魔人兄妹と樹海の主

【シドクジュカイリュウ】。


 死毒の樹海の生態系の頂点に君臨するその生物は、木々の合間をそれらの幹より太い4本の脚をゆっくりと動かしながら歩いていた。


 体長は約20メートル。全体的にリクガメをスケールアップしたような外見をしており、表面に苔や菌類が繁茂したテーブル状の甲羅が特徴的だった。


 頭部は矢尻のような形状で、鼻先から螺旋状の角が1本、正面に向かって突きだしていた。


「――!」


 その威容を目の当たりにしたイロハが硬直するのを隣に立つクロは感じとった。無理もない。何せ今まで出会ったのは自身と同等かそれ未満のサイズの生物ばかりだったのだから。唯一の例外である炎の巨人でさえも、本能的な恐怖感という意味では眼前の竜に敵うまい。


「大丈夫……大丈夫だ。さっき話しただろう?」


 あらかじめ研究レポートで予習していたクロは表面上は平然としているが、しかしそれでも背筋を伝う冷や汗だけは止められなかった。


 兄妹の目の前をゆっくりと横切ろうとした樹海の主は、細い瞳孔が浮かぶ空色の眼を一瞬だけ2人に向けたが、それだけだった。何事もなかったかのように、その重々しい歩みを再開する。


 緊張から解き放たれ、2人は胸を撫で下ろした。


「こいつはこの森においては最大最強の生物だが、それ故に自身よりちっぽけな動物に関心がないんだ。自分の命を脅かすわけでもなければ、腹を満たす糧にもならない。いてもいなくても同じ有象無象、背景の一部と思っているのかもな」


「……それでも凄く心臓に悪かったわ」


 この樹海において、シドクジュカイリュウの関心を引けるものは2つ。同族と、主食である“死毒竜血樹しどくりゅうけつじゅ”だけである。


 死毒竜血樹は高さ5メートル程度の細長い木で、血のように真っ赤な樹液(猛毒)を流すことが名前の由来だった。また果実が存在せず、木の幹に種子が埋没する形で発生するという特異な生態を持っているが、これはシドクジュカイリュウに捕食されることで種子を取り込ませ、離れた場所で糞と共に排泄されることで生息域を拡大するための戦略である。


 丁度兄妹の目の前のシドクジュカイリュウもこの木を見つけ、おもむろに鼻先の角を根元に突き刺した。シドクジュカイリュウが力を込める度に木はどんどん傾いで行き、あっという間に横倒しになってしまう。


「よし、今のうちに甲羅の上にお邪魔させて貰おう」


 バリバリと破砕音を響かせながら死毒竜血樹の幹を噛み砕いているシドクジュカイリュウへと、クロたちは近づいていった。接近するとその巨大さがよく分かる。地上から甲羅の上までの高さが3メートルはありそうだった。


「にぃ様、魔法で上げるわ」


「助かる」


 イロハが発動した上昇気流を発生させる魔法【浮遊の昇風フロートブロウ】によって緩やかに高度を上げた兄妹は、静かに苔むした竜の甲羅へ着地した。それなりの重量を持つものが背中に乗ったにもかかわらず、シドクジュカイリュウは一切の反応を示さないまま食事を続けている。


 甲羅の上には、薄紫の毛をした兎シンリンドクウサギがたむろしていたが、突然現れた2人見慣れない生き物に驚いたのか、文字通り脱兎の如く甲羅から飛び降りていってしまった。


「……なんだか、悪いことをした気分」


「……まあ、逃げてしまったものは仕方ないだろう」


 言いながら、クロは苔に覆われた甲羅を見回す。所々、兎による物とおぼしき食み跡が見られた。


「――あれだ」


 やがて甲羅の端に目的の物を見つけ、クロは揺れに注意しながら近付いていった。後を着いて行ったイロハが屈み込む兄の手元を覗くと、クロはなにやら手のひらサイズの白い塊を採取していた。


