第221話 【断章】天界の語らい

 どこからか、心地よい音楽が流れてくる。今日もまた、歌天使がその美声を響かせ、楽器を奏でているのだろう。

 燦々と陽光が降り注ぐこの世の楽園に、二人の天使が相対していた。


「それで?夢天使の躯はちゃんと処理できたのかい?」


 青々と葉を茂らせる大樹の枝に腰掛け、片足を行儀悪く立てながら、短髪の天使が樹の根元に控える天使に語り掛ける。

 その瞳は燃え盛るように赤く、腰には一振りの剣を帯びていた。


「はい、滞りなく。彼女が持っていた大量の魔晶石も、全て回収しました」


 答える天使の切れ長の瞳は、純度の高い宝石のようなエメラルド。精悍な顔立ちをした男型の天使は、樹の下に広がる花畑に膝をつき、従順な態度で報告をする。


「うん、それでいいよ。天使が魔晶石に頼って戦っていたことが人間たちに露見すれば、天使を特別視する見方が揺らいでしまうかもしれないからね。全く……眷属の連中は、僕や君のような純正の天使に比べて本当に脆弱で嫌になる」

「……そもそも、夢天使を第二位階などという高位に据えたことが間違いだったのでは」


 配下の進言を受けて、樹上の天使――正天使は、ふっと馬鹿にしたように笑う。


「仕方ないだろう?先代の夢天使は、気弱で臆病だったから御しやすかったのは事実だけれど、第五位階程度じゃあ上級魔族相手に固有魔法を仕掛けるなんて芸当は出来ない。古参魔族を相手取ることなんか夢のまた夢だ。少なくても、第二位階までの魔法を、不完全でも即座に使用できる程度の権力を与えてあげないといけなかったんだから」

「……左様ですか」


 元来の鋭い眼光を隠すように、エメラルドの瞳を伏せた封天使は、自分で疑問を口にした癖にその回答にさほど興味もないような返事を返す。

 クスクス、と妙に耳に残る笑いが樹上から響いた。どうやら、封天使の態度は不興を買っているわけではないらしい。


「夢天使は、あの忌々しい命天使と戦ったんだろう?」

「はい。あの御方が私の名前で魔法を行使する気配を感じましたし、実際見つけた夢天使の躯は私の魔法で拘束されていました。……あの御方は、魔族を処罰するのに、拘束魔法を使いません」

「ふぅん……まぁ、おかげで今回、異常事態が発生していると気づけたのは良かったけれど。君の迅速な対応は見事だったよ」

「は……ありがとうございます」


 樹上から雑に与えられる賛辞を、長い睫毛を伏せて受け止める。

 夢天使の陰謀は良く知っていた。その陰謀は、必ず伝言メッセージの封印を伴うためだ。

 高度な封印であるそれは、眷属である夢天使には難しかったらしく、封天使が直々に魔晶石に魔法を込める必要があったため、作戦実行のタイミングはいつも事前に知る事ができた。

 夢天使に魔晶石を渡した後は、予定調和。魔王の手によって魔族が処刑されるのを待つだけでいい。


 いつだって、攻撃魔法を防ぐ障壁は使用する癖に、拘束魔法を使うことはない魔王に、天界時代から変わることの無い彼の矜持を見て、胸を焦がした。

 相手を拘束し、尋問し、弁明を聞いて許す――などとは一切考えない、無慈悲な王。

 一度処罰すると決めて現場に赴いたのならば、例えどれほど信頼していた配下であっても、その決定を覆すことはしない。己の決断に絶対の自信を持ち、どんな命乞いも聞かず、無慈悲に命を奪うその光景は、ありありと想像できた。

 魔力障壁も、高位魔法に属する。聖気を管理するための羽を失くしたにも関わらず、未だに圧倒的な威力と練度で展開される無詠唱魔法に、背筋が寒くなるほどの畏怖を抱いていた。


