第179話 夢天使⑤

 ボッ……と小さな音が耳元で爆ぜた瞬間、魔水晶を飲み込んだ腹のあたりがカッと熱を持つ。そのまま、魔力の奔流に従うようにして、ゼルカヴィアは無詠唱で蒼い炎を己の周囲に全方位無差別に解き放った。


「っ、ぎゃぁああああああああああっ!」


 真後ろで声がしたのを聞いて、ゼルカヴィアは視界を奪っていた魔法を解除すると同時に、手にした魔剣を握り込み、声の方へと突っ込んだ。


 ザァっと音を立てて闇が晴れると同時に、蒼い炎に焼かれて苦しむ天使を視界にとらえる。


「っ、く――!」


 一息で距離を詰めたゼルカヴィアの魔剣から逃れるように、力強い羽音を響かせて天使が宙へと浮かび上がった。


「逃がしません!」


 無詠唱で低重力の魔法をかけながら力一杯地面を蹴れば、空を自在に飛ぶ天使の高度にも追いつく。


「っ、ヒ――」


 悲鳴を喉の奥に張り付かせた天使が逃げの一手を打つのを、ゼルカヴィアは容赦なく背中から斬りかかる。


「ぁ、ガァ――!」


 ザンッ……と魔剣が翼を薙ぐと、天使の白い喉から苦悶の声が響いた。

 真っ白な羽と鮮血が宙に舞い散る。


「なるほど。卑怯極まりない手段を使い、窮地には迷いなく逃げを選択する臆病者のようですが、痛みに対する根性だけはあるようですね。少なくなった羽とその火傷で、よくその高度を保てるものです」


 着地すると同時に嫌味な笑みを浮かべ、ゼルカヴィアが絶好調の皮肉を飛ばすと、背中を大きく切り裂かれながら宙を漂い続ける天使は、蒼い顔で悔しそうに顔を歪めた。


「なかなか、お見事でしたよ。これは確かに、逆らうのが難しい。ヴァイゼルやオゥゾがコロリと騙されたのも納得ですね。途中まで、この私ですら、幻覚だと気づきませんでした」


 無造作に魔剣を振るって刃に付着した天使の血液を飛ばすゼルカヴィアは、薄ら笑みすら浮かべる余裕だ。

 

「さて。その顔、見覚えがありますね。随分前――五百年よりは前でしたか?勇者として、魔界にやってきたことがあるでしょう。これでも記憶を司る魔族、などというものをやっておりますので、記憶力にだけはちょっと自信があるのですよ」

「っ……」


 小馬鹿にしたように揶揄する声に、天使は顔を歪めるだけで答えない。

 肩のあたりで切りそろえられたまっすぐな亜麻色の髪は、純正の天使ではあり得ない色だ。

 悔しそうにゼルカヴィアを睨む瞳は、蒼炎に照らされる角度で色を変える。


「光の角度で色を変える、その珍しい瞳。それから、当時はしばらく男の勇者が続いていたので、女の勇者は随分と久しぶりでしてね。しかも、女の癖に男のような口調と格好をしている、特徴的な勇者でした。だから貴女のことは、妙に記憶に残っていますよ」

「化け、物……め……!」

「おや。失礼な。これでも魔族の中の魔族と称されることが多いのですけれどねぇ」


 相手をおちょくるように言いながら、ゼルカヴィアは軽く肩を竦めた。

 一度だけ、彼女がまだ人間だったころに、魔界で相対したことがある。

 第一位階の天使に魅入られるに相応しい美しい顔立ちと、己のことを『僕』と呼んで男のようにふるまうアンバランスさ――そして、ゼルカヴィアに討ち取られる最期の最期まで、諦めずに歯向かってきた姿が、当時妙に印象に残った。


「何故――どうして――絶対に、仕留められるはずだった!」

「あぁ……そうですね。私でなければ、きっと、たやすく背後から討ち取られていたでしょう」


 悔しそうな声音に、ゼルカヴィアはあっさりと肯定してみせる。

 嘘ではない本心だったが、相手はどうやら軽口としか受け取らなかったらしい。ギリリと歯噛みしてゼルカヴィアを鋭い視線で睨みつけた。

 天使らしくもない憎々し気な視線を見るに、生前の記憶のせいで、どうも既に大層な恨みを買っているらしい。


「本当ですよ。元人間でありながら、随分頭が回るようですね。眷属になると、人間の頃より知能レベルも上がるのでしょうか?」

「貴様――嘗めているのか!」

「おや、失礼」


 小馬鹿にしたように言って、天使までの距離をじっくりと距離を目で測る。重力を軽くすれば、十分に天使がいる高度までは到達できるだろうと見積もった。


(問題は、そのあと。翼を使って自由自在に空中で動き回れる、というのはなかなか厄介ですね)


