第286話 15歳の誕生日⑥

 到着した男子寮のホールは、驚くほど豪奢だった。

 天井からぶら下がっているたくさんのシャンデリアには、光天使の魔法が掛けられているのか、自然界にはない眩い輝きで隅々までを煌々と照らしている。見上げれば首が痛くなるほど高い天井に下がっていても、この光量なら問題はないだろう。

 壁際には、ずらりとテーブルが並べられており、出来立ての温かい料理がビュッフェ形式で並んでいる。普段から貴族の子息の舌も満足させている寮のシェフが腕によりをかけたらしいそれは、祝い事の料理として相応しく、見栄えも文句がない。

 春は目前とはいえ、まだ肌寒さの残る季節だが、設置されている複数の暖炉は、魔法の火によって赤々と燃えている。女子がドレスで肩や足を出していても快適な温度だ。


 シグルトのエスコートに導かれるようにして、アリアネルが夢のようなホールに足を踏み出すと、中にいた生徒たちが一斉に少女の方を向いた。

 ビクリ、と緊張に震えると、すぐに割れるような拍手の音がホールにこだまする。


「おめでとう」「誕生日おめでとう、アリアネル」「おめでとう。愉しい一日にしてね」


 笑顔で手を叩く生徒たちに、口々に誕生日を寿がれ、照れくさい気持ちでホールの中央へと歩み出す。

 見計らった様に、柔らかな音楽が奏でられ、アリアネルの登場を歓迎するムードは最高潮だ。貴族の誰かが、この日のために楽団を呼び寄せたのだろう。

 

「ありがとう……皆、ありがとう……!」


 アリアネルは、感動のあまり胸を震わせながら、拍手で出迎えてくれる学友たち一人一人の顔を見て礼を言いながら足を進める。エスコートするシグルトは、急かすこともなく長い歩幅をゆっくりとアリアネルに合わせてくれた。

 夢の中にいるような心地で歩み出たのは、ホールの中央。奏でられていた音楽が、ピタリとやむ。

 どうやら、今日の目玉――ダンスが始まるらしい。

 すっとシグルトはエスコートのために差し出していた腕を引いて、紳士として完璧な礼を見せた。


「アリアネル嬢。私と、一曲、踊ってくれますか?」

「ぁ……は、はい。よろこんで……」


 眩しい光を反射する黄金の旋毛を見ながら、こくりと頷くと、割れんばかりの拍手が再び沸き起こる。口笛を吹いてはやし立てる生徒もいた。

 シグルトは、少しほっとしたような笑顔を見せて、そっとアリアネルの手を取る。

 若者たちの青春を温かく見守っていた楽団が、絶妙なタイミングで音楽を奏で始めると、誰かが魔法を操り、シャンデリアの光がキラキラと降り注ぐように輝いた。


「さすが、アリィ。ダンスも出来るんだな」

「えっ、あ、う、うん。この曲だけは、完璧に踊れるようにしておけって、マナに言われて、貴族向けの選択授業にちょっとお邪魔したの」


 誕生日パーティーをダンスパーティーにするという旨は聞いていたが、まさかこんなにちゃんとしたパーティーが開催されるだなんて思ってもおらず、不思議に思いながら言われるがまま授業に参加したのだが、今となっては親友の言うことを聞いておいてよかった、と感謝する。一曲目はこうしてダンスホールの中央でシグルトにエスコートされながら踊ることになるからと、マナが気を利かせてくれたのだろう。


「でも、これ以外のダンスは知らないから、ちょっと不安かも……」

「アリィの運動神経なら大丈夫さ。基本的には男がリードするものだから、相手にゆだねて、足を踏まないようにだけしておけば、それなりにはなる」

「そ、そうかな……?」

「あぁ。それに、別に社交界ってわけじゃないんだし、ダンスの授業でもないんだ。ここには身内しかいない。形式ばった決まりなんかないんだから、手を繋いで、音楽に合わせて身体を揺らすだけでも、十分だよ」


 チラリと周囲を見渡すと、他の学友たちも、それぞれペアになって踊ったり、料理を摘まんだりと自由に過ごしているようだ。踊っている生徒たちは、シグルトが言う通り、形式に捉われずに笑顔でその場を目いっぱい楽しんでいるように見える。