 だからあの日、魔族が暴走させられているはずのサバヒラ地方で、予定調和が崩れて魔王が拘束の魔法を発動したことに違和感を覚えたのだ。


 万が一を考え、すぐに現場へと向かえば、神門バベルが展開されて地上に降りることが出来ない状態となっていた。

 すぐに、夢天使が何らかの失態を犯し、魔王に拘束されたと悟った。

 

 神門バベルを魔法で解呪することもよぎったが、第三位階に過ぎぬ自分が一人で現場に乗り込んだところで、魔王を前に何もできるはずがない。

 大人しく神門バベルが解かれるのを待ち、既に魔界勢力が誰もいなくなった現場に討ち捨てられていた夢天使の躯を拾い上げ、人間たちに気付かれるよりも先に天界へと撤収したのだ。


「まぁ、夢天使を使った悪巧みも、いつまでも通用する手じゃないと思っていたけれど、予想外に主力魔族を殺してくれて助かったよ。鋼の魔族と炎の魔族を討ち取れたのは僥倖だ。愚かな眷属が、随分役に立ってくれた」


 クスクスと耳障りな声を上げる正天使に、封天使は瞳を伏せたまま無言を貫く。


 かつて命天使が己の能力を補うために設けた”寵愛”という制度を、この男は随分と都合よく解釈して私物化している。

 制度が造られた当時は、眷属として迎え入れるのは己が加護を付けた人間に限るのが暗黙の了解だった。

 魂の輝きを幼少期の時点で見極める能力の高さと、造物主との制約に抵触するリスクを冒してでも傍に置くべきだという強い信念を讃えて、褒美として自分の言いなりとなる眷属を持つことを許されていた。

 命天使がいた時代は、眷属は純正の天使にとって優秀さを示す一種のステータスであり、誰でも持てる存在ではなかった。

 主は眷属を大切に扱い、”寵愛”という名に相応しく愛を注いだものだった。


 しかし今の正天使は、当時の習慣を嘲笑うかのように、何の思い入れも愛も抱かない。

 ただ、絶対に己に逆らうこと無く手足のように従う駒を増やすための制度、としか思っていないのだ。

 口では適当に相手をその気にさせる言葉を吐く癖に、眷属は所詮愚かな元人間、と蔑視する姿勢は変わらず、こうして純正の天使しかいない場では当然のように侮蔑の言葉を吐いてみせる。


「さて、次はどんな手を打とうか。当代の勇者は、なかなか良い潜在能力ポテンシャルを持っているからね。鋼と炎を失った魔界相手なら、もしかしたらもしかするかも」

「炎は、さすがに早急に次の個体を造られるのでは。上級魔族ではなく、中級程度に抑えてでも、とりあえず造ってしまえば、天界に奪われる心配はないとお考えになるはずです」

「うん、さすがに僕もそこまで楽観視していないよ。ただ――中級程度の炎の魔族など、取るに足らない。人間に過ぎない勇者でも簡単に蹂躙できる」

「……仮に勇者が上手くことを運んだとしても、流石に、あの御方を討ち取ることは出来ぬでしょう」

「ハハッ、それはそうだ。だがいくらでもやりようはある。高位天使や眷属を引き連れて、僕が直接乗り込んでもいいけれど――出来ることなら、勇者の侵略で大打撃を喰らった魔界勢力にもう一つ二つくらい陰謀を仕掛けて、魔王を人間界に引っ張り出したいね。瘴気が濃いところでは、僕らは全力を出せないから」

「……そうですね」


 愉快そうに笑う樹上の天使に、封天使は感情を読ませない平坦な声で同意する。


「それにしても、惜しかったなぁ……」

「?」

「言わなかったっけ?当代の勇者は高い潜在能力ポテンシャルを持っているけれど――本来、僕が最初に目を付けたのは、もっともっとすんごい魂だったんだよ」

「あぁ……かの有名な、先代正天使を惑わせた魂と同等の輝きを持つ赤子、でしたか」


 十数年前に、興奮気味に正天使が話していた内容を思い出す。

 本来、直接視認できる距離まで近づかなければわからないはずの魂の輝きが、天界まで届くほど眩しい光を放っていたというのだ。

 普段は加護を付与するまで三年以上は待つものだが、例外として生後間もない赤子に付与したのだと、興奮して触れ回っていた。


「まさか、疫病の魔族にちょっかいを出されて、死んじゃうとはね。加護は、外敵から身を守ることは出来ても、病や飢餓からは守ってくれないから」

「あの頃、人間界では大きな戦争が起きていました。貴方はその平定で忙しくされていた記憶があります。事前に魔族の襲来を察知できずとも、仕方ないでしょう。ただでさえ人間界の時間の進みは早い。少し目を離すだけで数年経っている、などということはザラですから」

