第129話 マナリーア③

「……アリアネル、っていうらしいんだ。天使の名前」


 昼下がりの医務室で、生まれて初めて見せる恍惚とした間抜けな表情で、シグルトは言った。


「皆が憧れるような、本当の天使、ってのは――ああいうのを言うんだろうな……」


 ふざけるな、と怒りを燃やした。どこの馬の骨かもわからない女に、鼻の下を伸ばすシグルトにイライラした。

 だが、実際に学園にやってきた美少女を見て――マナリーアは、己の矮小さをこれ以上なく実感した。


「初めまして。アリアネルと言います。よろしくお願いいたします」


 万物に愛されるために生まれて来たのでは、と思うほど可愛らしく美しい、絶世の美少女。

 本人は平民だと言っているが、誰もそんなことを信じないくらいに洗練された所作と美しく丁寧な言葉遣い。

 親もおらず外見も平民の特徴を色濃く受け継ぐ自分と比較すれば、とにかくすべてのことが惨めに思えて。

 貴族の血を引くシグルトの隣に座れば、どこからどう見てもお似合いの二人にしか見えなくて。


 二人だけの世界を作られるのが嫌で、資料を見せるという口実で隣に行けば、「ありがとう……!」とこちらの腹の中を疑うということすら思いつかぬような顔で、恋敵は太陽のような眩しい笑顔で嬉しそうに笑った。


 ――シグルトと同じだ、と思った。

 正義を司る天使に愛されるに相応しい、純粋無垢な、一点の曇りもない聖気に満ちた眩しい魂。

 ふとした瞬間に、仄暗い陽炎が胸の内に生まれる自分とは一線を画した、骨の髄まで善良な心を持つ人間だ。


(運命、なんて――馬鹿馬鹿しい、わね)


 きっと、シグルトにとっては、自分との出逢いの何倍も強烈に心に残る、運命的な出会いだったのだろう。

 純粋故に恋愛事に鈍いアリアネルは気づいていないようだが、シグルトがアリアネルに惚れていることなど、クラス中が悟っていた。

 シグルトもまた、アリアネルと同じで、嘘をつくのが苦手な性格だったから。


「マナ、次、移動だよ。一緒に行こう」


 あっという間に想い人の心を独占したはずの恋敵は、キラキラした笑顔で毎日話しかけてくれる。

 強くて、優しくて、思いやりのある――シグルトと同じ、マナリーアの理想とする女の子が、そこにいた。


 外見も、性格も――唯一、シグルトにだって負けないと自負していた魔法の能力だって、アリアネルは全てがマナリーアの上位互換だ。

 こんな完璧な少女に、勝てるはずなど、あるわけがない。


 いっそ、憎むことが出来れば、楽だったのかもしれない。

 腹の底にふっと浮かぶ昏い陽炎に身を任せてしまえば、もっと生き易かったのかもしれない。


「ごめ……マナ……シグルトも……」


 学園内で急に蒼い顔でふらついて、膝をつく少女を見れば、いつもハッと肝が冷えた。

 ほんのわずかな瘴気で体調を崩してしまう少女――彼女を苦しめているのは、この、腹の底に浮かんだ陽炎なのだと、言われたような気がして。


「大丈夫?無理はしないで」


 珠のようにびっしりと脂汗を浮かせて、苦しそうな吐息を漏らす少女に手を貸しながら、仄暗い陽炎を追い払う。

 

 たとえ、この少女に敵わないとしても、故意に少女を害すかと言われれば、別の話だ。

 アリアネルと同じにはなれなくても、自分が幼いころから大切に守ってきた人生の指針を放棄するつもりはない。

 強くて、優しくて、思いやりのある子は、そんなことをしないのだ。


「で?アンタはいつ渡すつもりなのよ。どんどん先越されてるわよ」


 だから、一年に一度の太陽祭も、案の定ヘタレた幼馴染に声をかける。

 この美少年は、一度も考えたことなどないだろう。

 いつも斜に構えたような発言ばかり繰り返すマナリーアが、心の底で本当は、年頃の少女たちと同じように、若草色の植物をシグルトに贈ってもらえる日を夢見ていただなんて。


「……はぁ。そこまでうだうだ悩んでるなら――こういうのはどう?」


 そんな苦い気持ちを飲み込んで、人生の指針を心の中で何度も唱えながら、今まで一体、どれだけ敵に塩を送ってきたことだろう。

 

