魔人妹のオウルハント

 初めて兄の寝顔を見たイロハの感想は、“かわいいな”だった。


 竜の甲羅に乗ってから数時間。日もすっかり高くなった頃、イロハは目を覚ました。今は兄と交代して、眠るクロの頭を膝に乗せている。


 とても普段自分を導き、様々な悪巧みを考えている人間とは思えない程、無垢で無防備な寝顔に、イロハの口元が綻ぶ。


 同時に、イロハは嬉しかった。他人に無防備な姿をさらけ出すこの“膝枕”という行為は、全幅の信頼の証に他ならないからだ。


(今は私が守るから、どうか安心してね、にぃ様)


 イロハは静かに目を閉じると、空気の流れに意識を集中させた。空気に触れている全ての物体、動植物の姿が、下手に目視するよりも鮮明に伝わって来る。その策敵範囲は、優に半径3キロを超えていた。


 しかも恐ろしいことに、イロハは未だ一切の魔力を使ってはいない。ただ身体の感覚のみで空気の流れを正確に感じ取っている。この強力な“風読み”の能力は、身の内に宿る風魔シルフィードの魔晶の恩恵だった。こと屋外において、イロハの策敵から逃れられる者はいない。


 だからこそ、イロハは悔しかった。油断していたとはいえ、例のフクロウに二度も不意討ちを許してしまったことがだ。


(にぃ様に信頼されている者として……3度目は許されない……!)


 イロハは目を閉じたまま、範囲内を精査する。ウサギ、モモンガ、ネコ、シカ、小鳥、そして竜と、次々に樹海に息づく生物の位置情報がイロハの元に集積されていく。この樹海には時折薬品の材料を採取しに来る薬師やハンター、さらに彼らの帰り際を狙う盗賊が潜伏していることもあると兄から聞いてはいたが、策敵範囲に人間は存在しないようだった。


 そして――――


「見つけた」


 イロハは竜の右斜め後方300メートルの位置より、気配を消しながら追走して来る飛行生物を捉えた。空気の無駄な乱れが一切なく、羽ばたきの音も全くしない。恐ろしい程に精密な飛行だった。


 ヤモウトウゾクフクロウは一気に200メートル程距離を詰めると、絶妙なスピードコントロールで付かず離れずの位置をキープし始めた。今のところクロは睡眠中、イロハも両目を閉じているので隙だらけに見えているはずだが、そのまま一気に襲い掛かって来ない所を見るにかなりの慎重派らしい。


(もしかしたら竜を刺激しないように……と考えているのかも?)


 イロハはフクロウの挙動に細心の注意を払いながらそう予想を立てる。フクロウごときが少しちょっかいを掛けた程度で暴れ出す樹海の主ではないだろうが、それでも竜と比較すれば圧倒的弱者である彼らとしては警戒せざるを得ないのだろう。


(だったら、その隙は有効に活用させてもらうわ)


 目を閉じたまま、イロハは小さく魔法の詠唱を始めた。


 かつて、【其は、獄牢をリジェクターズ・拒絶す禍嵐テンペスト】を作る際に、兄は言った。


『新しく魔法を作るなら、あれもこれもと詰め込まない方が良い』と。


 多くの効果を持つ魔法は強力だろうが、形にするために要求される魔力の量も、イメージの複雑さも桁違いになる。1つの魔法に何でも出来る汎用性を求めるより、一点に特化した魔法をいくつも使えるようにした方が楽だし結果的に多くの状況に対処できる、と。


『効果を欲張ると、イメージがあやふやになって結局元々は何をしたい魔法だったのか分からなくなるからな。目的をきちんと定めることが大切だ』と、その時クロはそう締めくくった。


 今から放つのは、そんな兄からのアドバイスを元に、というただ一点のみを目的に作った、イロハ単独では初めてのオリジナル魔法である。


「『天津風よ、狡猾なる盗人を縫い留めよ――』」


 詠唱句はその一文のみ。風読みを全開にしながら、フクロウが襲い来るタイミングを見計らう。同時に身体の力を抜き、だらりと頭を前に倒す。完全に寝付いたと、見せかけるために。


 遂に反撃の可能性はないと判断したか、フクロウが急激に加速した。視神経を侵す毒を備えた脚の爪を、イロハの白い肌に突き立てようとする。


 しかしその攻撃が、イロハに届くことはなかった。


「――【翼奪の天針フォールン・ニードル】!!」


 再び目を開いたイロハの目前で、深緑と黒の斑模様をしたフクロウが、天空から超音速で降ってきた不可視の槍に貫かれた。地面に縫い留められたフクロウの瞳からは既に光が消えている。見事心臓に命中したようだった。


 イロハが作成した、対空魔法【翼奪の天針フォールン・ニードル】。指定した範囲内の、“地に足を着けていない存在”を自動追尾して撃墜する空気の針を落とす。


 視界外から、追尾能力を持つ飛び道具が凄まじい速度で襲って来るという、極めて回避が難しい一撃だった。屋外でしか使えないという制約はあるが、ほぼ問題はないレベルである。


「やった……やったわ!」


 イロハは大きく開いた目を輝かせながら風を操り、仕留めたフクロウを手元へと引き寄せた。宿敵を討った達成感と自力で食糧を獲ったという感動がイロハの胸を満たしていく。


 フクロウの死骸に素早く血抜き用の魔法処理(クロ考案)を施して傍らに置き、イロハは変わらず無防備に寝息を立てている兄を見下ろす。


「今夜はご馳走よ、にぃ様?ふふふふ」


 イロハは上機嫌に、眠るクロの顔に片手を添えて親指で頬を撫でる。小さな笑い声に連動するように、次第に指の動きは加速していく。


 兄はただ、微かな身じろぎをするだけだった。

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