魔人妹のいない平原にて

「……」


 イロハが宿す魔晶の内部に広がる平原の一角、小川の畔に、鎧の風精は座っていた。先の大規模魔法による破壊の痕跡は既になく、草原は凪ぎ始めた風に揺られて波を作っている。魔晶の宿主が、眠りに就いたらしい。


 昨日は現実に戻る前に、伝授された技法が実際に使えるようになっているか確かめる、とイロハは息巻いていたため、今日はその報告をしにやって来るのではないかとジルヴァンは考えていた。


「…………何故、貴様がここにいる?」


 しかし、背後に現れた気配に向けてジルヴァンが発したのは、警戒を露にした問い掛けだった。


「あら、よく妹ちゃんじゃないってわかったわね」


「むしろ気付かぬとでも思ったのか、精霊崩しエレメンタルキラー


 鎮座するジルヴァンより10メートル程後方、フリルの付いたドレスを風に靡かせながら、“破綻”を謳う悪魔が妖しく微笑んでいた。


「うーん……私方々から好き勝手に色んな呼び名を付けられてるけど、それは心外だわ」


 シャルロテはやれやれと首を振りながら、しかし軽やかな足取りでジルヴァンの元へ近付いていく。


「確かに精霊は簡単にと思うけど、でもそれの何処が楽しいの?最終的には殺すのだとしても、それまでの抵抗をじっくり味わってからでないともったいないじゃない?」


「我に同意を求めるな……」


 シャルロテは忌々しげなジルヴァンの視線を意に介した様子もなく、彼と背中合わせに座り込む。


「それで、何でここにいるのか、だったかしら?別に大した理由じゃないわ。お兄さんの身体に居候してまーすって、妹ちゃんに挨拶しておこうかなと思っただけよ。ここへの移動自体は【夢渡り】の応用でなんとかなったのだし」


 シャルロテは悪魔の中でも、主に夢への干渉を得意とする“夢魔”と呼ばれるグループに属していた。【夢渡り】とは、夢魔が生来会得している能力であり、他者の夢に意識を飛ばして侵入するというものだった。それをシャルロテは魔晶間の移動に用いたのだと言う。


「でも肝心の妹ちゃんはいないのね?残念だわ……」


「我が宿主にとって毒にしかなり得ぬ貴様が来るとわかっていて、敢えて彼女を呼ぶ理由はあるまい」


「ひどぉい」


 肩越しに非難するような視線を送るシャルロテだが、ジルヴァンは身じろぎ1つしない。風との対話によって“凶兆、来る”というメッセージを受け取ったジルヴァンは良からぬ感覚を覚え、イロハが降りて来ないことを祈っていたのだった。果たして祈りが通じたのか、イロハは草原にやって来ることはなかった。


「あることないこと吹き込んで私色に染めちゃうのとか凄く楽しそうだったのになぁ……」


「貴様の度を越した享楽主義に我が宿主を巻き込むな」


 ジルヴァンはシャルロテと相対するのは2度目だが、それだけでも彼女の為人ひととなりは嫌という程理解させられていた。イロハと引き合わせてしまえばどうなるか分かったものではない。


「前向きに善処するわ」


 シャルロテはスカートを叩きながら再び立ち上がると、か細い両腕を天に向けて大きく身体を伸ばす。


「それにしても、殺風景な場所ねぇ。つまらなくならない?」


「そのように感じたことはなかったな」


 一面に緑の絨毯と青空だけがある景色を見渡して、シャルロテが嘆息する。ジルヴァンにとっては風と対話しているだけでいくらでも時間を潰せるような親しみ易い場所だが、破綻の悪魔にはあまりにも刺激と面白みに欠ける空間だった。


 余談だが、この平原が魔晶の内部だという自覚を持って以来、受信する風の便りに外界からの情報――つまりはイロハが体験した諸々の出来事の様子が交ざるようになり、ジルヴァンはより風と対話する時間を楽しめるようになっていた。


「これまで色んな魔晶の世界に渡ってみたけど、退屈さでは断トツよ、ここは。私だったら1時間と保たずに発狂しそう」


 魂だけの存在になってから、シャルロテは興味本位で、幾度となく施設に保管されていた他の魔晶への侵入を繰り返していた。やはりシャルロテ自身やジルヴァンがレアケースであっただけらしく、魔晶の元の持ち主の魂が残っている世界はなかった。


 しかしそれでも、生前の趣味嗜好や心の内が反映されているらしきその空間を探索するのは、シャルロテにとってはなかなかに愉快だった。


 多種多様な拷問器具が納められた倉庫に、血の臭いと味がする巨大なホールケーキで出来た城。全ての絵柄が“7”で統一されたスロットマシンが犇めき合うカジノなど、千差万別。


 そして、それらを薙ぎ倒し踏みにじり崩壊させた時もまた、未知なる快感を味わうことが出来た。


 だが、ジルヴァンの魔晶世界には何も無い。


 見て楽しいものも、壊して愉しいものも、何も。


「だから、さ――」


 風の唸りが支配する空間に、金属質な快音が木霊した。


 シャルロテの手に、いつの間にかその身の丈を越えようかと言う程の巨大な鎌が握られており、背後からジルヴァンの首元へ振り下ろされていた。


 そして、冷たい光を放つその刃先は、薄緑色の耀きを纏う片刃の剣――“刀”と呼ばれるその刀身によって防がれていた。


「何の真似か」


 座禅の姿勢を崩さぬまま、振り返りすらせず鎌を受け止めるジルヴァンが低い声を出す。対するシャルロテはクスクスと笑いながら、鎌を引きつつ飛び退いた。


「ちょっと付き合って欲しいな、って。あなただって、死んでから満足に戦えてなくて欲求不満でしょう?」


「…………ふむ」


 ジルヴァンは嘆息すると、重い腰を上げつつ振り返る。


「そうさな、我も魔物の端くれ。律することも不可能ではないとはいえ、叶うならば己が闘争心には素直でいたいものよ」


 具足に包まれた脚を前後に開き、ジルヴァンは肩の上に持って来た刀の切っ先をシャルロテに向ける。


「だが、よもや無事で済むとは思うまいな……?」


 鎧の風精が纏う空気が、変わる。見た目の変化こそないが、相対するシャルロテは、大規模な台風ハリケーンを前にしているような感覚を覚えていた。


「勿論。殺す気で来なさいな。この中なら魂が壊れても時間経過でどうせ元通りだしね」


 さらりととんでもないことを宣った破綻の悪魔に、ジルヴァンは一瞬眉をひそめた。どうやら、ことがあるらしい。


「でもほんと、魔王軍に来れば良かったのに……その闘気は野良にしておくには惜しいわよ?」


「生憎と、上に立つにも下に就くにも向かぬ性質たちでな」


 シャルロテは微笑を返すと、大鎌を軽々と高速回転させて振りかぶる。




 直後に魔物たちは全てを刈り尽くす暴風と化して、青々とした草原に無数の傷痕を刻んだ――

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