第130話 マナリーア④

 ガタガタと揺れる馬車の中を、重い沈黙が支配する。


「……何か、言いなさいよ」

「あぁ……」


 目の前に座る馴染みの顔に、憎まれ口を叩いてみるが、シグルトは迷った様に口を開いた後、そのまま意味ある音を紡ぐことが出来ぬままその唇を閉ざした。


「……悪い。色々、あり過ぎて――珍しく、参ってる、かも」

「そうね。……どんな時も明るくて前向きな勇者シグルト様にしては、珍しく」

「……茶化すなよ」


 返ってくる言葉に張り合いはない。それはきっと、マナリーアの声も、いつもの半分以下に弱々しいせいだろう。

 生まれて初めて臨んだ、魔族討伐作戦への追随行動。

 そこで見たのは、控えめに言っても”地獄”と表現するに相応しい光景だった。


「完全な、人型だった。俺たちと、何も変わらない……上級魔族、だ」

「そうね」

「あんな……のが……いる、のか……魔界、には……」


 ぎゅっとシグルトは己の手を膝の上で握り込みながら、絞り出すように口にする。

 マナリーアは、力無く視線を窓の外へと投げた。

 二人が戦場で意識を取り戻したとき、そこは凄惨な地獄の様相だった。

 壊滅した本陣。夥しい量の血液が地面へと沁み込んでいて、死体が折り重なっている。その中には、つい今朝まで笑いあった学友が、冷たい肉塊となって倒れていた。

 光を失った学友の虚ろな瞳を見てしまったときの、本能的な恐怖は言葉にしがたいものだった。


「お前の呼びかけに答えて治天使様が現れて、撤退してくれたからよかったものの……あのままだったら、俺たち――」

「加護がどこまで頑丈か、なんて試したことないから、いつか加護の結界を破られて、あたしたちも死んでたかもね。そもそも、加護が無ければ、あたしたちだって、最初の一撃であの折り重なった死体の仲間入りだったわ」

「っ――!」


 ぎゅっとひと際強く手を握り込み、シグルトが息を飲む。

 再び馬車の中が陰鬱な空気に支配された。

 伝言メッセージで、聖騎士団と学園には報告を済ませている。彼らもとても驚いていたから、これは非常に珍しい事態なのだと悟った。

 つまり、人類は――上級魔族と戦った経験が、殆どないのだ。


 大人たちは、凄惨な現場に遭遇してしまったシグルトとマナリーアを心配し、気にするなと言って、子供たちだけでも馬車を使えるように手配してくれた。

 帰り道は何も考えず眠ってしまえ、と言われたが、どうしても、二人ともそんな気持ちにはなれない。


「大丈夫よ。前も言ったでしょう。あたしがいる以上、アンタが死ぬことはないから」

「っ、でもっ……!」

「大丈夫よ。……あたしは、あの治天使様の加護を持つのよ。信じなさい」


 自分で言い聞かせるように繰り返す。

 鼓膜に、今日の治天使の声がへばりついている。


『その時が来たら、貴女は”誰”を犠牲にするのかしら。……ふふ。無実の民?それとも――憎い恋敵?』


 あのとき、一瞬――脳裏にアリアネルの顔が浮かんで、絶望した。

 心のそこに在る昏い陽炎が、存在を主張するように揺らめいた。


『あるいは自分の命を捧げる、かしら?――ふふふ。相手を助けたいのは、一緒に生きていきたいからなのに?その未来を、簡単に投げ捨てられる?』


(っ、捨てられる……!)


 ギリッ……と奥歯を噛みしめて、マナリーアは心の中で幻影のように現れた美しい天使に応える。

 次こそは、間髪入れずに答えるのだ。――己の命と引き換えに、シグルトを蘇らせてくれと、祈るのだ。

 

 どうか――どうか、愛しい人には、生きて、幸せになってほしい。


 シグルトも――アリアネルも、どちらにも。


「アンタは、歴代初めての、魔界から戻ってきた勇者になる」

「――!」

「約束してあげるわ。あたしが絶対、どんな状態からでも、貴方を蘇らせてあげるから――だから、最期まで、生きて帰ることを諦めないで」


 シグルトは前衛。マナリーアは後衛だ。

 きっと、敵に襲われて窮地に立たされた時、最初に倒れるのは、シグルトだろう。

 役割の上では勿論だが、シグルトの性格上も、そうなることは容易に想像がつく。

 後衛よりも先に前衛が倒れることなど許さないと――仲間の窮地を切り開くのは自分で、仲間を守るのも自分で、世界を背負うのも自分だと、迷いなく心から強く思えるのが、シグルトだ。

 それはまさに、”勇者”と呼ぶに相応しい資質。


(シグルトが倒れたときに、あたしが生きていれば、治天使様に慈悲を乞える。――あたしが瀕死の状態でもいい。あたし自身が魔法を使う訳じゃないんだもの)


 固有魔法を使えるのは、その権利が与えられた人ならざる存在ものだけだ。

 マナリーアが心の中でこいねがえば、その瞬間に、彼女の命と引き換えにシグルトの命を助けてくれるのだろう。


「あたしたち、きっと、学園を卒業したらすぐに魔界へ行くわ。王国じゃ、十七歳になるまで結婚できないんだから、行くときはお互い独身でしょ?……でもアンタ、アリィと結婚したいんじゃないの?」

