第220話 大地を司る天使②

「何……?」


《察するに、其方らは魔界の事情に精通しているらしい。我を敵視する気持ちもわかる。こんな所から、身動き一つできぬ身の謝辞で留飲を下げることなど適わぬと知っているが、それでも誠心誠意謝ろう。其方らの世を不当に脅かし、世界の秩序を乱す一端を担ってしまったこと――心より申し訳なく思う。すまなかった》


「っ、何を、勝手な……!貴方たち天使の暗躍のせいで、死ななくていい人間と魔族が大量に死に、人間界には魔界で消費しきれないほどの瘴気が吹き溜まりのように渦巻き、下級魔族らはその瘴気に中てられて己もいつ暴走してしまうのかと怯え――世界を正しく回そうとする魔王様の献身をあざ笑うかのような貴方達の身勝手のせいで、一体、どれほどの存在が迷惑を被ったと思っているのですか!」


 ”影”は思わず激昂して声を荒げる。それは、ゼルカヴィアが常に抱えていた本音の部分だろう。

 

《謝って済む問題ではないともわかっている。だが、この場にこうして身動き一つ出来ぬように拘束されている身には、謝罪以外の償いが出来ぬのだ。申し訳ない》


「勝手なことを――!」


《我は、其方らよりはあの正天使の性格を知っている。おそらく、一時的に瘴気を増やし、魔界が飽和して魔族ですら消費しきれない状態になった後、これ見よがしに荒れ果てた地に救世主のような顔で降臨するのだろう。そこで、奴と奴の眷属でいくらかの”奇跡”を起こして見せ、聖気を発生させてその地を浄化する――人間からは感謝され、今までの劣悪な状況からの反動で清廉な聖気が集まり、天界は潤う。そういう計画だろう》


「そんな――酷い!裏で魔族を操ってその地域を荒らしておいて、素知らぬ顔でそれを助けることで求心力と聖気を得ようだなんて――!」


 アリアネルは絶句し非難するが、”影”は小さく舌打ちをして、感想を述べることすら不愉快だと言わんばかりに顔を顰めた。


《勿論、正天使の横暴な振る舞いを、良しとする天使ばかりではない。眷属ではない古の天使――かつて、命天使様に造られた天使らは、本来の、あるべき天界の姿と天使のありようを知っている。……だが、無意味だ。正天使の背には、造物主がいる。治天使様は、造物主の意向を汲んで”中立”を標榜された。もはや我らは、正天使に従うしかない》


 地天使の諦めたような声音に、ぐっと拳を握り締めてやり場のない気持ちを逃がす。


「自分は命令されただけで、生成した魔石がどのように使われるかまでは知らなかったから許せ――という訳ですか」


《そのように責任逃れをしたいわけではない。もしも其方らが我に何らかの償いを求めるのであれば、誠心誠意応えたいと思う。だが……この場から動けない我には、出来ることがとても少ない》


 痛ましい表情は、本心でそれを告げているとわかった。

 アリアネルは一つ唾を飲み込んでから、そっと口を開く。


「あの……貴方はそもそも、どうしてそこに捕らわれているの?」

「アリィ……!」

「だ、だって、気になるじゃない。敵勢力の私たちに真摯に謝罪が出来る誠実な貴方が、天界に味方の一人もいないなんて思えない。誰かに助けを求めたら、その鎖だってきっとどうにか――」


《無理だ。……無理、なのだよ。今の我には、ここで、正天使の命令を聞く傀儡としての『役割』しか与えられていない》


 ふるふる、と首を力無く横に振る地天使に、アリアネルは哀しそうに眉を下げる。少女の脳裏には、昨年この部屋に来た時の問答が思い出されていた。

 