「それはそうなんだけれど……あぁ、やはり悔しいなぁ。あの赤子が生きていたら、どうなったんだろう」


 にやり、と正天使は口角を吊り上げる。


「先代や、かの命天使すら惑わせた魂と同じ輝きを持つんだよ?もし生きていたら、戦士として有望なだけじゃなくて、色々な使い道があったと思わない?」

「……どうでしょうか。たらればの話は、あまり好きではありません」

「ふふっ……相変わらず、面白みのない男だなぁ、君は」


 耳障りな笑いを上げる樹上の天使の声を聴きながら、ふと、違和感を感じて封天使は顔を上げる。

 切れ長の瞳を瞬き、背後を振り返った。


「?……どうしたんだい、封天使」

「いえ……少し、違和感が……」

「違和感?」


 ピタリと笑いを止めた正天使には応えず、感覚を辿る。


(解錠の魔法……助力を乞う形で、強制力はないが、魔界へ続く”門”の部屋を……開けた……?)


 勇者が魔界へ侵攻するには、まだ早い。何より、目の前にいる正天使の”神託”の後に実施されるそれが、目の前に本人がいるにも関わらず行われるはずがない。

 その部屋は、造物主から賜った”門”を安置する殊更神聖な場所だ。日常で神官たちが訪れることはない。

 造物主の完璧な奇跡の御業によって造られた”門”は、手入れの必要すらないのだから。


(魔法の行使は丁寧だ。速度も練度も、人間にしては驚異的なレベル。盗人でも入り込んだか?)


 盗人が喜ぶようなものが置いてある部屋ではないが、施設の中を良く知らないならば、当てずっぽうで開けた可能性もなくはない。


「どうしたの?もしかして、また命天使が――」

「いいえ。あの御方の魔法行使ではありません。……些事、でした。気を尖らせすぎました。申し訳ございません」


 ふるっと頭を振って懸念を振り払い、謝罪すると、呆れたような嘆息が降ってくる。

 どうやら、会話に興味を無くしたようだ。


「もういいよ。解散だ。君は、本当に面白みがない男だね」

「は……申し訳ございません」

「全く……僕に対して、表面上は従順に恭しく振舞ってみせるくせに、いつまで経ってもあの忌々しい男へ敬意を払うことを止めないんだから」

「――……」


 封天使は押し黙る。

 天界を追われた魔王を『あの御方』と呼び、敬う言葉遣いを決して崩さない。

 どうやら正義の天使は、会話の節々に共通する封天使の魔王への敬意に、へそを曲げたようだ。


「でも、忘れないでほしいな。……僕に逆らうことは、出来ないよ?」

「勿論、承知しております。私は、と造られておりますから」

「フッ……本当に、面白みのない男だ」


 バサッと力強い羽音が響き、正天使の身体を支えていた太い枝が重みを失い撓って音を立てた。


「君の能力は、眷属で代用できるものじゃない。どこまでも有能な君の、変わらぬ忠誠を期待しているよ」

「は……」


 封天使は膝をついて従順に頭を下げ、羽音が遠ざかるのを待つ。

 やがて、周囲には歌天使の奏でる音楽のみとなった。


「……さて」


 地面に突いていた膝を上げて立ち上がる。数枚の花弁がはらりと舞い落ちた。


「杞憂だとは思うが――一応、確認だけはしておいたほうがいいだろう」


 背後を振り返り、独り言ちる。

 一つ羽音を響かせて、王都の真上――人間たちが神殿と呼ぶ建物の空に設置された”門”に向かって、封天使は移動を開始するのだった。

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