第214話 敵地潜入②

 目的の扉の前に立つと、魔王はさりげなく周囲に目を配り、誰もいないことを確認した後、ノックという動作をすっ飛ばしていきなりドアノブに手をかける。

 ガチッと硬い感触が返ってきて、部屋の主が用意周到に鍵をかけていることを知った。


「な――誰ですか!?こんな時間に――」

解錠アンロック


 室内から慌てた声が聞こえるが、無視して手をかざして魔法を解き放つと、無情なまでにあっさりと鍵が開く。


「っ!?」

「入るぞ」


 この城の主の入室を阻むことなど許しはしないとでも言いたげな尊大な態度で宣言し、堂々と扉を開けて入室する。

 傍若無人な魔王の振る舞いに、部屋の主は空気だけでもわかるほどに狼狽し、息を飲んだ。


「魔王様!?なぜ、このような場所に――!」

「放っておけばお前が逃げると思ったからだ」


 端的に答えながら、最後の慈悲で、閉じた扉に軽く指を振って再び施錠してやる。魔力の導きに従い、触れたわけでもないそれは、ガチャリ、と小さな音を立てて再び侵入者を阻む役割を果たし始めた。


「随分と久しぶりに見る顔だ。そんな容貌だったか。さすがの俺も、最後に見たのが一万年前ともなれば、懐かしさを感じる」


 室内に足を踏み入れれば、部屋の中央に立っていた青年――アリアネルが”お兄ちゃん”と呼ぶ金髪の青年は、気圧されるように後退った。

 見れば、明かりに照らされた顔は哀れになるほど真っ青で、どう見ても予期せぬ来訪者に戸惑っているのは明らかだ。

 予想通りと言えばそれまでだが、それでも魔王はやや不機嫌に鼻を鳴らし、ため息を吐く。


「そう怯えるな。ゼルカヴィアに言っただろう。別に、お前に危害を加えるつもりはない」

「いえ……そんな……そのようなことを、恐れている、わけでは……」


 言いながらも、額にびっしりと珠の汗をにじませて、じりじりと擦り足で距離を開ける様に呆れる。


「今のお前はゼルカヴィアと異なり人間に近い組成をしているとはいえ、記憶はそっくり受け継いでいるのだろう。ゼルカヴィアと思考パターンが異なるわけでもないと聞いている。……それなのに何故、それほどまでに距離を取る」

「そ、れは……」


 黄色掛かった緑色の瞳が泳ぐように宙をさまよう。

 呆れたように鼻を鳴らして、魔王は部屋の隅に開かれ煌々と光を発する巨大な紫の魔方陣を顎で指した。


「そこに開いている転移門ゲートは、日没前にゼルカヴィアが開けたのか。行先は、神殿とつながる魔界の入り口――たかが、魔界の中を転移する程度に、随分と魔力をつぎ込んだものだ。作戦行動開始の時刻まで消えぬように、という配慮か」

「は……申し訳ございません。魔王様の右腕を名乗るも恥ずかしい、非効率な魔法をお見せしてしまい――」

「魔法の非効率を咎めているわけではない。……一言、俺に言えばこの程度の問題は解決しただろう。それを怠ったことを咎めている」


 半眼で告げながら、腕を組んで不機嫌にその理由を問いかける。

 ”影”は狼狽しながら、必死に言葉を探した。


「このような些事で魔王様のお手を煩わすなど――」

「無駄に体力と魔力を消費した状態で、重要な任務に望まれる方が、煩わしい」


 ばっさりと言い訳を切って捨てられ、”影”は顔を苦く歪ませる。どうやら、口先で言い逃れることを、魔界の王は許してくれないらしい。

 この”影”の戦闘能力は、せいぜいアリアネルと同程度くらいだと、ゼルカヴィアは言っていた。おそらく、上級魔族にしか扱えぬほどの高位魔法である転移門ゲートは、”影”には扱えないのだろう。

 ゼルカヴィアが昼間のうちに魔水晶に事前に込めるにしても、転移門ゲートほどの高位魔法となれば、純度の高い飛び切りの水晶に一回分までしかこめられないはずだ。様々な状況を想定して持っていく水晶を厳選している中で、魔界の中での移動などという些末なことに水晶を使う訳にはいかない。

 

 ”影”の存在は魔界におけるトップシークレットだ。

 当然、今夜の作戦を知るのは魔王とゼルカヴィアとアリアネルのみである。他の魔族に計画を漏らす訳にはいかなかった。


 だから、一言で良い。魔王に、行きと帰りの転移門ゲートを開いてくれと頼めば、事足りた話なのだ。

 わざわざゼルカヴィアが日没前に、体力と魔力を消費してまで長時間消えない大掛かりな魔法を発動する必要などなかった。

 

「魔王、様に……何も告げずに、出ていくつもりでした」

「フン……だろうな」


 観念した”影”は、項垂れるようにして正直に白状する。

 腕を組んだまま、トントンと指で苛立ちを表すようにリズムを取って、魔王はじっと金色の旋毛を眺め、視線だけで続きを促した。


「魔王様に……このような、見苦しい姿を晒したくは、なかったのです……」

「見苦しい?」


 苦しそうに吐露された”影”の不可解な言葉に、ぎゅっと魔王の眉間に皺が寄る。

 

