魔人兄妹は迎え撃つ
2人が絶景を堪能できたのは、僅かな間だけだった。クロの緊急脱出用魔法【
「このあとは、どうするの?」
外套の袖で涙を拭ったイロハがクロに尋ねる。降下シークエンスに入って姿勢が安定したため、彼女は兄の腕から降りていた。
「まずはとにかく森に逃げ込み、できるだけ施設から距離を取る。この森はすぐに抜けられる広さではないからしばらく潜伏することになるだろうな」
イロハは上空から見た光景を思い出す。研究施設をぐるりと取り囲むような形の森は遥か彼方まで広がっていた。外の世界には森しかないのだろうかと錯覚してしまいそうな程広大な森だった。
森の中には何が待ち受けているのだろうか、施設の中しか知らなかった自分たちは果たしてそこで生きていけるのだろうか、などの不安と期待がない交ぜになってイロハの内を駆け巡る。
しかし、
「だが、全ては無事に逃げ切ってからだ」
クロは着地と同時に、親指で背後を指した。瞬間、兄妹が飛び出した穴から火山の大噴火の如き猛烈な炎の柱が吹き上がった。夜の闇を消し飛ばす灼熱の光に乗って、巨大な
索敵魔法でも使ったのか、彼らは迷う様子もなく兄妹のいる方へと向かって来る。
「――!」
それを見たイロハは、クロを庇うように前に出た。
「魔力はほぼ尽きたが、しかし余力はある。撹乱しながら逃げるということもできるぞ?」
ポケットを軽く叩きながら、クロは妹の華奢な背中に問いを投げた。
「まあ、お前の腹は既に決まっているのだろうが」
「はい、にぃ様。彼らは……ここで潰すわ」
イロハは振り返らず、鋭い声色で応えた。揺るぎない決意が込められたその声にクロは微笑を浮かべる。
「すまない、流石に底意地の悪い提案だったな。今更お前の覚悟を疑いはしない――俺は、ただお前の背中を押すだけだ」
そうして彼は、静かに、なけなしの魔力を練り上げた。
「『誇れ、汝に為せぬことは無し』――」
それは、かつて妹を励ますためだけに即興で作り上げた魔法。対象に自信を抱かせるという、ただそれだけの魔法。
だが、ことイメージが魔法の出力に直結する魔法使いにとっては、“自信が付く”というのは何よりも強力な支援となり得る。
「――さあ、お前の全力をぶつけて来い!【
詠唱句が加わり、イメージがより鮮明になったそれは、以前よりも強固にイロハの心を暖かな光で満たした。
強力なバックアップを受けたイロハは、改めて眼前に迫る敵を見据える。先陣を切る
以前までの自分ならば、とても立ち向かうことなど出来なかっただろう、とイロハは考えた。足はすくみ、魔法も十全に機能することはないのだろう、とも。
だが、今はもう違う。
「『我は、籠の鳥に非ず』」
イロハは、改めて宣言するように、兄と共に一晩かけて編み出した魔法の詠唱句を唱える。現状イロハが最も信頼を置くそれは、かつて訓練標的を一撃の元に粉砕した魔法だった。
しかし、今イロハが練り上げている魔力の量は、その時の比ではない。
真に自由なる空気の流れを知った。
本来あるべき大気の躍動を感じた。
そして風が駆け抜ける世界の広さを垣間見た。
施設を飛び出したことで実感したそれらと、兄の後押しがイロハのイメージを強力に補完する。
「『支配者たちよ、心せよ』」
イロハが地面に向けた右の掌に空気が四方八方から集まって来る。大量の空気が高密度に圧縮された球体が生成され、見る間にその直径を増していった。
それを見た警備部隊の足が止まる。尋常でない魔力の高まりを感じて警戒したか、彼らは個々に魔法による防御を試みるようだった。
「へっ、おもしれぇ!やって見やがれ!!」
守りに入った警備部隊たちに対し、
しかし――
「『我は、道行きを阻む悉くを撃ち砕こう』――」
その凶刃が届くより数瞬早く、イロハの魔法が完成した。左手で右手を持ち上げるように、超高速で回転する風の球体を前方へ向ける。
目の前に迫るのは壁だ。
自分と兄が自由になるための、最後にして最大最硬の壁だ。
故にこそ、この魔法を全開で叩き付けるのに不足はない――!
「【
斯くして、その魔法は放たれた。
風の球体が炸裂し、解放された空気が全てを拒絶する津波と化してイロハの前方を蹂躙する。周囲の木々を次々と地面から引き剥がし、防御しようとした警備部隊を木っ端の如く吹き散らしながら突き進む。先頭のバルファースも抵抗したが、すぐに飛来した樹木の群れに巻き込まれて吹き飛んでいった。
風の津波は研究施設の外壁を激しく揺さぶってようやく停止した。跡には木々が吹き飛ぶ際に掘り返された地面と、ただ1人風の津波に耐えきった炎の巨人エルフリードだけが残されていた。
エルフリードは体勢こそ崩してはいなかったが、凄まじい風圧に纏っていた炎が消し飛ばされ、黒い重油のような本体がさらけ出されてしまっていた。そして今までほとんど変化することのなかったその顔には、炎を掻き消されたことに対するものとはまた別の驚愕が張り付いている。
「今の……魔力は…………」
◼️◼️◼️◼️◼️◼️
「パーフェクトだ。イロハ」
追跡者たちの撃破を確認し、クロがイロハに駆け寄った。一気に大量の魔力を消耗したためか、彼女は肩で息をしていた。しかしその顔は晴れやかなものだった。
「にぃ様……やったわ」
「ああ、本当によくやってくれた。さぁ、奴らが立て直す前に離れるぞ」
「うん……」
クロはその場にあらかじめ【
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