2章:迷幻の孤島
魔人兄妹は漂着する
波の音。
風。
きめ細かな、砂の感触。
そして後頭部に感じる、優しい温もり。
「――っ……?」
開きかけたまぶたの隙間から入って来た光に目が眩み、クロは一度まばたきした。
その瞬間、ぼんやりしていた耳が本来の聴力を取り戻す。
「にぃ様!……良かったぁ」
声が聞こえた方に顔を傾け、クロはゆっくりと焦点を合わせていく。安堵したようなイロハの可愛らしい顔は、すぐに輪郭を取り戻した。
「イロハ……?……ぅくっ!?」
クロは起き上がろうと身体に力を込めたが、その途端全身にひきつるような痛みが走る。まともに動くのは難しそうだった。
「ダメよ、まだ安静にしていないと。私が視ても分かるくらい魔力の流れが乱れてるんだから……やっぱり恐ろしい果物ね、あれは」
魔人1号の暴走により崩壊を始めた地下大空洞から大河を利用して脱出するため、クロは魔力の過剰供給をさせる果物を摂取することで水中適応系魔法の持続時間をブーストするという荒業を行った。
何処かのタイミングで意識が途切れてしまったのか大河にダイブして以降のクロの記憶は曖昧だったが、兄妹は無事に陸地へと辿り着くことが出来ていた。
「飛び込んだ後のこと……覚えているか?」
「うん」
頷いて、イロハはクロの記憶を補完する。イロハは、クロは約2時間空気のドームを作る魔法や姿勢制御、岩礁回避などの魔法を行使し続けたが途中で力尽きてしまったため、魔法の維持を引き継いだこと。流れが緩やかになったタイミングで一度浮上して周辺の確認を行い、最も近場にあった浜に上がってクロを介抱していたことを語った。
「左腕には取り敢えず持続型の治癒魔法を掛けたし、果物の毒は完全に消したから、あとは魔力の流れさえ正常に戻れば……多分大丈夫だと思う」
「そうか……色々、ありがとう」
クロはいつものようにイロハの頭へ手を伸ばそうとしたが、腕が上がらなかった。流石の
「にぃ様は、このまま安静にしていて。何かあったら、私がにぃ様を守るから」
「ああ……頼りにしているよ……」
そう残して、クロはしばしの眠りについた。イロハは膝の上で寝息を立て始めた兄の頬を愛おしげに撫でながら、周囲を見回す。
風読みの結果、今いるこの場所は島の一角であるらしいことがわかっていた。半径3キロの探査範囲にすっぽり収まる程度の規模であり、踏破するのにそれほど時間はかからないと思われた。
島には中央に高台があり、その周辺を鬱蒼とした森が取り囲んでいる。大型の生物の気配はない。
ここまでなら、よくある無人島といった趣の島である。しかし、この島には、無視出来ない
そしてその最たる物が、今イロハの目の前に広がっている。
「これが、海……」
知識だけは持っていた、途方もなく大量の水を湛えた場所。数多の命を育む揺りかごにして、過去幾人もの冒険者が挑んだ、未知の宝庫。
イロハが行ってみたいと思っていた場所の1つだった。
(でも、海って、
その時、
「ひゃっ!」
不意の強い潮風に、イロハはぎゅっと目をつむって髪を押さえる。今まではクロが心配で風を味わう余裕さえ失っていたのだった。
(不思議な感触……)
改めて全身に感じた潮風は、肌に絡み付くような、まとわりついて離れないような、しかしそれでも不快感はないという、クセになる感覚だった。同時に運ばれて来る潮の香りが、イロハの鼻腔をスキップするように通り過ぎていく。
「ほぉ……っ……」
それを肺いっぱいに吸い込み、イロハは深く息を吐き出す。空の上で感じた、激しく冷たい風、草原を吹き抜ける、爽やかな風。今までに感じたそれらとは異なる、全身をしっとりと包み込むような潮風。
(何だか……にぃ様に抱きしめて貰っているような……)
次第にそんな錯覚が芽生えて来て、イロハは視線を落とす。膝上にある兄の寝顔は、これ以上ない程に無垢で無防備だった。
「……やっぱり、本物の方が良いわね」
兄の髪を優しく撫でながら、イロハはそう呟くのだった。
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