魔人兄妹と“黒幕”

「くく……あまりの衝撃に言葉も出ませんか?無理もありませんが……」


 悪魔は、してやったりというニヤニヤ笑いを浮かべながら、手にしたステッキを弄ぶ。どこか自信無さげでおどけたような雰囲気は完全に鳴りを潜め、代わりに上級悪魔らしい邪気を全身から放っていた。


「何しろ、今までずっと行動を共にしていた者が黒幕だった、というシナリオですからねぇ……是非とも感想をお聞きしたい所ですが?」


「……どうでもいいが、その笑い方は致命的に合ってないぞ。お前」


 対するクロの顔からは表情が消失していた。次いで、隣のイロハが警戒を隠すことなく、真っ直ぐに悪魔の顔を見据えて口を開く。


「それ以前にまず……


 その言葉で、空間に静寂が満ちる。悪魔は何を言われたかわからないという様子で、きょとんとしていた。


「おや?……おやおやおや、いったい何を言っているのです。よもやわたくしの名前を忘れた訳ではないでしょうに」


の名前は知らないわ?私が知ってるのは現在進行形で浜辺を散歩している人の名前だもの」


 イロハの【風読み】は島の全域をカバーしている。浜辺には、兄妹が行動を共にしていた作家の悪魔の姿がしっかりとあった。加えて、イロハは目の前の悪魔に決定的な違和感を覚えていた。


「ついでに言えば、そもそもあなたには。この森や島と同じ……見せかけだけのまやかしよ!」


 そう、この作家の悪魔を騙る何者かには、物理的な肉体が存在していなかった。風はその身体を通り抜けるばかりで、輪郭に触れることが出来ない。


 聞いた悪魔は、長く、深くため息を吐いた。呆れて物も言えない、という感情が全身からにじみ出ている。


「がっかりです。それはの望む反応ではない。かつての仲間が敵として現れた。それを目にした時の驚愕、葛藤、疑問焦燥混乱戸惑い悲嘆……それらが複雑に混ざり合ったイイ表情を期待していたというのに。心拍さえ増えていやしないでしょうあなたたち。実にツマラナイッ……!!」


 後半はほとんど聞き取れない程の早口になっていた。ヒステリックに両手で髪を掻きむしり、外れたシルクハットが地に落ちて黒い塵と化す。その様は、あの黒い犬を撃破した時と全くの同一だった。


「……まあ、そもそもあなたたちは単なる魔力源として招き入れただけですし、それ以上を期待する方が間違っていたのです」


 不意に、悪魔はケロリとテンションを戻す。この急激な気分の切り換えは悪魔の共通行動なのだろうかと、クロは胸の内に宿る夢魔の顔を思い出したが、その前に聞き捨てならないことがあった。


「……“招き入れた”だと?」


「そうです。この島に近い魔力ある者は全てここへ流れ着くよう、潮流や風向に手を加えてあるのですよ。私の糧になってもらう為にね」


 つまりは、兄妹がこの島に上陸したのは偶然ではなかったということだった。漂流中に空気塊を制御していたイロハも気付かぬ間に、2人はこの幻影の島へと引き寄せられてしまっていたらしい。


「しかし不可解です。ここへ降り立った人間は、混ぜ込んだあのメフィストフェレス役立たずの魔法の影響で自動的に“木”になるはずなのですが……何故あなたたちは無事なのでしょうね」


「知るかよ」


 ギョッとしたように目を見開くイロハの肩に手を置きながらクロはそう返したものの、理由には心当たりがあった。木の役を割り当てられた人間は、例のオブジェと化して身体の自由を奪われてしまう。それを『拘束』と判断した自由なる旅人の装束ワンダラーズ・クロスが防御機構を発動したのだろうと考えられたのだ。それが無かったなら上陸の瞬間に詰んでいた可能性が高かったということで、クロの背筋を冷たい物が這い回る。