 卒業間近のこの時期だ。アリアネルの誕生パーティーという名目はあれど、彼らにとってはこれから道を分かつ学友たちとの最後の思い出作りでもあるのだろう。

 自分の誕生日が、学友たちの思い出作りにも役立っていると知り、アリアネルはほっと心を緩ませる。


「でも、シグルトは凄いね。普段はあまり意識したことないんだけど――本来は、手が届かないとこにいる人なんだなぁって、改めて思ったよ」

「なっ――そ、そんなことないって!」


 目を細めて、遠いものを見るようにしみじみと口にするアリアネルの言葉に、シグルトは焦った顔をのぞかせる。その貴族らしくない表情は、確かに学友として過ごしてきたシグルトだった。


「さっきまでは、めちゃくちゃ格好つけてただけで――実家に帰った時に覚えさせられることを必死に思い出しながら振舞っただけだ。アリィのためじゃなきゃ、あんなことしない」

「そう?本物の王子様みたいだったのに」


 クスクス、と笑うアリアネルの笑顔が眩しくて、シグルトの頬はほんのりと紅潮する。

 シグルトが王子だと言うなら、今日のアリアネルは、妖精か何かだろうか。

 とても、人の世にあって良いと思える愛らしさではない。


 緊張のあまり、少年がごくり、と喉を鳴らすと、きょとん、と竜胆の瞳が不思議そうにシグルトを見上げた。


「シグルト?」

「あっ――あ、ああ、なんでもない」


 誤魔化すようにターンをリードすると、腕の中にいた妖精は、ひらりと美しいドレスを翻して軽やかに舞う。

 幻想的とも思える姿に、うっとりと息を漏らしそうになるのを堪え、シグルトはステップを踏んだ。


「今日は、アリィのために皆集まったんだ。これから、皆それぞれの道を歩き出す。その前に――アリィに、一番笑顔に、なってほしくて」

「シグルト……ありがとう」


 ふわりと花が綻ぶ様に笑むアリアネルに、シグルトの心臓が早足で走り出す。


「今日は、ゼルも妙に優しくてね。朝から、ずぅっと幸せなの。罰が当たっちゃうんじゃないかって怖いくらい」

「ぅん?ゼル――って、あの、いつも送り迎えしてくれてる執事の人か?」

「うん。私のことを、小さい頃から育ててくれた、親代わりみたいな人だよ」


 今朝、アリアネルをひょいとお姫様抱っこしてくれた皮肉屋の顔を思い出して、クスリと笑みを漏らす。こういえば本人はきっと、「誰が親ですか、誰が」と間髪入れず仏頂面で否定するのだろう。


「私、きっと、今日のこと、絶対に忘れない。これから先、どんなことが起きたとしても――ずっと、ずぅっと、覚えてるよ」


 そっと瞳を閉じて、シグルトのリードに身体を預けながら、感じ入るように呟く。

 これから先、シグルトが、ここに居る学友の何割かを率いて、勇者パーティーとして魔界に攻め入ってくるときがあったとしても。

 そんな哀しい未来を避けられず迎えて、敵同士として相対することになったとしても――


 絶対に、今日のこの、夢みたいな時間を、忘れることはない。


(楽しい思い出を忘れられないのは、不幸だってゼルは言うけど――絶対、そんなことない)


 確かに、それは哀しいことだろう。戻らない楽しい日々を思い出し、涙を流すこともあるかもしれない。

 だけど――なかったことにすることが、幸せだとも、思わない。


 将来敵対するしかない自分たちが、束の間、こうして分かり合い、平和に過ごせた日々があったのだと言う事実は――必ず、意味があるはずなのだ。


 未来の人類と魔界の関係の正常化のために、必要な、時間のはずなのだ。


「よかったら、シグルトも、覚えててね。ずっと、ずっと――卒業して、勇者として過ごす日々の中でも、ずっと」

「アリィ……?」


 聞き返す言葉に返答が返ってくるより先に、音楽が止まる。

 聴衆に徹していた学友たちから、拍手が降り注ぐのを聞きながら、アリアネルは授業で教わった通りに、淑女らしい完璧な仕草で、ダンスの礼をしたのだった。

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