魔人兄妹と七色の道

 黒々とした、幻の樹木が立ち並ぶ森の中を、兄妹は歩いて行く。犬モドキがいつ現れても良いように、クロは牙のナイフを、イロハは仕込み杖を手にしながらの行軍だった。


「――この辺りか」


 森に入って3分もしない内に、クロが足を止める。踏み行った者を惑わす強制位置転換はまだ発生していなかった。クロは牙のナイフをしまうと物体Xを持っていない右の手首をスナップさせ、袖口のポケットから幽冥閃針アストラル・ダーツを2本、掌中に落とす。


「まだ結構距離があるけど……大丈夫?」


「問題ない。十分届くさ」


 クロは半歩身を引いて、


「【明晰なる飛空刃シャープ・シューター】」


 勢い良く腕を振り下ろし、構えたダーツを2本同時に投げ放った。豪風を纏い、ダーツは一瞬にして森の奥へ消えて行く。


「本当に届いた……」


 観測していたイロハは、ダーツが3度の再加速を経て高台の直前で空中停止したことを確認した。


 統合型投擲物強化魔法【明晰なる飛空刃シャープ・シューター】。クロが【剛撃投射アサルト・スロー】【追跡投射ホーミング・スロー】【廻転投射リターン・スロー】という3種の魔法を絶妙なバランスと制約の上で1つにした魔法だった。純魔銀ピュアミスリルと同等以上の魔力伝導率を持つ物体を投擲した場合に限り【剛撃投射アサルト・スロー】と同等の破壊力を維持しながら最大5回の軌道変更と再加速を可能とし、効果終了後は投擲物が自動的に術者の手元へ返ってくるようになる。その上で魔力消費も少ないという、破格の性能を有している。


 純魔銀ピュアミスリル以上の魔力伝導率という制約についても、そもそもが純魔銀ピュアミスリルで出来ている幽冥閃針アストラル・ダーツを用いれば良いだけの話なので、有ってないようなものだった。


「よし、狙い通りだ。やはり非生物であれば素通しらしい」


 最初に森への侵入を試みた際、クロが犬モドキを刺激する目的で投じた小石は森の中程まで一直線に飛んでいったのだが、後でイロハが確認したところ、その小石はクロたちが強制転移を受けたポイントを越えて飛んでいたことが分かった。


 それを受けて立案されたのが、クロの新作転移魔法【銀我転針リプレイス・ダーツ】を用いての突破作戦だった。この魔法は幽冥閃針アストラル・ダーツの存在する座標と、自身あるいは指定した人物の座標とを入れ替える魔法だった。幽冥閃針アストラル・ダーツ以外の座標を参照することが出来ない代わりに、行使する難度は押さえめ――あくまでも高難度揃いの空間魔法カテゴリの中では、だが――であり、気軽に使えることがウリだった。クロが砂浜で実演した通り、この島のランダム座標に惑わされることもない。


「では交換するぞ。イロハ、手を」


「はい、にぃ様」


 イロハが差し出した手を握り、クロは転移魔法の準備に入る。


「『汝、我が道行きを指し示す者なり』――っ?」


 しかし、彼はすぐに詠唱を止めてしまう。


「どうしたの……?」


「……座標が参照出来ない。これでは【銀我転針リプレイス・ダーツ】が使えない」


「え……?」


 イロハは改めて風を読み、ダーツの位置を確認してみる。ダーツは確かに高台の直前にあった。


「この方法では強制転移の突破は不可能ということだ」


「じゃあ、どうする?撤退して仕切り直す?」


「いや……まずは解析だな」


 クロはポケットから10本程のダーツを取り出すと、その全てに【明晰なる飛空刃シャープ・シューター】を付与して投じた。ダーツは約5メートルの間隔で、2人の正面から一直線上に並んで静止する。その座標を、クロは1本1本確認していった。


「ここだ」


 そうして、8本目の座標が参照出来ないことが分かった時点でクロは全てのダーツを呼び戻し、イロハを連れて歩き出す。その間も問題のポイント付近へと何度もダーツを飛ばし、境界の正確な位置を割り出した。


 目視した限りでは、特に怪しい点などは見当たらない。しかし、クロが試しに魔力を目の前の空間に通してみたところ、微かに薄いベールのような魔力の揺らぎがあった。クロはそのまま、揺らぎに魔力を通して解析を開始する。


「かなり複雑だな……あと、見覚えがある構造だ。まるでシャルロテの部屋を見ているかのような……」


「魔晶世界に似てるってこと?」


「ああ。どういうロジックが働いているのかまではまだわからないがな……」


 目の前の境界へ両手をかざし、クロは慎重に魔力を通して解析を続行する。上手くいけば突破の糸口を見出だすことができるだろうが、クロにも完了までどれくらいの時間がかかるかは分からなかった。それほど、この境界は複雑な構造をしていたのだ。


 その時、クロの左手に収まっていた砂まみれの物体Xが、突然小刻みに振動し始めた。クロは反射的にそれを取り落としてしまったが、物体は地表に落ちることなくふわふわと宙に浮いたままだった。


 今まで見せていなかった“自立浮遊”という新たな機能に呆気にとられた兄妹を余所に、物体は2度、3度とストロボのような光を放つ。直後、物体から放たれた極彩色の波動が、幻影の樹木を消し去りながら一直線に森の奥へと突き進んでいった。


「これ……まさか境界の“鍵”だったの……?」


 物体が放った波動が七色の道へと変化していくのを呆然と眺めながら、イロハが呟く。物体は役目は終わったとばかりに、ふよふよとした挙動でクロの手元に戻って行った。


「というよりは無理矢理抉じ開けた感じがするが……いずれにせよ道は開けた。撤退の理由はもうないな」


「そうね……行こう、にぃ様」


 兄妹は頷き合うと、意を決して煌びやかな光の道に足を踏み入れた。




◼️◼️◼️◼️◼️◼️




「そろそろ高台の手前だな……」


 少しして、兄妹は光の道の終端に差し掛かっていた。道は2人が歩む度に金色の波紋を広げ、通り過ぎたそばから消滅していく。道から外れれば強制転移の餌食となる可能性がある以上、後戻りは出来なかった。“なんとしても前に進んでもらう”という、物体Xの意志が感じられるようだった。


「何か、変わったものはあるか?」


 クロは傍らを歩くイロハに問いかける。イロハは両の灼眼を閉じたまま、空気の流れに集中している。この島に上陸して以来、イロハは幾度となく高台の上を精査したが“信じられないくらい気流が乱れている”ということしか分からなかった。


 しかし、“境界”を越えたことで隠されていたものが姿を現したということなのか、イロハは高台の頂上に巨大な構造物の存在を感じ取っていた。


「頂上に……何かしらこれ。巨大な……?」


 その時光の道が途切れ、空間が開けた。イロハもハッとして目を開く。深い幻影の森にぽっかりと空いた直径50メートル程の平地。


 そこには、既に人影があった。


「まったく……余計なことをしてくれましたねぇ」


 気だるげな声音。


 ひょろりとした長身。


 


 


「大人しく、この島を彷徨っていたならば捨て置いたものを……」


 作家の悪魔メフィストフェレスが、そこにいた。

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