「もう、竜胆の花じゃ気を惹けないでしょ。花束そのものの見事さは花天使の加護付きには勝てないんだし、気の利いた文句を添えたところで、朝からこれだけ沢山告白されてれば、今更何言っても入って来ないわよ」

「ぅっ……」

「だから――ちょっとだけ、意表を突くの。サプライズで勝負するのよ」


 強くて、優しくて、思いやるのある子はきっと、想い人の恋愛だって、笑って応援できる。


「あえて、竜胆以外の花を贈るのよ」

「はぁ??なんだそれ、そんな――」

「だって、気まずくなるのは嫌なんでしょう?今日、竜胆なんか贈ったら、何を言い訳したってアリィはアンタのことをを持った男だって認識するわ。むしろ、それで男らしく告白できないなんて、ヘタレの極み過ぎて幻滅されそうだけど」

「ぅ゛っ……」


 真摯に、一番仲良しの友人の恋を応援するように、心からのエールを送る。


「だから、アリィから連想できる花を贈るのはどう?日ごろの感謝を伝えたい、とか言って」

「連想……?」

「そ。可憐だと思ってるなら、カスミソウとかスズランとか。誰より美しいと思ってるなら、王道にバラとか。あ、百合とかもいいかもね。純粋無垢な感じ」

「ぉ……な、なるほど……お前、結構花に詳しいんだな」

「そりゃあ、女の子だもん。……ま、毎年この時期になると、色々なお花を育てる小遣い稼ぎで自然と知っていったのも大きいけど」


 茶化すように言いながら、引き攣らないように細心の注意を払って口角を上げる。

 ――笑え。……笑え。


「アンタ、高等魔法の種子からの発芽も出来るんだから、それは他の生徒には真似できない武器でしょ。だったら、花の種類と渡し方で意表をついて、今日アリィが花をもらった誰よりも一番印象に残ればいいじゃない」

「わ、渡し方……?」

「そ。サプライズで勝負、って言ったでしょ。――目の前で、発芽させてあげるのよ」


 言いながら、少年が竜胆の種子の在り処として軽く叩いた制服の胸ポケットにするりと指を伸ばし、手の中に隠す。


「ほら、手を出して。……こうやってやるのよ」


 少年の手の中に種子を握り込ませたあと、そっと両手でその手を握り込む。

 至る所に剣胼胝が出来て固くなった少年の掌は、もう、施設の裏庭で膝を抱えて小さくなっていたか弱い手ではない。

 マナリーアが両手で包むのもやっと、というくらい、大きくて頼もしい、男性へと成長しつつある掌だ。


「我、植物を司るハルナエルに命ず。堅き種より大輪の花を咲かせよ――」


 トクトクと音を立てて早足になりそうになる心臓を宥めながら呪文を唱える。


「へ?――ぅ、ぅお、ぉおおおっ?」


 むくむくと手の中で魔法による強制発芽を促され大きくなる竜胆の種子に驚いて、シグルトは間抜けな声を上げている。

 女子に手を握られている緊張など、欠片もないその様子に、呆れたように嘆息した。


「ね?……インパクト、すごいでしょ」

「す、すげー……!マナ、お前、ほんとすげぇな!」

「ふふん。感謝しなさい」


 嘯くように言って、チラリと校門を見る。


「ほら。今日は稼ぎ時だから、いろんなところに花屋が店を出してるわ。校門の前にも、売りに来てる。季節外れの花も置いてあるんじゃないかしら。……アンタがどんな花を選ぶかは知らないけど、まだ昼休みは少し時間があるんだし、急いだら間に合うんじゃない?」

「わ、マジか!行ってくる!」


 シグルトは慌てて財布を手に取り、席を立つ。


「――マナ!」

「ぅん?」

「ほんと、マジでありがとな!お前、なんだかんだ言って、やっぱ最高にいい奴だ!」


 白い歯を見せて満面の笑顔で言い放たれた言葉に、トクン……と胸が一つ音を立てる。


(――いい奴)


 なれているのだろうか。

 あの、一切の曇りを心に抱かぬ少年から見ても、そんな評価をもらえるような、存在に。

 強く、優しく、思いやりのある――そんな、人物に。


 マナリーアは、晴れやかな顔で教室を飛び出していくシグルトを、苦笑交じりに見送ったのだった。

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