第一章

第2話 聖騎士養成学園

 原初の世界――それは、”造物主”と呼ばれる神が創ったと言われる。

 神はまず初めに、二つの世界を創った。

 争いも苦しみも存在しない、清く正しい”天使”たちが住まう夢のような楽園――”天界”。

 そして、天使たちの糧となる”聖気”を生む人間が住まう――”人間界”。

 

 ”聖気”は、いうなれば、”善”の気のこと。人間が善行を積むと発せられる気だと言われている。

 故に、聖気を喰らう天使たちは、少しでも多くの聖気を得るために、人間界が善行で包まれ、穏やかで平穏な世が続くことを奨励する。そして、その見返りとして、生涯聖気を多く生成し、魂を穢すことなく清らかなまま命を終えた人間を、死後、天使の眷属として天界に迎える僥倖に預からせた。


 造物主は、誰も哀しみ苦しむことのない、完璧な世界と仕組みを作った――つもり、だった。


 しかし、造物主の予想に反して、人間は酷く愚かだった。

 天使たちの導きにも関わらず、人間は互いに争い合う。本来、清らかな聖気を発するはずの人間が、醜い”悪”の気をまき散らす。

 悪の気は”瘴気”と呼ばれ、それは天使にとって猛毒に等しかった。人間界に満ちた瘴気は、天界に染み出して、天使の命を脅かす。


 天使の悲痛な訴えを聞いた造物主は、瘴気を排出するための世界として、新しく"魔界"を創り、”魔王”を造ると、無秩序だった魔界を統治せよと命じた。

 魔王は天使を真似て、瘴気を糧に生きる”魔族”を生んだ。

 

 真逆の存在たる天使と魔族は、決して相容れることなく、人間界を挟んで睨み合い、幾千年の月日が過ぎて――現代。


 痺れを切らした正義を司る"正天使せいてんし"が、己の力を分け与えた人間を"勇者"と名付け、幾度も魔界への侵略を試みる、混迷を極めた時代に突入していた――



 ◆◆◆



 学び舎に、キラキラと白い陽光が窓から差し込む。


「……で、あるからして、明日のブルグ村魔族討伐作戦に抜擢されたメンバーは、ル=ガルト神聖王国の栄えある聖騎士団の補佐として赴くことになる。とはいえ、学園卒業間近のこの時期、卒業後の入団も見据え、諸君らには正規の聖騎士と遜色ない振る舞いを求められるだろう。天使の加護を賜りし存在として、国民に恥じぬ――」


 昨日までのどんよりとした冬の曇り空を忘れるほどの、昼前の穏やかな陽気は、老人特有の聞き取りにくい活舌と、似たような話を何度も繰り返す退屈さが絶妙なハーモニーを奏で、教室中に抗いがたい暴力的な睡魔を振り撒いた。


「本日午後の自由時間は、選抜メンバーはもちろんのこと、惜しくも選抜から洩れた者においても――……む?」


 永遠に続くのではと思う子守唄を、高らかな鐘の音が切り裂く。午前の授業が終了した合図だ。

 少し不服そうな顔をした老教師は、気を取り直すようにコホンと一つ咳払いをして、開いていた手元の教本をパタンと閉じた。


「それでは、今日はここまでとする。栄誉ある選抜メンバーは、明日に備え、午後はしっかりと準備に勤しむように。それでは、解散」


 しゃがれた声で宣言して、矍鑠とした老人がきびきびと教室を出て行った途端、ほぼ全員が疲れたため息交じりの欠伸と伸びをする。

 今日の授業はこれが最後だ。解放感に溢れた今年十五歳になる少年少女たちは、自分の気持ちに正直に、一瞬でがやがやと騒がしくなった。

 ゆっくりとノートや教本を鞄へと仕舞う者、友人の元へ駆け寄る者、昼食だけは食べて帰ろうと食堂や購買へ急ぐ者――


「アリアネル!」


 教室に元気な声が響き、一人の少女が肩をはねさせた。


「マナリーア。どうしたの?」


 振り返る動きに合わせてふわりと揺れる、よく手入れされているアイボリーの長い髪。日焼けなどとは無縁の抜けるような白い肌と、すっと通った美しい鼻筋。化粧などしていなくても目を吸い寄せられそうな瑞々しい桃色の唇と、瞬きの度に風が起きそうな長い睫毛。それに覆われて守られている瞳は、吸い込まれそうな美しい竜胆りんどう色をしていて、怒りに染まっているところを未だかつて見たことがない。