「そっ……おま、今そんな話――!」

「そんな話よ。だって魔界から返ってきた歴代初の勇者様、よ?あんなに鈍いアリィだって、さすがに惚れちゃうわ。王様だって、何でも好きなご褒美をくれるって言うでしょ。ほら、アンタの御先祖様みたいに、アリィと結婚したいってお願いしたら、聞いてくれるわよ、きっと。――ね?何が何でも帰りたいって思うでしょ?」

「お、まえ、なぁっ……!」


 いつものような元気はないが、それでも軽口を叩いてみせるマナリーアに、シグルトは何かを言おうとして言葉にならず、ぐしゃぐしゃと金髪をかき混ぜた。

 

「天界じゃ、穢れは許されないんでしょ?欲望とかは瘴気の元だって言って、元人間だった天使は粛清されることもあるそうじゃない?」

「それがどうした?」

「童貞のまま魔界に行って殺されたら、アンタ、正天使様の眷属になるわけでしょ」

「どっ――!?お、おおおおおま、いい歳した女がなんつーことをっ!」


 ぼっと顔を赤らめて抗議するシグルトに笑って、マナリーアは軽口を続ける。

 今は、沈黙を続けたくなかった。


「アリィがどうなるかは知らないけど、あんな純粋培養の無菌状態で育てられたみたいな子が、将来瘴気を発するような存在になるとは思えないし。結婚とかして、子供を生めば話は別でしょうけど――あんなにすぐに倒れるような子よ?王都の神殿に入って、瘴気なんて欠片もない場所で生涯独身を貫くのが本人のためな気もするわ」

「それは……そう、かも、だけど……」

「そしたら、高確率でアリィも死後、天界で眷属になるわけでしょ?――いいの?魔界で童貞のまま死んで、アンタも眷属になっちゃったら、寿命が無くなった天界でも未来永劫、アリィに手ぇ出せないわよ。人間界でも御法度の行為が、天界で許されるわけもないでしょうし」

「ちょっ、おまっ、だから――!」


 ニヤニヤ笑って下品な話を続けるマナリーアに、シグルトは紅い顔でパクパクと口を開閉させる。


「だいたい、『死んだら必ず天界で再会しよう』とか、冗談じゃないわよね。キモっ!重すぎるにもほどがあるわ」

「お、おおお俺、別にそんなことアリィに言うつもりねぇぞ!?」

「嘘。アンタは魔界に旅立つ前に、つい感極まってそういう気障なこと言っちゃうタイプの人間よ。そしてそれが許されるタイプの人間でもあるのよね~。イケメン正義ってのは本当だわ」

「ぅおい!?」

「どうせアンタはヘタレだから、魔界侵攻が終わってもないのに手を出すようなこと出来ないでしょ。だったら、やっぱり帰ってきて、太陽の樹を渡して最高に格好良くプロポーズするしかないんじゃない?――そこまでしたらさすがに、『パパより格好良くないと……』なんて断り文句は出ないわよ、きっと」


 ケタケタ、と笑いながら言うマナリーアに、シグルトは声にならぬ言葉を噛みしめて俯く。

 ――完全に揶揄われている。


「だから――ね。頑張りましょうよ」

「マナ……?」

「まだ、あと二年あるんだもの。確かに上級魔族は手ごわいし、普通に立ち向かったら勝てるわけないって思うわ。上級魔族ですらあの強さなら、その上にいる魔王って一体――って思うと、怖くて堪らないのは、本当」


 そう言って少女はふるっ……と一つ肩を震わせると、誤魔化すように両手で身体を抱いた。

 恐怖で青ざめた顔で――口元には、精一杯の不敵な笑みを浮かべて、震える肩を押さえつけながら、言葉を紡ぐ。


「でも、まだ二年あるわ。せめて――本当に無理だ、って思ったときに、『戦略的撤退』が出来る程度の実力をつけるくらいには、足掻きたいじゃない」

「――……」

「一回で魔王を倒さなきゃいけない、なんて縛りはないでしょう?人間界での戦争だって、何度も侵攻作戦を繰り返して、領土を少しずつ取っていくじゃない。一緒よ。……別に、何度撤退してもいい。何度立ち向かってもいい。生きてさえいれば、次に希望をつなぐことはいくらでも出来るわ」


 精一杯の虚勢を張って、いつもの口調で己とシグルトを鼓舞するマナリーアの横顔は、美しかった。

 恐怖に青ざめ、色濃い疲労が滲む横顔だったが――それでも、シグルトには、世界中の誰よりも美しい横顔に見えた。


「……そうだな。あと、二年もあるもんな」


 言いながら、狭い馬車の中で身体をもぞもぞと動かして上着を脱ぐと、マナリーアの細い肩へと掛ける。


「シグルト……?」

「やっぱり、お前は、頼れる相棒だよ。――ありがとうな。これからも、ずっと隣で、俺が情けないときは叱咤してくれ」


 温かな上着がかかって、震えていた肩が止まる。

 じんわりと、胸の奥に春の陽だまりのような温もりが広がっていった。


「もう。……本当にアンタは、あたしがいないと、駄目なんだから」


 いつも腹の底でうごめく昏い陽炎の気配は、どこにもない。

 今くらいは、この、穏やかな時間を享受しても許されるだろう。


 マナリーアは、少しだけ泣きそうな顔で、いつもの軽口を叩くのだった。

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