魔人兄妹と見えざる脅威
「これで迷路も3階層目か」
ほとんど変わり映えのなかった第4階層の隅の方にあった階段を下り、2人は第5階層に歩みを進めていた。流石に3回目ともなるとイロハも
「でも、なんだか前までの階層に比べると少し狭いような気がするわ」
クロが浮かべたインクの玉を地図の形に変えていく中、イロハが違和感を口にした。
「ん?……ああ、確かに」
クロが他の迷路の地図と完成した5階層の地図とを縮尺を合わせて見比べると、5階層の迷路はイロハの言う通り、面積が一回り程小さかった。
【
「外側に通路が1本あってもおかしくはない感じだな……お手柄だ」
「えへへ」
ひとしきりイロハの頭を撫で回した後、クロは早速付近の迷路外周にあたる壁へ【
「これは……外周を回って試してみる必要がありそうだな」
「まずは、真っ直ぐかしら……」
イロハの言葉に頷くと、クロは階段の正面に伸びる通路に向けて脚を踏み出す。
その瞬間に起きた事を、クロもイロハも、全く予想し得なかった。
「がっ……!」
「にぃ様!?」
クロの足裏が床面に接すると同時、彼の全身を衝撃が走り抜けたのだ。クロは次いで襲って来た全身の痺れにより立っていることもままならなくなり、うつ伏せに倒れてしまう。
「にぃ様、しっかり!!……ッ!?」
イロハは慌ててクロに駆け寄ろうとするも、近くに何者かの気配を感じて足を止める。しかし見える範囲には何もおらず、【風読み】にも動体反応はない。
そこでイロハは、気配の主を釣り出すことにした。
「『集いし風に、“刃”の名を贈らん』――」
訓練用の木杖を腰だめに構えて魔法を1つ詠唱し、イロハは倒れ伏すクロに近寄ってかがみこむ――ふりをする。
そしてイロハの目論見通り、隙が出来たと考えた見えざる襲撃者は、視線を落とした彼女の背後から襲い掛かった。
(かかったッ!!)
その動きを空気の流れから完全に把握していたイロハは、かがみこむ動作をキャンセルして身体を回転させる。上半身を後方にひねりながら、両手で握り締めた木杖を上段へ。その先端からは、大量の空気を依り集めた不可視の刃が伸びていた。近接戦用の中級魔法【
イロハの背後に迫っていたその生物――背中の毛が壁の苔と酷似したムササビ――は不意討ちが読まれたことに驚愕したのか急制動を掛けようとしたようだが、時既に遅し。
「はああぁッ!!」
次の瞬間、袈裟懸けに振り下ろされた空気の刃が、襲撃者の瞳から永久に光を奪い去った。
「にぃ様!」
血溜まりに沈んだムササビには目もくれず、イロハは【
「くっ……はぁ……」
クロは身体の痺れから解放されたのか、両手を床に突っ張って起き上がろうとしていた。
「にぃ様、大丈夫?」
「ああ……すまない。不覚を取った」
イロハに助け起こされたクロは荒い息を吐きながら、絶命した下手人を見やった。
布が比較対象になる程に薄い身体を持つ、体長60センチ程のムササビ。何より特徴的なのはその毛皮で、毛の長さや質感、色合いや細かい濃淡に至るまで、何もかもが周囲の壁に生えた苔と恐ろしい程似ているのだった。一度壁に取り付かれれば、発見は困難を極めるだろうことは容易に想像出来た。
「……完全にしてやられたな。こんな奴がいたとは」
「危なかったわね……」
クロは軽く腕を動かして身体の調子を確かめる。倒れている間にもなんとか簡易的な回復魔法を使うことは出来たため、大事には至っていない。着ている外套には所々焼け焦げた部分が見て取れることもあり、クロは自分がなんらかの手段で電撃を撃ち込まれたのだと考えていた。
「これか」
クロは床の一部が不自然に焦げたような跡を見つけてかがみ込む。床を構成している大理石に直径が親指の先程の穴が空いており、その付近に黒いタールのような粘性の液体が付着していた。液体はほんのりと熱を帯びており、微かに油が焦げたような臭気が漂っている。
「この穴からもこの
「これがトラップ系の魔法だったら判別が楽だったんだがな……」
クロはため息を吐きながら、魔法を1つ使った。
「『この地に刻まれし記憶よ、我が前に』――【
瞬間、2人の目の前に魔力で形作られた青白い映像が、床から立ち上がるように移し出された。クロのオリジナル魔法【
映像はクロが床の穴を踏み抜く直前から時間を遡っていき、やがて、ムササビが床に槍の様に尖った尾の先端を突き刺して、そこから分泌された液体を穴に流し込んでいる様子を克明に映し出した。更には、その間ずっと前足と後ろ足を繋ぐ滑空用の皮膜の表面で細かく電光が弾けるのも確認出来た。
「なるほど……皮膜で作り出す電気を帯びた分泌液による罠を張り、そこに踏み込んで麻痺した獲物を襲う、と。そういう生態か」
「こいつも、トカゲを標的にしているのかしら」
「床を歩く生物は基本その位だろうしな」
それが正しければ、増やしたい対象であるはずのトカゲを襲う生物が1種類追加されることになる。ワーム同様、このムササビも巧妙な擬態能力から苔に紛れて入り込んだものと思われた。
ここでクロが、1つ仮説を立てた。
「もしかすると、こいつやワームはトラップを設置するという生態を買われて、侵入者対策として敢えて放置されているのかもな。トカゲに追われている途中でこいつの罠を踏み抜いていたらと思うとゾッとする」
「私たちが見つけられなかっただけで、上の迷路にもいたかもしれないものね」
この薄い身体で苔の海に隠れられてしまうと、例えイロハが【風読み】を使おうとも見分けを付けるのは困難だろう。
「ちょっと【風読み】に頼り過ぎてたのかもしれないわね……」
「仕方ないさ。今回は良い薬になったと思っておくべきだな」
気を引き締め直して、2人は迷路の更に先へと進んでいった。
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