 美術館の天使画から抜け出してきたのではないかと思うほどの美少女――アリアネルは、帰宅準備を進めているところだったようだ。


「ごめん、すぐに帰る!?」


 現世に降臨した天使に、マナリーアと呼ばれた少女は泣きそうな顔で縋りつく。

 どうやら、何か頼みごとがあるらしい。


「え?うん。今日は午前中で終わる、ってゼルに伝えちゃったし……もうすぐ、迎えが来ると思うけど」


 チラリ、とアリアネルは教室の窓から外を眺め、眩さに軽く眼を眇める。真昼の日差しは、たやすく美少女の網膜を焼いた。


「今の授業のノート見せてくれない!?全っっ力で眠っちゃって!!」

「ぇえ!?マナ、明日の選抜メンバーでしょ!?何をやってるの、もう……」


 竜胆の瞳を驚愕に大きく見開いた後、はふ……と呆れた顔を隠しもせずため息を吐く。

 やれやれと首を振った後、今仕舞ったばかりのノートを鞄から取り出し、学友へと差し出した。


「まだ、馬車は来てないみたいだから。でも、急いでね?」

「うんっ!恩に着る!本当にありがとう~~!ホンっっト、アンタってマジで天使~~~!」

「人間だよ。……まったく、もう」


 ノートを受け取り、若草色の瞳を潤ませて大袈裟な感謝を伝えるマナリーアに、思わず苦笑が漏れる。

 マナリーアは言われた通り、すぐさま自分のノートに写してしまおうと、その場で借りたノートを開いた。


「ぅわっ、すご!めちゃくちゃ見やすい!さすが優等生!これなら、作戦に参加しない第三者が見ても一目瞭然だよ!」

「はいはい。何でもいいから早く写しなよ」


 調子の良い学友の言葉を流しながら、アリアネルはもう一度窓の外を見る。眩い光の向こうの正門に、まだ迎えの馬車の影は見えない。


「ぅ~わ、ダッサ。なんだよマナ、お前、もしかして寝てたのか?」


 後ろから聞き馴染みのある声がして教室を振り返ると、一生懸命ノートを写しているマナリーアを覗き込むようにして、背の高い少年が軽口をたたいている。


「うっさい馬鹿シグルト。黙ってて!」

「誰が馬鹿だ、誰が。選抜メンバーに選ばれてるくせに、作戦行動の授業で居眠りする奴に言われたくねぇよ。俺はちゃんと最後まで起きてたからな」


 二人の気安いやり取りに、ふっとアリアネルは思わず笑みを零す。

 シグルトは、天使に加護を賜るメンバーだけが集められたこの”特待クラス”の中でも、特異な存在だ。

 すらりと高い身長も、天の祝福を受けたような黄金の髪も、見惚れるような群青色の切れ長の瞳も――天使に加護を賜る者は美形が多い、という通説を考慮しても、十分すぎるほどに美しい造形。それに加えて、かの有名な使の加護を賜った、数年ぶりの”勇者”候補ともなれば、学園中の女子生徒がキャーキャー言うのも頷ける。


(さすが、幼馴染……最近じゃ、どこへ行っても王子様扱いのシグルトに、こんな気安く軽口を叩けるのは、マナリーアだけだよね)


