魔人兄妹とシスター
クロが両開きの木戸を閉じた途端、空気が一変したように感じられた。街の喧騒が一瞬で遠ざかり、兄妹を静寂が包み込む。そこは奥からいくつもの長椅子が2列に並ぶ礼拝堂だった。
教会というものへの知識は、兄妹も刷り込みによって持ち合わせていた。“人々が、神々に祈りを捧げる場所。また、その場所を提供、運用する組織”という風に、2人の脳には刻まれている。ただ、その組織に何の意味があるのかは分からなかった。少なくとも、神々などという形無き物に縋って何かを変えられるなどと2人には到底思えない。
だが、この“静謐”という言葉をこれ以上にないほど体現したこの空間は己を見つめ、思索に耽るにはもってこいの場所だろうとクロは考えた。
(祈りを捧げることはないにせよ、考えをまとめたい時には丁度良いかもしれないな)
すると2人の正面から、先に教会へ入っていた小柄なシルエットが声を掛けて来た。
「ようこそ。こちらは
「お招き感謝する。俺はクロ」
「えっと……イロハ」
深々と頭を下げる少女に、兄妹も名乗り返す。動きの1つ1つが美しさを感じさせるミラの所作は、これまで兄妹が出会って来た誰とも違っていた。おそらく“気品に溢れる”とはこういうことをいうのだろうと2人は考えた。
「クロ様に、イロハ様ですね。立ち話よりは、落ち着ける場所の方が良いでしょう。奥へご案内します」
「すまない」
ミラに促され、兄妹もその後に付いて敷かれた長絨毯の上を歩き出す。だが、
「ん……?」
何かの気配を感じたイロハがすぐに足を止め、後ろを振り返った。背後の空間には先程通って来た大きな木戸の他、両側の壁に扉がある位で動くものは特にない。一応空気の流れを読んではみたが、やはり何もいないようだった。
「イロハ、どうした?」
「あ、ううん、何でもない。……気のせいかな?」
首をひねりながら、イロハは兄の後を小走りで追いかけた。ミラは礼拝堂奥にある、祭壇の左側の壁の扉前で兄妹を待っていた。
通路に出た兄妹は、程なくしてこじんまりとした応接室に通された。ミラに促されてソファーに腰掛けた兄妹の前に、見覚えのある金色のお茶が注がれる。
「これって、苔茶……?」
「はい、マキトアナゴケの薬湯です。ここはマキト大司教様を祀る教会ですから」
お茶を注ぎ終え、ミラも兄妹の前に腰を下ろす。
「大司教様は大陸中を巡礼され、数多くの動植物に名前を定め、性質を見極められました。結果として様々な食材や素材が開拓され、その功績から死後に聖人と認定されました。この聖マキト教会は、旅に生きた大司教様を讃える為に設立された、旅人の為の教会です」
「旅人の教会……か」
その響きを聞いて、クロは一気に教会という組織への親近感が湧いて来た。
「そして我々の教義には『迷える旅人には手を差し伸べるべし』というものがありまして、教会の一部を旅人たちの仮の宿として貸し出しています。私は勇者様より、お二方への部屋の提供を依頼されました。既に一月分の部屋代も頂いています」
「なっ……」
クロは思わず言葉を失った。正規の宿泊施設ではないにせよ、一月分の部屋代ともなれば少なくない出費のはずだ。それを勇者は全額支払ってしまったという。
「お二方が褒章を辞退されたので、その代わりだそうです。『本来2人が貰うはずだった分で補填するから返済とか考えないように』とのことでした」
「……勇者って、いつもこんな感じなのか?余計なお世話かもしれないが、どこかで誰かに騙されやしないかと心配になる……」
「ご心配には及びません。人が少しでも悪意を持って接するのであれば、あの方はたちどころにそれを見破ってしまいますから。困っている人を見つけるのも得意なのでトラブルを抱えることも多いんですけど、だからこそ、皆勇者様を慕っているんです。そしてお二方は、そんなあの方を救って下さいました」
そうしてミラは、おもむろに立ち上がった。
「真に勝手ではありますが、全国民を代表してお礼を申し上げます。本当に、ありがとうございました」
「とんでもない、むしろ彼には俺たちの方こそ助けられた。そもそも俺たちが黒幕に挑みかかったのは単なる鬱憤晴らしと八つ当たりの為であって決して誉められた理由じゃない……」
「……その、差し支えなければ何があったのかをお聞きしても?」
「そう……だな……」
(おそらくシスターミラは信用出来る。“悪しき者を見抜く”らしい勇者が俺たちを任せると決めたくらいだし間違いない。むしろ、彼女とは情報を共有しておくべきだろう)
数瞬そう考えたクロが隣に座る妹に目配せすると、イロハはその目を見つめながら小さく頷いた。紛れもないゴーサインだった。
「わかった、話そう。あれは――」
そうして、クロは島での出来事を、可能な限り詳しく語り出すのだった。
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