「それは、やっぱり……造物主以外の誰かを特別に愛してしまったから……?」


 一瞬、室内に冷たい沈黙が降りる。

 星の瞬きすら聞こえそうな沈黙の後、盲目の天使は困ったように笑った。


《そんなに悲しそうな声を出さないでくれ。其方の心地よい聖気が陰ってしまう》


「だ、だって……」


《今の我の役割は二つだ。一つは、其方らが言う”魔石”を命令通りに作ること。指示はいつも、正天使の命を受けた眷属の夢天使が持ってきていた》


 ごくり、と唾を飲んで地天使の言葉に耳を傾ける。


《もう一つは――ここで、決まった時期にやってくる人の子らの選別をすること》


「選、別……?」


 竜胆の瞳を何度も瞬いて、アリアネルは言葉の意味を問いかける。

 それは、魔王もゼルカヴィアも誰も予測していなかった、初めて飛び出した単語だ。


《そうだ。人間たちはある時期になると、途端にこの部屋に訪れるようになる》


「ぇ――」


《吐き気がするような瘴気を纏う神官に連れられて来る人の子らは、部屋の中央に座り込み、我に己の魂の清廉さを問う》


「まさか――眷属になる人間を”選別”してるの……!?」


 かつて老齢の教師が教えてくれたことを思い出し、アリアネルは顔を青ざめさせる。

 知識の点と点が繋がっていく気配に、ドクン、ドクン、と心臓が不穏な音を立て始めた。


《そうだ。ここに来るのは、加護が消えた年齢の者しかいない。今の我には、視覚で直接魂の輝きを認知できないが、この光を宿さぬ網膜を貫くほどの強い輝きがあれば、すぐに感知できる。ここへ来た時点で、我の瞼を焼くほどの魂は、眷属として迎え入れるに相応しい》


「待って。じゃあ、稀にここで天使の声を聴く人がいるっていうのは、貴方の声を……?」


《あぁ。我が眷属に迎えるに相応しい魂だと告げると、人の子は瘴気を纏う神官らに別室へと連れられて行く。そのまま、隔離された部屋で正天使が”寵愛”を与え――逆らえぬ身となった人の子を、飲まず食わずの状態で放置することで、本来の寿命を待つことなく、”眷属”にする》


「「な――!?」」


 ぞくり、と思わず背筋が凍る。


(ま、待って……確か先生から聞いた話では、ここで声を聴くと、神官になったばかりの若い人は隔離されて特別な研究を任されて……老齢の神官は、功績を褒められてそのまま王城に連行されることもあると噂が……)


 思い返してみれば、妙な話だ。

 もう何百年も繰り返されてきた儀式のはずなのに、実際に神殿に長く勤めて自身も儀式を受けたはずの老齢の教師ですら、曖昧な表現が多すぎる。

 

 特別な研究というのが、何なのかも明かされない。王城に連行されるか否かも、噂の域を出ない。

 

 だが、もしも地天使が告げた内容が真実だとすれば、全てに合点が行く。

 天使の眷属として迎えられるに相応しいと認められた神官のその後については、非人道的と言えるその措置を公にしないため、徹底して秘匿されているのだろう。


《この仕組みで、眷属を安定して生むことが出来るようになった。眷属が正天使の配下に集中するという不平等は生じるが、命天使様の魔法で天使を新たに生むことが出来ない今、眷属を絶やすことなく迎える仕組みは”正義”の行いなのだと断じられては、逆らうことは出来ぬ。人間側には、偉大なる正天使の眷属になれる栄誉だと刷り込んでいるようだが、この地が瘴気の吹き溜まりになっていることから察するに、この歪な仕組みが良い影響を生んでいるとは言えぬようだが》


 正天使が”寵愛”を与えてから、隔離された部屋でやがて訪れる死を待つといっても、その過程で生じる強烈な飢餓感をなかったことには出来ない。儀式の顛末を秘匿するため、事情を知る神官は、拘束や消音といった魔法を使う必要があるだろう。

 空腹に苦しみ救いを求める人間を拘束し見殺しにする役割を担うなど、正気の沙汰ではない。

 神殿の研究施設棟に瘴気が色濃いのは、この歪な儀式を世間に秘匿しながら、何百年も繰り返しているせいかもしれなかった。


(年中拘束されている地天使が選別を行い、”寵愛”は地天使から連絡を受けた正天使が後から与えるなら、人間界の季節や時間という概念に疎い問題も解決できる。神官は元々魂が綺麗だから事前に篩に掛けられていて効率的だし、若い時点で死ぬなら、寿命を迎えるまでの長い生で魂が穢れてしまう心配もない。退職時にも再度選別することで、絶対に候補者を見逃さない仕組みになっているのね)


