1章:石人形の古代遺跡
魔人兄妹は森の中
「にぃ様。この木の実はどうかしら」
出力を絞りに絞った【
「“キハダマヒリンゴ”。果肉に強力な神経毒があり、丸1個分で成人男性の致死量に達する。なお大抵は一口齧った時点で口が痺れだして物が噛めなくなるため死亡事例は確認されていない」
「残念……」
肩を落としたイロハからキハダマヒリンゴを受け取り、それを内部の空間が拡張されている手術衣の外付けポケットにしまうクロ。その左手には紙束が握られていた。
「にぃ様、こっちの実はどうかしら」
「“マダラクサビガキ”。通称魔術師煽り。食べると魔力の回復機能を暴走させ、魔力過剰供給状態にする柿のような果物。放って置くと己の魔力で身を滅ぼすことになる」
「これもダメなのね……」
イロハは落胆しつつ、兄のポケットに白黒の斑模様の果実を入れる。
「にぃ様に聞いた時は耳を疑ったけれど……本当に毒物しかないのねこの森は……」
「故にこそ“死毒の樹海”なんて呼ばれているのだろうからな」
手にした紙束の文字列をなぞりながら、クロはそう言った。
追手を撒いた2人は、研究施設をぐるりと取り囲んでいる深い森の中を歩いていた。この森は生息する動植物のほぼ全てが何かしらの毒を持っているという特異な生態系が形成されており、帝国軍からは“
脱出から数時間が経過し、空は既に白み始めている。施設から距離を取るべく夜通し歩き続けた2人の疲労はピークに達していた。今は樹海の中の窪地で休憩しながら、イロハが食用になりそうなものをクロに見せ、クロはそれを施設から持ち出して来た“死毒の樹海に関するレポート”の数々と照合するという作業を繰り返していた。
2人にとって目下最大の問題は食糧の確保だった。常人より屈強な魔人の肉体は餓えには強いが、それでも栄養状態の良し悪しは身体パフォーマンスに影響する。いつ戦闘になるかわからない以上、コンディションは高く保っておきたかった。
実際、ここまでの間に2人は何度か2種類の生物による襲撃を受けていた。
1種類目は【シドクジュカイネコ】。普通の猫より一回り大きな体格の猫型の獣で、体長の半分程を占める長さの二股の尾の先端に付いた三日月型の刃が特長的だった。刃からは血液の凝固を阻害する毒液が分泌されており、これを周囲の木々を利用した三次元機動から3、4体の群れで一斉に叩き込みに来る。
この森では唯一の肉食獣であり、攻撃性も極めて高い危険な生物ではあったが、しかし空気の流れを読み取ることで攻撃の先読みができるイロハの前には得意の三次元機動も大した意味を為さず、割合あっさりと返り討ちにすることが出来ていた。
因みに肉は備えている毒の影響か劣化が非常に早い上に臭みも強いため、食用には向いていない。
そしてもう1種は【ヤモウトウゾクフクロウ】。翼長80センチ程のフクロウで、木々の合間を音もなく高速で飛び回って視神経に作用する毒を備えた脚の爪で奇襲を仕掛け、対象が視界を封じられて混乱している隙に持ち物を盗んで行く……という特異な生態をしている。
命の危険こそない(このフクロウにとってシドクジュカイネコは天敵であるらしく彼らとの戦闘中に乱入して来ることはない)ものの、前触れもなく突然視界と持ち物を奪われるという厄介以外の何物でもない性質から、この樹海へ薬品の材料を取りに来る研究者や調剤師からは蛇蝎の如く嫌われている存在だった。
兄妹も既に2度程このフクロウに襲撃されていた。1度目は逃亡を開始した直後、イロハがこのフクロウの存在を把握していなかったため見事に奇襲を許し、クロが広げていた地形図の一部を千切り取られた。2度目はシドクジュカイネコとの戦闘直後で気が緩んだタイミングを狙われ、クロが小休止しようと取り出した菓子を1欠片かっさらわれた。
という訳で、イロハは2度も自分たちを出し抜いてくれたこのフクロウに対して並々ならぬ闘争心を抱いていた。
そして、このフクロウはこの森においては極めて貴重な、“食用になる”生物であるということを知ったことにより、イロハは俄然
「あの忌々しいフクロウ、また飛んで来ないかな」
「来て欲しい時に来てくれないものだな……奴らもそれだけ慎重ということだろうが」
クロは外套の土を払いながら立ち上がると、周囲を見回してから聴覚強化の魔法を使った。施設を脱出した直後と比べると、魔力も随分と回復していた。
「……よし、近いな。休憩は大丈夫か?イロハ」
「うん」
イロハも周囲の空気の流れを読みながら立ち上がる。知らぬ間にシドクジュカイネコに囲まれていたというようなこともなかった。
「いつまでもフクロウの気まぐれを待っていても仕方ない。ようやく
その言葉に、事前にクロからその確実な食糧確保の手段の詳細を聞いていたイロハは唾を飲み込んだ。
「――さあ、樹海の主に会いに行こうか」
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