第131話 再会①

 その日、魔王城は陰鬱な空気に包まれていた。


「おう、アリィ。……なんだ。お前も随分暗い顔だな」

「オゥゾ……」


 風呂の用意をしてやってきた少女に、オゥゾは少し疲れたような笑みで語り掛ける。

 いつも太陽のような笑顔をはじけさせている少女が、今日ばかりは城の陰鬱な空気に引きずられるようにして、暗い表情をしていた。


「パパとゼルから聞いたの。ヴァイゼルが……」

「あぁ。俺も聞いた。嘘だって信じたかったけど――心のどっかで、やっぱりな、って思ってる自分もいる」


 燃え盛るような真紅の短髪を、ガリガリとかきむしりながら、疲れた声音が漏れる。

 鋼を司る上級魔族ヴァイゼルは、魔王城に長く勤めていた魔族だった。

 魔族らが戦闘で使う武器は殆ど彼の魔法によって作り出された物であり、彼の存在を知らぬ者の方が少なかっただろう。アリアネルも、あらゆる武器の扱いに長けた彼から教わったことは、数知れない。

 長く伸ばした髪を高い位置でまとめて、いつもピシッと背筋を伸ばした真面目な男だった。

 魔王への忠義も厚く、この魔王城の城門を守る戦闘員として配属されていた魔族だ。


「俺たち城仕えの上級魔族は、もらった領地の運営を配下の中級魔族に任せて城へやって来てるからな。他人事じゃねぇなって思うと――ちょっと、やっぱ、参るよな」

「っ……」

「部下の不始末は、上司がケツを持たなきゃならねぇ。だから、ヴァイゼルが、自分の領地の連中がおかしくなっちまったって聞いて、自ら平定しに行ったのは、何の疑問も持たなかったのに――」


 ぎゅっとオゥゾの眉が痛ましげに寄ったのを見て、アリアネルもつられたように哀し気な表情になる。

 ヴァイゼルがアリアネルに武器の指導をしてくれるときは、真面目で、厳しく――優しかった。この城を旅立つときも、いつもと変わらず厳しい顔をしていたのを覚えている。

 きっと、己の部下が暴走してしまったという事実に心を痛めていたことだろう。しかし、魔王城に詰めることを許された力ある魔族として、その期待を裏切るわけにもいかぬと、厳しさを胸に旅立ったはずだった。


 あの日、あの瞬間――彼の背は、それまでのヴァイゼルと何も変わったところは無かったように思う。

 それなのに数日後、彼の行方が分からなくなった。

 平定するはずの配下の中級魔族は相変わらず好きに暴れたままで、事態は悪化するばかり。ついに、学園にも討伐の助力要請がかかるほどになってしまった。

 事態を重く見たゼルカヴィアと魔王が腰を上げ、方々を探索し始めた。他の上級魔族も、転移門ゲートを開ける者たちは交代で探索に出て、ヴァイゼルの居場所を探した。


 誰もが、祈るように思っていたはずだ。

 きっと――何か、不測の事態が起きて、どこかで動けなくなっているだけだろう、と。


 魔王やゼルカヴィアの命令を意図的に無視して、反乱を企てるような、そんな男ではないはずだ――と。


 しかし、現実は無情だった。

 魔王が見つけたヴァイゼルは、残念ながら瘴気に当てられて正気を失っていたと言う。

 暴走していた彼の配下の中級魔族を討つためにやってきた聖騎士団を一瞬で壊滅させ、勇者候補がいる陣まで攻め込んで深追いし、辺り一帯に濃密な瘴気を振り撒いた。

 暴走を止めよという命令にも、帰還せよという命令にも従わぬ彼のその行為は、誰の眼にも明らかな命令違反であり、それを看過するような魔王ではない。

 結果、他の暴走した魔族らと同様に命を奪われ、物言わぬ躯となって、魔王城へと送り返されたのだ。


「暴走した部下のところに行って、濃密な瘴気を喰って狂っちまったのか……あんな理性の塊みたいなヴァイゼルが?とは思うけど、魔王様のしたことに間違いなんてあるはずがねぇし……でも、そうすると――もし、俺の領地の奴らで同じことが起きたとして、俺は無事でいられるのか?ってのは、やっぱ、不安だよな」