 予期せず明らかになった事実に、アリアネルは唇を噛み締めて俯く。

 地天使は、天使たちの中でも人間に好意的な存在として有名だ。その彼が、この仕組みを”正義”と断じられて強いられている現状を想うと、胸が潰れる。


《聖気が陰っているぞ、人の子よ。其方は本当に優しい心根を持つようだ。我の話に心を痛めてくれているらしい。……だが、忘れるな。我は其方らが魔石と呼ぶ鉱石を言われるがままに生成し、貴殿らの世を乱した諸悪の根源だ。同情は必要ない》


「そうかも……しれない、けどっ……」

「アリィ。天使の言う通りです。今は、成すべきをしましょう」


 平坦な声で”影”が言い、一つ前に歩み出る。


「一つ、最後に問います。私たちと共に、魔界へ来る気はありませんか」


《何……?》


 ”影”はゼルカヴィアと同じ声と調子で、淡々と告げる。


「魔界には、貴方が涙を流して無事を喜んだ魔王様――貴方が言うところの使がいらっしゃいます。今もご健勝で、恐らく貴方が生み出されたころと、その本質は変わりません。誰に対しても公平で、公正で、『役割』に忠実に生きる御方です」


《あぁ……それでこそ、我らが頂く偉大なる天使――》


「ですがご存知の通り、決して慈悲深いという訳ではありません。貴方が助力してきた眷属を不当に増やす行いや、魔石を作ったことで生じた世界の混乱を鑑みたとき、許容出来ぬと思えば、相応しい罰をお与えになるでしょう」


 アリアネルはごくりと唾を飲み込む。

 相応しい罰――と言われて、命を司る魔王のそれが何を意味するのかは、自明の理だ。


「ですが、貴方が本当に罪を償いたいと思っているのなら――最後の慈悲です。初対面の謎の男に首を刎ねられるか、敬愛するかつての主に罪を懺悔し、償いとしてまっとうな死を与えられるか。貴方に選ばせて差し上げましょう」


 盲目の天使は迷い、押し黙る。

 ここに捕らわれて、既に何百年が経過していると言っていた。本来、人々の繁栄を積極的に助ける献身的な性格の男が、身体の自由を拘束され、夢天使を通じて悪事に知らぬ間に加担させられ、数えきれないほどの多くの人間たちの命を奪ってきたとあれば、”影”の申し出は飛びつきたいくらいにありがたいものだっただろう。

 だがそれでも、二つ返事が出来ない理由が、男にはあった。


《……無理だ》


「まさか、この期に及んで、序列がどうのと言い訳をするつもりですか!?」


 慈悲をかけた相手に裏切られた気持ちで、思わず”影”は声を荒げるが、「違う」と地天使は静かに否定した。


《其方の申し出は、これ以上なく甘美な選択肢だが――我が魔界へ赴けば、我の献身を条件に天界で監視されている花天使は、無事ではいられまい。正天使は、”正義”の名のもとに嬉々として彼女の首を刎ねるだろう》


「「な――!?」」


《無理なのだよ。己の命などより、よほど大切なのだ。愛しい、愛しい、唯一なのだ。その生殺与奪を握られては、我に選択肢などない。どれほど尊厳を踏み躙られようと、彼女を盾にされては、要求を吞まざるを得ない。……我に出来ることならば何でもすると言いながら、不義理を働くようで申し訳ない。罵ってくれて構わない》


 疲れたような声で、痛ましい色を浮かべたまま、大地を司る優しい天使は続ける。


《だから、もしも選ばねばならないと言うのなら――どうか、今、ここで、我を殺してはくれないか》


 救えない憂鬱を孕む哀しく重い沈黙が、狭い部屋に満ちていった。

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