「意味が分からん。確かに、髪や瞳の色は様変わりしているが、顔の造りそのものはゼルカヴィアと変わらないだろう」


 アリアネルがいつも、魔王は面食いだと言っているように、天使も魔族も、醜い顔立ちで造られた存在はいない。魔王の傍に侍る存在は、全て美しいモノしか許されない。

 彼に造られた天使たちにもその習性は備わっているのか、やがて眷属として迎え入れることを想定された加護付きの人間たちもまた、不思議と美しい造形の者ばかりだ。


 ゼルカヴィアは、魔王が造った命ではないと言われているが、それでも一般的な美の基準に照らし合わせれば、十分規格外の造形美を誇っている。

 眼鏡をはずせば、中性的な美しい顔立ちが際立つ、誰が見ても息を飲むような容貌だ。


 一体、それのどこが見苦しいと言うのか、不可解な発言に魔王は首をかしげる。

 しかし、”影”は平伏する振りをしながら、まるで魔王の視線から逃れるように顔を伏せ、言葉を紡ぐ。


「私のこれは、魔族にあるまじき容貌です。貴方は、忌々しい過去を思い出すと言って、決して魔族には黄金の髪を持つ存在を造りませんでした」

「それは――まぁ、そうだが」


 かつて命天使が造った純正の天使は皆、黄金の髪と純白の羽を共通して持つ。髪型や、黄金のくすみ具合などの微妙な差異を無視すれば、金色の髪は天使全てに共通するアイコンであることに変わりなく、人間界においてさえ、それは天使の象徴とされてきた。

 あまり天界での暮らしに良い思い出がない魔王は、造物主の意向を反映させる必要のない魔族を造る際に、天使を連想させるような金髪を造ることはなくなったという。


「まさか、そんな理由で、この一万年、俺を避けていたとでも?天使を連想させるような外見だから、と?」

「いえ、それは……」

「馬鹿馬鹿しい。金の髪を持つのは何も天使だけではない。人間界でも、絶対数は多くはないが、特定の一族にはそれなりに存在していると聞く。金髪であればすぐに過去を連想するほどでもないだろう。……まさか、髪の色ごときで、俺が不機嫌になるとでも?」

「申し訳ございません。ですが――魔王様にとって好ましくない外見であることは、事実ですので」


 頑なに、”影”は顔を上げようとしない。


「貴方の御心を、仮にさざ波程度であっても、決して煩わせたくない、と願う臣下の心です。ご容赦くださいませ」

「フン……理解不能だ。臣下、などと――そもそもお前は、魔族ですらないというのに」


 全く納得のいかない説明に、不機嫌を露わに鼻を鳴らしてから、魔王は跪く”影”へと近づき、手を伸ばした。


「顔を上げろ」

「っ……!」


 命じながら、拒否することは許さないと言わんばかりに、無理に顎を掴んで顔を上げさせる。

 焦ったように色を失った顔を、魔王は正面からじっと眺めた。


「フン……こうしてみると、確かに奇妙な感じがある」

「っ……お離しください。今の私は、おっしゃる通り、魔族ではありません。お手が穢れます」

「構わん。……万年も傍にいるが、ゼルカヴィアの顔をこの距離でじっくりと眺めたことはなかった。己が造ったわけではない整った造形を眺めるのは、興味深い」

「っ、お戯れを……」


 ふぃっと顔を背けて逃れようと試みるが、がっしりと掴まれた魔王の大きな手はびくともしない。ただでさえ”影”には人間と同程度の力しかないのだ。物理的な抵抗など、何の意味も成さないだろう。


「存外、中性的な顔をしているのだな」

「っ……」

「ゼルカヴィアはいつも、眼鏡をかけているだろう。おかげで、顔の造形に関する印象が薄い。視力が悪いわけでもないだろうに、妙な奴だ」

「っ、都合が……良い、のです。他者を欺き、感情を読ませぬには、あの硝子板が――」

「フン。小賢しい。だが、あの男が考えそうなことではある」


 鼻で嗤って、可哀想なくらいに青ざめている”影”を解放してやる。

 安堵したように息を吐いて、すぐに再び顔を伏せてしまった男を見て、呆れたように息を吐いた。


「そこまで徹底するか。……まぁいい。興味深い時間が過ごせた」


 一万年、徹底的に魔王との接触を避け続けた”影”の外見をじっくりと眺めるというのは、稀有な体験だった。普段、ゼルカヴィアの外見にあまり気を配っていなかったことも相まって、魔王は存外楽しんだようだ。


「お前の瞳は、特殊な色をしているな」

「――!」

「思い返せば、過去にその色をした瞳の個体を作った記憶はない。別に、何か意識をしていたわけではないが――」


 ”影”が顔を伏せたまま息を飲む。

 魔王は、先ほど覗き込んだ瞳を思い描いた。


 飴色にも似た黄金の長い睫毛に縁どられた、くっきりとした二重瞼の美しい瞳。

 ゼルカヴィアの深緑とも違う。封天使のようなエメラルドとも違う。地天使の黄土色とも違う。

 黄色みを帯びた、ややくすんだような緑のそれは、まるで――


「まるで――」


 魔王が考えを口にしようと唇を開いたときだった。


 トントン、と軽く扉が叩かれる音がする。


「あの、アリアネル、だよ。準備、出来たから――ここ、開けてくれる?」


 こそこそと、周囲を警戒するような小さな声で告げてくるのは、”影”の存在がトップシークレットだという魔王の言葉を覚えているからだろう。


「……今開けよう」

「えっ、パパ!?いるの!?」


 万が一にもその姿を他の魔族に見られるわけにはいかない”影”が扉口に行くのはリスクが高いと判断し、魔王が答えると、扉の向こうから素っ頓狂な声が聞こえた。

 少女の能天気な声は、魔王と二人きりで狼狽していた”影”の緊張も和らげたらしい。

 魔王が雑に指を振って魔法で解錠してやるのを見ながら、ふ、と”影”は気が抜けたように肩から力を抜いたのだった。

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