 この『聖騎士養成学園』は、ル=ガルト神聖王国が所持する聖騎士団に入団するために子供たちか通う学び舎だ。

 天使の代理として人間界を脅かす魔族を討伐する聖騎士団は、一般庶民が手にすることができる職の中では最高ランクの給金だろう。

 とはいえ、命がけのその道に進むには、相応の覚悟がいる。学園に関しても、安くはない入園料と授業料を支払う必要があるため、誰にでも門戸が開かれているわけではない。

 だが、この国で唯一――天使の加護を賜った子供だけは、貴賤なく、入園料も授業料も一切免除された上で、『特待クラス』に入れられる。

 親元を離れて通う者も多いこの特待クラスで、入園前からの友人がいること自体、非常に珍しいことなのだ。


「アリアネルも、あんまり甘やかすなよ。こいつ、すぐ調子に乗るから」

「あーもーうっさいわね!明日、アンタが怪我しても治癒してやんないわよ!」

「おまっ……それは卑怯だろ!」

治天使ちてんし様の慈悲だって有限だって言ってるのよ」

「治天使様じゃなくて、お前の問題だろーがそれは!」


 いつも通りの口喧嘩をする二人を前に、アリアネルはくすくすと笑いを漏らす。

 治癒と慈悲を司る治天使の加護を持つマナリーアの本質は、どこまでも慈しみ深く優しいと知っているが、どうしてだか彼女はシグルトの前では意地悪なことを言うことが多いのだ。


「そう言えばアリアネル。お前、今日は体調いいのか?」

「え?あぁ、うん。午前中だけだったし、元気だよ」


 ふいにシグルトがこちらを向いたので、アリアネルはふわりと笑みを湛えて答える。


「明日、お前も行けたら心強かったんだが――やっぱり、無理だよな」

「うん……ごめん。こればっかりは、体質だから私の意志だけじゃどうにもならないし――」

「あ、悪い。責めてるわけじゃないんだ。ただ――同世代に二人も正天使様の加護を賜る人間が現れるなんて、前代未聞だろ?ブルグ村は今、魔族の巣窟になってるっていうし、卒業前に、一度でいいから実戦でお前と一緒に戦ってみたかったって言うか――」

「最高に格好いい俺の勇姿を間近で見てくれ!……ってことでしょ?」

「バッ……!そ、そんなんじゃねーよ!!!」


 ノートを写しながら茶々を挟んで来るマナリーアに、ほんのり耳を赤くしてシグルトは反論する。


「ま、でも、仕方ないわよ。アリィの瘴気耐性の無さは、とても魔族の前に連れて行けるようなもんじゃないでしょ。聖気の塊みたいな、天使様のお気に入りばっかりが通う特待クラスの授業中ですら、微弱な瘴気を感じ取って気分が悪くなるくらいだし。幼少期に育った環境と周囲の人間が影響するんだっけ?まぁ、あんな人里離れた山の上のお屋敷に住んでたら、瘴気になんて慣れようもないだろうし。加護を付けた正天使様も、きっと想定外だったのよ。だから代わりに、図太くて健康的なシグルトに未来を託して加護を付けたんじゃない?」

「お前、明らかに俺にだけ棘があるだろ」

「そう?気のせいよ、気のせい。……よし、終わった!本当にありがとう、アリィ」


 マナリーアは写し終えたノートを閉じてアリアネルに差し出す。

 

「ゼルカヴィアさん、もう来てる?」

「ううん、まだみたい。午前中の仕事が立て込んでるのかも」


 窓際に近づいてひょいっと正門を確認するマナリーアに答える。時間は正確に伝えたはずなのだが。


「いいなぁ……私も、イケメン執事に傅かれて毎日送り迎えしてもらいたいわ」

「……イケメン?」


 うっとりとした顔で呟く学友に、怪訝な顔でアリアネルは聞き返す。それを見て、マナリーアは驚愕した。


「え゛。何その反応。滅茶苦茶格好いいじゃん。ちょっと陰のある感じの、ミステリアスな大人の男!って感じで――」

「ぇえええ???……嘘だぁ」


 アリアネルはこれ以上なく困惑した顔で友人に返す。どうやら、本気でそう思っているらしい。


「え、何、アンタ、目ぇ腐ってんの?」

「いや、まぁ、確かに冷静に見ると顔のパーツは整ってるかもだけど……ゼルは私が赤ちゃんの頃からのお世話係だよ?よく言っても『お兄ちゃん』って感じで――そんな風に見たことは一度もないなぁ」


 あっけらかんと言ってのける天使の美貌を持つ美少女に、マナリーアはニヤリと笑ってドン、と幼馴染のわき腹をつつく。


「だってさ。よかったね、ライバルじゃないって」

「だからなんで俺に振るんだよ!」


 かぁっと顔を赤らめてシグルトが反論するも、マナリーアはどこ吹く風だ。


「あ。馬車、来たかも」

 

 そんな二人のやり取りに気付かず窓の下を覗くアリアネルが声を上げると同時に――


「アリアネル様」


 天使の後ろに、すっと小柄な人影が現れた。

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