 魔族のゼルカヴィアに出来るのは、いうなればただの常軌を逸した跳躍でしかない。空中で自在に方向転換が出来る天使相手に、剣技だけで追い詰めることは難しいだろう。

 魔法で追い詰めようにも、ヴァイゼルをはじめとした攻撃に特化した上級魔族のいくらかは既に処罰されており、使用に制限が出るのは事実だ。


「最後、私に自分で死ぬことを選ばせようとしたのは、なかなか考えましたね。普通の魔族だったら、悩むことなく自死を選んだでしょう」

「だが、お前は選ばなかった!」

「えぇ。魔王様のご命令ではないと予測していましたからね」


 冷静に頭の中で天使の討ち取り方を考えながら、ゼルカヴィアは時間を稼ぐために軽口を叩く。


(蒼炎の無差別攻撃で姿を現したのは、この天使一人。能力を鑑みても、外見特徴を見ても、これが夢天使に間違いないでしょう。そして、味方が負傷し追い詰められているにもかかわらず援軍が来ないと言うことは、封天使は来ていないようですね。……好都合です。必ずここで、この天使を仕留めなければ)


 静かに決意を固めながら、ゼルカヴィアは作戦を練る時間を稼ぐ。

 こうして問答をする間にも、天使は血液を失っていくだろう。高度が落ちさえすれば、こちらのものだ。


「私の予想外の回答に、案の定貴女は一瞬戸惑い、沈黙を挟んだ。その後すぐにその手で殺すよう軌道修正したのは見事ですが、そのせいで私は、語りかけてきている魔王様が幻想だと確信しました。残念でしたね」

「何故っ……どうして、わかった!どうして――あれは、お前の、深層心理から抽出した”悪夢”なのに――!」

「あぁ。やはりそうでしたか。どうせそんなことだろうと思いましたよ」


 天使の言葉に納得しながら、ゼルカヴィアは頷く。

 きっと、魔法は二段構えだったのだ。

 最初に見せる夢は、ゼルカヴィアの深層心理の中から抽出した、本人が一番恐れる事態を具現化する悪夢。

 聖気を集めるのが天使の役目ということを鑑みれば、夢天使の本来の能力の使い方は、深層心理を探り”幸せな夢”を見せることだろう。

 深層心理を探って楽しかった記憶を思い出させてもいいし、心の底に封印されている辛かった記憶を”悪夢”として抽出した後に固有魔法でそれを意図的に幸福な夢へと昇華してもいい。

 

 おそらく後者をアレンジしたのが、今まで魔族が嵌められてきた術中なのだ。


「確かに、あれは私が一番恐れていた事態ですね。一万年生きて来ましたが、断トツ一位の最悪な夢でしたよ」

「っ……」

「今、を知る者はこの世に存在しませんから、まさか、貴女が恣意的に夢を見せているとは思いませんでした。……あのときはまだ、固有魔法を使っていなかったのですね。まるで違和感を感じさせない連続技は、確かに現実味があって騙されてしまいそうでした」


 抽出された”悪夢”は、本人が深層心理で描いている『もしかしたら起こりえるかもしれないが、絶対に起こってほしくないと恐れている出来事』だ。リアリティがあるのは当然だろう。

 そうして心をかき乱した果てに、固有魔法で仕上げをする。

 幸福な夢を見させる本来の用途と裏腹に、魔王の声と姿で、恣意的な”命令”をするのだ。


「私に、オゥゾやルミィを殺せと命じたり、人間を害せと命じなかったのはわざとですか?」

「っ、そうだ……お前は、魔族の要だ。欲をかいて怪しまれ失敗するより、確実に息の根を止めることを優先すべきだと思った」

「賢明な判断です。その非情かつ効率的で合理的な判断――天使にしておくにはもったいないですね」


 馬鹿にしたように言いながら、ゼルカヴィアが一歩足を踏み出し距離を詰めると、仰け反るようにして天使も羽ばたき、距離を空ける。

 蒼い顔で荒い息を吐いているくせに、冷静に戦局を見ているらしい。腐ってもかつてパーティを率いていた元勇者、というところだろうか。


「だが――だが、どうしてっ……!魔王に命じられたと言うのに、お前は――!」

「反撃してきたか、ですか?そうですねぇ……どうせ逃がすつもりはないですし、教えてあげてもいいですが」


 チラリと視界の端にオゥゾとルミィを捕らえる。

 視界を奪った際にどんなやり取りがあったのかはわからないが、オゥゾはルミィの水の檻の拘束から抜け出し、応戦しながら人間が沢山いる方角へと前線を押し上げているらしい。


(私もルミィも瘴気を大盤振る舞いしていますからね。この場の瘴気を使い切ってしまうことを恐れて、少しでも瘴気を多く集めようとしているのか――とにかく人間を襲い続けろと、魔王様に命令されたと思い込んでいるのか。どちらにせよ、あまり悠長なことは言っていられなさそうです)


 前線が都心へと近づけば近づくほど、聖騎士団との接触が早まるはずだ。

 彼らは、常に聖気を生む集団と言っても過言ではない。

 瘴気塗れの中で不利な戦いを強いられている目の前の天使にとって、それは朗報以外の何物でもないだろう。


(アリアネルに目を付けられては困るのも事実ですしね)


 すっと魔剣を掲げて、ゼルカヴィアはぐっと腰を落とす。

 天使は、最初より蒼い顔で苦しそうにしている。そろそろ、こちらから仕掛けてもいいだろう。

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