うくらい大事に思う人がいたらよかったのに、って。……だって、眷属って、死んだ後もずっとずっと、その天使の傍にい続けるんでしょ?」
言いながら、アリアネルはローテーブルに頬杖をついて考える。
眷属となって天界に迎え入れられれば、寿命という概念からは解放される。
今目の前にいる父と同じように、何千、何万という年月を生きる存在になるのだ。
気の遠くなるようなその時間を――一番傍で、ずっとずっと過ごす相手は、やはり、口では何と言ったところで『特別』な相手なのではないだろうか。
「俺が眷属を従える理由はない。あくまであれは、天使の総数を増やすための仕組みだ。俺は自分で命を生み出せるのだから、眷属を迎える理由など欠片もないだろう」
「それはそうなんだけど、さ。……あ。ねぇパパ」
アリアネルは思いついたように父の顔を見る。
「私が十五歳を過ぎて――もし、パパにキスしてもらったら、私、パパの眷属になれる?」
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