魔人兄妹、最深部へ
明くる日、兄妹は図書室にやって来ていた。遺跡脱出後に備え、外界でも役立ちそうな書物を見繕うためである。前回訪れた際はこの遺跡に関する書物を中心に読んでいたため、どうしても情報が偏ってしまっていたのだった。
「うーん……」
作業台に広げた本を前にして、イロハは眉間にしわを寄せながら唸り声を出していた。別段内容が難しい訳ではない。以前兄に共有してもらっていたおかげで、文字を読むこと自体に苦労することもない。
原因は、本以外の所に存在していた。
「なんだ、まだ気にしているのか?」
書架の森から戻って来たクロが、頭から煙でも吹いていそうな妹の様子に苦笑しながら、集めて来た本を作業台に積み上げる。こうして積まれた本の山は既に5つ目に突入していた。総数にすると、およそ60冊。この図書室の時が300年前で止まっていたことを考えると、未だに実用性のある本がこれだけ集まったのは僥倖と言えた。
「うん……どうして、あの草原に行けなかったのかなって」
昨晩、【風駆け】を筆頭にジルヴァンから伝授された技や魔法の数々を1人練習していたイロハは、その成果を報告しようとしていた。しかし、ジルヴァンの待つ魔晶の世界に行くことは出来ず、そのまま普通に朝を迎えてしまったのだった。
「さてな……そもそも確実に行くための方法や条件だってまだはっきりとしていないんだ。こんなこともあるだろうさ」
クロが指を鳴らすと、図書室のあちこちからイロハの姿をした小型
(それにしても……)
と、本の山を分類ごとに分けてポケットに納めながら、クロは思う。
自分たち魔人は、魔物を殺すために産み出された。にもかかわらず、“魔物とは殺すべき存在である”という根源的な刷り込みは為されていない。その分座学では耳にタコが出来る程魔物=殲滅対象であると教えられたが。
おそらくは、体内に魔晶が存在する魔人を魔物と誤認することによる同士討ちを避けるための措置だったのだろう、とクロは予想していた。施設内で殺し合いが発生してしまっては目も当てられないからだ。
しかしおかげで、自分たちは魔物と対話する余裕を得られた。その結果、魔物と心通わせ良好な関係を築けたイロハは誰も予想し得なかった成長を見せようとしている。
(今後が楽しみだ……本当に)
と、暖かい視線を向ける兄の前で、イロハが急に立ち上がった。
「そうね。会えなかったものはもう仕方ないわ。次の機会までにもっと強くなった私を見せてあげましょう」
「その意気だな。ただ、今日はちょっと個人鍛練は遠慮して欲しい」
「ええ、勿論。だって今日は――」
イロハが読んでいた物を含めて全ての本をクロのポケットに収納し、兄妹は揃って通路に出る。
「――いよいよ、降りてみるんだもの、ね?」
2人の視線の先にあるのは、何処まで続いているのかも知れぬ下りの螺旋階段。それが、にわかに存在感を増しているように見えた。
「ああ。当面の食糧は確保、装備も新調したし、必要なものもピックアップして持ち出した。最優先だった
この隠し通路へ至るための正規ルートと思しきこの階段については兄妹も気になっていたが、それよりも優先すべきことが多かったために探索が後回しになっていたのだった。
「それでは、出発するとしよう」
「はい、にぃ様!」
2人は意気揚々と、長い階段を下り始める。
「この先は、どういうわけか文献にも記載が見られなかった」
「何があるか、本当にわからないのね?」
イロハは風読みで先の様子を探っているが、今のところ『階段は迷宮7階層分程度』『その先には広大な空間がある』ということしか分かっていない。
「ああ、悪魔が出るか竜が出るか……という所だ。まあ、生活空間に直結している以上そこまで危険はないんじゃないかとは推測しているがな。誰だって危ないものの近くで寝泊まりしたくはあるまい」
「それもそうね」
その後しばらく、兄妹は無言のまま階段を降りていく。両側の壁には例の翼のようなレリーフが彫り込まれており、天井の魔力灯を反射してつるりとした光を放っていた。図書室の資料によれば、このレリーフはゴルディオール帝国の旧い国章であるらしかった。使われていた年代はやはりおよそ300年前であり、兄妹の前にここへ入った者の作だろうと推測された。
「あれ?」
最深部まで残り僅かという所で、イロハが立ち止まった。
「どうした?」
「微かだけど……この先に気流を感じるわ」
「それは朗報だ。実際に見てみるまでは何とも言えんが、もしかすると脱出路になり得る場所があるかもしれない」
もたらされた吉報に、兄妹は逸る気持ちに従って一気に階段を駆け降りていく。
そして、2人の視界が一気に開けた。
「――っ!」
遂に到達した最深部は、これまでの大回廊や迷宮とは大いに趣を異にする空間だった。
只でさえ巨大だったあの研究施設がまるごと収まってしまうかのような、地下水の侵食によるものと思われる天然の大空洞。壁と言わず天井と言わずそこかしこに青白い光を放つ鉱物が付き出しており、頭上の大魔力灯が無くとも明かりには困らなさそうな程だった。
兄妹がいるのはそんな大空洞の東端。壁から空洞の中央に向けて100メートル程突き出した巨大なテーブル状の台地の上だった。台地の先端が太く長大な石柱で天井と接続されており、兄妹はその中を通って降りて来た形だった。
その台地より30メートル程下方には北東方向に向けて流れる地下水の大河があり、立ち並ぶ石筍群を2つに分断するようにして、轟々と唸りを上げていた。
「…………これは、圧巻だな」
「…………わぁ」
一種の静謐ささえ感じられるひんやりとした空気を肌で味わいながら、兄妹は暫し、地底の絶景に目と心を奪われていた……。
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