魔人兄妹は休息する 再

「奴も動物である以上、体温まで消し去ることはできまい」


 トカゲのように魔力を持っているでもなく、【風読み】では判別困難という厄介な性質のムササビを発見するために、クロが使ったのは“温度識別”の魔法だった。


 一時的にクロの視界に映るものの輪郭が不明瞭になり、景色が極彩色に染まる。暖かいもの程白に近い暖色系の色になり、温度が下がる程黒に近い寒色系の色に変わっていく。


 苔の海が青く染まっていく中で、そこに紛れ込んでいるムササビの姿が淡いオレンジ色に浮かび上がる。魔力探知などと違い視界を占有してしまうため常時使用には向かないが、このように場面や対象を選べば効果的な魔法だった。


「奥の方に1匹、付近には罠のものと思しき熱源もあるな。危ない橋は渡らないタイプだろうし、罠を踏み抜きさえしなければ近くを通っても大丈夫だろう」


 斯くして兄妹は2匹目のムササビの縄張りを無傷で通り過ぎることができた。2人は万が一襲って来た時に備えて迎撃の準備も整えてはいたが、ムササビは兄妹が目の前を通っても身じろぎ1つしなかった。


「徹底してるわね……本当に“生きた罠”って感じ」


 ムササビの張り付いている辺りの壁を肩越しに一瞥しながら、イロハがポツリと言った。


「彼らにとっては、そのように進化することが何よりの生存戦略だったのだろうな。ああ、やはり施設あの場所を出て正解だった。世界はこんなにも驚きに満ち溢れているというのに、危うく一生を棒に振る所だったな」


 クロは軽く両腕を開きながら、高揚したような声で言った。


「さて、それでは更なる未知を見せて貰おうか!」


 テンションの上がった状態のまま、クロは突き当たりの壁に手のひらを押し当て、【解放の門リバティ・ゲート】を使った。すると壁に2メートル四方の切れ込みが入り、奥の空間へと押し込まれるようにスライドしていく。


「本当に……先の空間があったのね!」


「そのようだ。大手柄だぞ?イロハ」


「えへへ」


 はにかむイロハを撫でながら、クロは壁に開けた穴の先に踏み込む。そこは壁と平行に伸びる1本の通路となっており、右奥で整備ゴーレムが1体、マイペースに壁を磨いていた。


 通路の横幅は迷路を構成している通路の半分程であり、狩人ゴーレムが入ることは出来ないだろうと思われた。


「生き物の気配はないわ」


「熱源もない。トカゲの養殖場ではないようだ」


 イロハが【風読み】で、クロが温度識別の魔法を使い隠し通路をそれぞれ走査した。安全を確認し、兄妹は完全に隠し通路へと進入した。2人の背後で、音もなく壁の穴が塞がる。


「あっちは行き止まりで……こっちには下りの階段があるわね」


 イロハが通路の端を交互に指で差し示す。整備ゴーレムがいる側が通路の終端のようだった。


「なるほど、本来は更に下の階から上がってくる必要があった訳だな。これは大幅なショートカットに成功したと見て良いだろう」


「かなり長い階段みたいだけど……どこまで降りて行くのかしら」


「それも気になる所ではあるが……まずは目の前のコレからだな」


「そうね。にぃ様」


 通路の、迷路とは反対側の壁には観音開きの大理石の扉が3つあった。兄妹はその内、一番左端の扉の前に立っていた。扉には遺跡上層にあったようなレリーフが掘り込まれており、扉の上部には謎の文字で書かれた表札らしき部分もあった。


「罠の類いがないことは確認したし、御開帳と行こう」


 クロは扉の取っ手に手を掛け、ゆっくりと開け放った。見るからに重厚な扉だったが、あまり力を込める必要はなかった。


 仄かにカビと埃の臭いが漂って来ると同時に、設えられた魔力灯が起動して内部の光景が明らかになった。


 扉の内部は16畳程の広さの部屋で、内部には石作りの執務机と思われるものを始め、クローゼットや椅子などの家具類が散見された。部屋の左手側の壁にはもう1つ扉があるのも確認できる。


「これは……生活空間のようだな。遺跡の主のものだろうか」


「結構埃が溜まってるみたいだけど……」


 あちこちを見回しながら歩くクロに次いで、部屋に入ったイロハが大理石のテーブルを指先でなぞる。うっすらと埃が堆積していた。


「使う者がいないから、整備の優先度が低くくなっているのかもな。ゴーレムの巡回も半年に1回とか、そのくらいの頻度なのだろう」


 クロはカビが点々と生えている壁を見つめながら応えた。


「ともあれ、ここならゴーレムたちの邪魔にならないし、敵性生物もいない。拠点にするには申し分ない場所だとは思わないか?」


「そうねにぃ様。ちょっと掃除すればこのまま使えそうだし」


「よし、であれば早速取り掛かろう。俺は外に警戒魔法やトラップを仕掛けて来るから、先に始めていてくれ」


「はい、にぃ様」


 クロが足早に部屋を出るのを見送った後、イロハは“研磨”や“洗浄”など複数の魔法を掛け合わせた黒い波動を手のひらから壁や床に放ち、埃やカビを取り除いていく。戻って来たクロも加わるとペースは更に上がり、約10分後には、大理石の部屋は輝きを取り戻していた。


「取り敢えず、一晩明かすだけならこれで十分か?」


「本格的に住むには、まだ色々足りないけどね」


「その辺は明日考えよう。今は休息を優先するべきだ。俺も、お前も」


「はい、にぃ様」


 部屋が整ったのを確認した途端、知らぬ間に蓄積していたらしい疲労感が兄妹の身に押し寄せて来た。2人は特に抗うことなく、外套を脱いで床に広げ、その上に横たわる。


「今夜は……安心して眠れるかな」


「眠れるさ、というかそうでないと困る。俺たちはいい加減に疲労を取り除かなきゃいけない。主に精神の方の」


 不安そうな顔のイロハをそっと抱き寄せながら、クロは目を閉じる。


「……そうね、にぃ様。私も……疲れたわ」


「ああ、しっかり体を休めるといい」


「ん……」


 2人はそのまま、こみ上げる眠気に身を委ねていった……

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