魔人兄妹と内なる魔

 イロハが目を覚ますと、そこはどことも知れぬ広大な草原だった。


「え!?」


 跳ね起きた彼女は視線をあちこちに巡らすが、どの方向を見ようとも全く同じ景色が広がっているばかりだった。大理石の壁は消え去り、共に眠っていたはずの兄の姿もない。


 くるぶしくらいまでの長さの草が強風に煽られ、どこまでも続く波を作っている。見上げれば、地上へと影を落とす大小様々な雲の群れが、形を次々と変えながら吹き飛ばされていく。それが、その世界の全てだった。


「にぃ様ぁあーーー!!」


 大声で兄を呼んでみるも、聞こえるのは返事ではなく風の唸りばかり。自分の声が反響して戻って来ることさえない。まるで雲と一緒にさらわれてしまったかのように。


「……」


 次にイロハは【風読み】を使い、知覚出来る範囲ギリギリまで周囲を精査した。しかし範囲内の空気が触れているものは、やはり草くらいしか存在しなかった。


「……だったら、何かに触れられるまで歩き続けるわ」


 イロハは不安を抑え込むように深呼吸を1つすると、意を決して草の大海へと踏み出して行った。




◼️◼️◼️◼️◼️◼️




 イロハは、無言のまま歩いていた。


 手術衣の裾がはためいて脚の動きを阻害しないよう、足元の空気を操作しながら歩き続けていた。


 歩けども歩けども景色が変わる様子はなく、【風読み】でも新たな情報を取得出来ない。そして聞こえるのは相も変わらず、ゴウゴウと吹き荒ぶ風の音のみ。


 得体の知れない原野。しかしイロハは歩き続けるにつれて、ここが不思議と悪い場所ではないように思えて来ていた。


 一切遮るものが無く、風が縦横無尽に吹き抜けていく地。地上から再び閉塞した地下に潜ったイロハにとっては、暫く味わうことは出来ないはずだった圧倒的な解放感。


 総じて“心地良い”という感想をイロハは抱いていた。


(にぃ様が、一緒だったらな)


 願わくは、兄ともこの心地良さを共有したかった。しかし、かなりの距離を歩いたはずであるにも関わらず、クロの姿はおろか生き物の気配さえ全くない。イロハは、段々と焦りを覚え始めていた。


 その時不意に、風が草以外の、形あるものの存在を知らせて来た。方向は、イロハの進む先から少し右に寄った辺り。


 矢も盾もたまらず、イロハは反応のあった地点へと駆け出した。


 走り出した直後、目標地点付近に小川が流れていることが【風読み】により確認出来た。際限なく続くと思われた景色に変化が生じると分かり、イロハは更にスピードを上げる。


 程なくして、イロハは川縁に座り込む何者かの姿を視界に収めた。


 曇天を溶かし込んだかのような鈍い灰色の甲冑で大柄な身体を包み、交差した三日月のような装飾が兜の前面で光っている。見る者が見れば、島国の鎧武者のようだと評したことだろう。


 その異様な出で立ちにイロハが接近を躊躇っていると、不意に彼女の耳元で、ささやくような声がした。


『幼子よ。そのように立ったままでは脚が疲れよう。こちらに来て座るがよい』


 驚いたイロハは視線をキョロキョロと周囲へ彷徨わせるが、声の主などどう考えてもあの鎧武者以外にいない。何らかの魔法で、声をイロハの耳元に直接届けたらしい。


 イロハは恐る恐る鎧武者に近付いて、その隣に腰を下ろした。


 鎧武者は座禅を組むようにしながら、彼方の空を見つめているようだった。その顔には恐ろしい怪物の形相を模した仮面が装着されており、それは角度によって、怒りの顔にも、笑顔にも、泣き顔にも見えた。


 そしてイロハはあることに気付き、鎧武者に問いを投げた。


「あなたは……魔物なの?」


 装甲の隙間から覗く鎧武者の身体は、激しく渦を巻く気流によって構成されていたのだった。


 鎧武者は微動だにしないまま、イロハの問いかけに答えた。




「如何にも。我が名はジルヴァン。しがない風精シルフィードである」




◼️◼️◼️◼️◼️◼️




 その頃、クロもまた、いつの間にか見知らぬ部屋にいた。


 ビビッドなピンク色で床も壁も家具も統一された、8畳程の広さの寝室。ふかふかのカーペットのほとんどを様々なぬいぐるみが埋め尽くすその部屋の隅に、クロは立っていた。


「やあっと会えたわね!宿主クン?」


 不意に響いた、鈴を鳴らすような甘ったるい声。


 その声の主は、部屋の中央に置かれた天蓋付きのベッドに腰掛け、フリルやリボンがふんだんにあしらわれたミニスカートから伸びる白い脚をぶらぶらとさせていた。


 黒銀色の長髪をツインテールにし、アメジストのような瞳が輝く美貌には不敵な笑みが浮かんでいる。


 身長はイロハと同程度とかなり小柄だが、黒を基調としたドレスからは胸の谷間が主張しているなど、メリハリの効いた体つきをしているのが見て取れた。


 そして殊更に目を引くのが、こめかみの辺りから後方へと伸びる、湾曲した金色の角。


 その可憐さと妖艶さが絶妙に同居した容姿は、施設での座学で嫌という程目にしていた。


「あなたのことだから察しはついていると思うけど、改めて自己紹介してあげる」


 勢いを付けてベッドから飛び降りたその上級悪魔グレーターデーモンは、クロの前にやって来ると両手を腰に当てて小首を傾げながら胸を張った。




「魔王軍【百魔将】序列第5位、『破綻』のシャルロテ。よろしくね?」




「……」


 厄介事の予感がする、と、クロはため息を吐きながら額を押さえるのだった。

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