「それにしても“役立たず”とは随分な言い草だな。仲間じゃないのか?」


「正当な評価ですよ」


 その言葉を、悪魔は鼻で笑い飛ばす。侮蔑に淀んだその眼差しは、本物のメフィストフェレスなら絶対にしないと断言出来るようなものだった。


「軍の慰労だかなんだか知りませんがね、わざわざ人間の街にまで赴き、無駄に魔力を使ってあのような下らないことをやっているヒマがあるなら1人でも多く殺して来いって話です。役立たず以外に何と言えというのですか」


『他の魔王軍の皆様は……演劇になど興味を持っては下さらないのですよ……なんと嘆かわしい』


 クロの脳裏に、力無く笑う作家の悪魔の顔が浮かんだ。魔王軍の魔物は演劇に興味を持たない、とメフィストフェレスは言うが、目の前の魔物の様子を見るにそれは間違いだと言えそうだった。興味を持たないどころか、完全に蔑まれているようにしか兄妹には感じられなかった。メフィストフェレスの自己評価が低いのも、普段からこうした蔑みの視線に晒されているからではないかと邪推してしまう程に。


 それでも、と、クロは思う。


 こんな侮蔑の視線を向けられる謂われが、あいつにあるだろうか、と。自らの無力さを自覚しながら、それでも軍のためを思って、一時の娯楽を提供しようと自分が出来ることに心血を注ぐ、あの劇作家に。


 1本の演劇を製作するために必要な労力など、門外漢もいい所なクロには分からない。だが、


「だから!私が有効に活用してやったのですよ。無駄使いされるはずだった膨大な魔力を、この島を作り上げるためのリソースとしてね!!」


 コイツは、その努力と想いをあっさりと土足で踏みにじったのだと。それだけは、理解出来た。


「……なあ、妹よ」


「……なに、にぃ様?」


 呼応したイロハの声は、かつてない程冷えきっていた。


「俺がこの島を攻略しようとした最大の動機は閉じ込められたことに対する鬱憤晴らしだし、島の主の事情次第では理不尽で不純な物になるかもなぁ、と思うことが無かった訳じゃないんだよ」


 けどさ、と、クロは気付かぬ間に荒くなっていた呼吸を整える。


「コイツには……諸々思いっきり叩きつけても文句は言われないよな?」


「ええ。私たちを閉じ込めるだけに飽き足らず、魔力源として使い捨てようとした。何の罪もない人々を大量にさらって監禁した。オマケにめふぃの努力と名誉にまで傷を付けた。同情の余地なんてないわ……!」


 イロハの灼眼が、揺らめく核熱の輝きを湛えている。その足元では風が唸りを上げ始め、鍵盤が刺繍されたスカートをはためかせる。浜辺でイロハが言っていたギラギラとした目とはこのことだろうか、と、クロは妹と同種の熱を溜め込みながら考えた。


「さて、おしゃべりが過ぎたようです。元より、私が降りて来たのはあなたたちが持っているを回収して放逐し直すため。それさえ済めば最早あなたたちに用はありません。再び取り戻されても面倒ですし、土に還した後魔力リソースとなって戴くことにしましょう……」


 クロの持つ物体Xを指してそう言った悪魔の輪郭が、黒い塵となって崩れる。塵は形を変えながら再び依り集まって、メフィストフェレスとは別の魔物の姿を作り上げた。


 イバラを編み込んだようなグリーンのローブを纏う、ドーベルマンと呼ばれる種類に酷似した黒い犬の頭を持った魔物。手にしていたステッキは巨大な赤薔薇を模した長杖に変じ、両肩で膨らんだ真紅の蕾が大輪の薔薇の華を咲かせた。声色もまた、男の声と女の声が入り雑じったような不気味なものへと変貌している。


「魔王軍【百魔将】が1人、序列69位『迷幻めいげん』のフラウローズ。哀れな迷い人たちよ……この名を魂に刻んで、冥府の門へ赴くが良い!」

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