「にぃ様、もしかしてそれが?」


「そう、この樹海で採れる数少ない食糧だな」


 クロが白い塊をイロハに手渡す。表面のつるりとした感触や弾力はイロハにとっては完全に未知なるものだった。見る人が見れば、殻を剥いたゆで卵にそっくりだと評したことだろう。


 この塊は【リュウノタマゴタケ】。ドラゴン型の生物の甲殻にのみ生えるというキノコの1種だった。基本的に強大な生物であるドラゴンからしか採取出来ないとあって市場での流通量は少なく、専ら庶民には手が出ない高級食材である。


 そんなリュウノタマゴタケだが、この樹海では宿主のシドクジュカイリュウが危害を加えない限りは比較的脅威度が低いということもあって、ただ単にまともに入手できる貴重な食材の1つという位置付けであった。


「キノコっていうのはだいたい火を通さないと危なかったりするが、こいつは生でいける。というか加熱すると色々台無しになる」


 クロはリュウノタマゴタケの1つを軽く水魔法で洗うと、そのまま齧りついた。


「……どう?」


 イロハがおずおずと尋ねると、クロは何かが詰まったような「うっ!」という声を上げて口元を押さえた。


「にぃ様!?」


「旨い……」


「えっ……?」


 イロハが心配して覗き込んだクロの表情は、苦悶ではなく、驚愕に染まっていた。


「旨いぞイロハ。お前も食べてみろ!……これは凄いぞ」


 まるで施設から飛び出した直後のような興奮を見せながら、クロは塊の残りを一気に頬張った。そのただならぬ様子に、イロハも受け取った白い塊を見つめる。木漏れ日を照り返すそれは、いっそ神秘的ですらあった。


 兄に習って表面を軽く洗い清め、イロハは恐る恐るキノコを小さな口に運ぶ。


「…………ほわぁ~~~~ぁぅ」


 途端、少女の表情が一瞬の内に蕩けた。


 口に含んだ瞬間、白い塊はクリームのように形を失くし、仄かな甘味を孕んだ濃厚な味わいで口内を満たしたのだ。イロハにとっては、以前兄に貰ったお菓子さえも超える未知の衝撃だった。


 そして気づけば、手の中にあったはずの白い塊は姿を消していた。


「……もう、施設あそこの食事には戻れないわ」


「俺たちがあの場所に戻ることはないから無問題だな」


 恍惚とした表情の妹に、クロは苦笑しながらそう返すのだった。




◼️◼️◼️◼️◼️◼️




 リュウノタマゴタケを4つずつ食べ終えた後、積み重なった疲労が一気に襲って来たのか眠ってしまったイロハに膝を貸しながら、クロもまた甲羅の上で仰向けになっていた。


 樹海の主の歩みに合わせて、頭上に広がる木々の枝葉がゆっくりと流れてゆく。ここにいれば少なくとも猫には襲われないということもあって、穏やかな雰囲気に満ちていた。


 ともすれば、体を丸めて寝息を立てている妹よろしく微睡みに身を任せてしまいそうになるが、しかしクロは警戒用の魔法を周囲に油断なく張り巡らしていた。


 シドクジュカイリュウは確かにこの森において無敵の存在だ。その堅牢極まる甲殻は生半可な攻撃を決して通さず、強靭な尾や爪牙の前には鎧も意味を為さない。更には、死毒竜血樹由来の毒と自身の持つ毒を混ぜ合わせて体内で精製する、あらゆる物質を溶解させる必殺の“溶毒ブレス”まで備えている。


 しかし、


 クロは施設での夜の散歩の間に目撃してしまっていた。明らかに、としか思えない素材の数々を。それはひとえに、あの研究施設には、樹海の主すらも討伐してのける存在がいるということの証明に他ならない。


(いつまでも竜の厄介になっている訳にはいかないな……)


 クロは頭に入れた地形図と竜の向かう方向を照合しながら、逃走ルートを模索するのだった。

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