 ぎゅっとオゥゾは拳を握り締める。

 痛ましげな表情のアリアネルが掛けるべき言葉を失っていると、ドンッと青年の背中を固い拳が叩いた。


「いって!何すんだ、ルミィ!」

「安心しなさい。オゥゾが狂ったときは、私がその血が上った馬鹿頭に水をぶっかけて目を覚まさせてあげます」


 冷ややかな水色の瞳は、確固たる意志を持っていた。

 二人が二人三脚で重ねてきた年月の重さが許す、二人だけの絆があるためだろう。


「……そっか。……じゃあ、お前が狂ったときは、俺がその役割を担えばいいのか」

「えぇ。下らないことを言ってないで、アリィのお風呂の準備をしなさい。……さぁ、アリィ。今日は私と一緒に入りましょうね」

「ルミィ……うん。ありがとう。私も、今日はルミィと一緒にお風呂に入りたい」

「うぉっ、ずりぃ!ずりぃぞルミィ!いつもお前ばっかり!」

「うるさいですよ、変態オゥゾ。もうアリィは大人になりつつあるんです。ゼルカヴィア様にも言われていますから」


 基本的に性欲というものが存在しない魔族とはいえ、オゥゾを決して成熟したアリアネルに不必要に近づけないように、とゼルカヴィアに厳命されているのだ。ルミィは牽制するようにアリアネルを豊満な胸の中に抱えて、歯を剝いて言い募る。

 姉弟のように仲の良い二人のいつも通りのやり取りに、いくらか心を和ませながら、アリアネルはそっとルミィの胸に身体を預けた。


 ◆◆◆


 ルミィと一緒に他愛もない話をしながら入浴し、ほこほこと温まった身体で部屋に帰り、そっと寝台に横になる。

 しん……と息衝く者すべてが寝静まる深夜の魔王城は、ひんやりとした夜気が忍び寄ってくるようで、アリアネルはぶるりと一つ身を震わせた。


(早く寝ちゃおう。深く考えちゃダメ――)


 ついこの間まで、笑顔であいさつを交わしては心から慕っていたヴァイゼルが、暴走し処罰されたということだけでも、陰鬱な気持ちになるが、それだけではない。

 同じ学園に通う同級生が、命を失ったと聞いたのだ。

 生存者はシグルトとマナリーアだけで、残りの聖騎士団は全て壊滅してしまったと――


(駄目。駄目、考えちゃダメ)


 瞼の裏に、作戦メンバーに選ばれ涙を浮かべて喜んでいた同級生の顔が浮かんできて、ふるふると頭を振ってかき消す。


 あの無垢な少女の命を奪ったのは、他でもないヴァイゼルなのだ。

 必要以上の瘴気を喰らうために、己に直接危害を加えられたわけでもないのに、一方的に蹂躙し、殺戮したと聞いている。

 シグルトとマナリーアも、加護があったから助かっただけで、それが無ければヴァイゼルの猛攻になすすべなく倒れていたことだろう。


「っ……」


 ぎゅうっと寝間着の胸元を握り締めるようにして、不意に訪れた息苦しさと戦う。

 こういう時、どうしても実感してしまう。

 自分の中途半端な立ち位置は、酷く不安定で、苦しい。


 魔族は人類の敵だ。学友を殺され、友と呼べるほどに親しくなった二人を害され、哀しく思う自分がいる。

 そのくせ、これ以上なく人類を脅かしたヴァイゼルの死に胸を痛めている自分も確かに存在するのだ。


「ぅ……」


 はらり、と涙が一粒零れ落ちて、嗚咽を漏らさぬようにぎゅっと下唇を噛みしめる。

 こんな中途半端な自分に、流してよい涙などあるのだろうか。

 第一、誰の、何を想っての涙なのか。

 ヴァイゼルか。無残に殺された級友か。それとも――親しい友二人が無事だったことへの安堵の涙なのか。


 涙を流す資格すらない自分は、こんな寂しい夜に、何を想って眠ればいいのだろう――


 ぎゅぅっと刺し貫かれた胸の痛みに耐えかねて、アリアネルはそっと寝台を抜け出すのだった。

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