魔人兄妹は離脱する
「バルファースよ。目的の物が何処にあるかも分からぬ内から悪戯に建物を破壊するのは如何なものか」
炎の巨人が、傍らの少年を横目でジロリと見ながら、威厳をたっぷり含んだ声でそう言った。威風堂々たる立ち姿と相まって、耐性のない人間なら思わずその場に跪いてしまいそうな凄みがあったが、しかし少年はどこ吹く風と言った様子であった。
「うっせーな。こんな無駄に広い虫けらの巣をしらみ潰しとかやってられっか。だいたい魔力だだ漏れなはずの魔晶のくせに魔力感知に引っ掛からねぇってのはどういうわけだ。そのせいで要らねぇ苦労をする羽目になってんだろうが」
少年は苛立ちを隠そうともせず、後頭部をガシガシと掻き回しながら
「それは我も気になってはいた。にわかには信じ難いが、我らさえ欺く程強力な隠蔽が施されていると見える」
「面倒なことをしてくれやがって……」
一方クロはそんな魔物たちの様子を見ながら、この場を切り抜ける方法を考えていた。
(ならばここは効いていない前提で動くべき……!)
早々にそう結論付けて、クロはとある魔法の詠唱句を口の中で唱えた。
そしてその判断が正しかったことが、直後に少年の言葉という形で示される。
「で、さっきから目の前でお粗末な認識阻害を展開してやがるコレはなんだ?ガワはニンゲンだがスゲー違和感が――」
言い終わらぬ内に、クロは魔力を解き放った。
「――【
「あァ?」
瞬間、魔物たちはどこからともなく湧き出した真っ黒な霧のようなモノに包み込まれた。照明も炎の巨人が放つ光さえも遮断する完全な闇に、魔物たちの視界が一瞬でゼロになる。
「姑息な真似を……」
炎の巨人はおもむろに右腕を動かし、顔のすぐ横で指を鳴らした。ただそれだけの動作で人間の大人くらいなら軽々と包み込む程の爆炎が発生し、一気に2体の周囲の霧を吹き飛ばす。一瞬にして視界が再びクリアになり、目の前にいた2人の人間の出鼻を挫くことが出来たはずだった。
しかし直後に発生した現象に、さしもの巨人も虚を突かれて眉をひそめることとなった。
「む?」
「ぐぁ!?」
爆炎によって吹き飛ばされた霧が突然強烈な閃光を放って廊下を埋め尽くしたのである。霧が晴れた後に備えて眼を凝らしていた少年は網膜に閃光が直撃し、平行感覚を狂わされて片膝を突く羽目になった。遠方では、不運にも巻き込まれてしまった被験体が数人昏倒している。
「煙幕と閃光の2段構えによる目眩ましとはまた面妖な……」
あくまでも平静を崩さず、炎の巨人はそうこぼす。目の前にいた黒衣の人間たちは逃亡を選択したらしく、既に姿はなかった。
「ちくしょう舐めた真似しやがって……つーかお前は平気なのか?」
少年も数秒で回復したのか、額の辺りを片手で押さえながら立ち上がった。
「無論。この身は炎熱の化身たる炎魔の頂点なれば、これしきの光なぞ通じはせぬ」
「そりゃ普段からそれだけ光ってりゃな……よしエルフリード、奴らを追うぞ」
両頬を叩いて喝を入れながら少年がそう言うと、巨人が怪訝な顔をする。
「待てバルファース。出し抜かれたことへの苛立ちはもっともだが本来の目的を忘れてはならぬ」
「ちげーよ。いや奴は後できっちりブッ飛ばすが……見つけたんだよ」
「む?」
巨人が腕組みをしたまま疑問符を浮かべると、少年は凄絶な笑みを浮かべた。
「目的のブツは――奴の中だ」
◼️◼️◼️◼️◼️◼️
「……撒けた?」
「わからない。今はとにかく距離を取らなければ」
魔物2体から逃げおおせたクロとイロハは、最大限に音を殺して2階の廊下を走っていた。
2人が3階から消えた方法は単純だ。目眩まし魔法が有効な内に足元の床を【
クロが使った魔法【
相手の行動次第では階下に降りる前に閃光に巻き込まれる可能性もあるリスキーな方法だったが、無事に成功した。
このまま2階廊下を進むことでも第3訓練場には行けるため、逃走プランを変更する必要はなかった。クロは後方を警戒しながら、先行する妹の華奢な背中を追う。
しかし、訓練場入り口まであと僅かというところで、イロハは再び急停止した。
「入り口前の十字路……北の方から人がいっぱい走って来る」
空気の流れを正確に把握しているらしく、イロハは走って来る者たちの人数は勿論一人一人が武装していることまで看破していた。
「11人……やって来る方向も合わせて考えると教官と直属の精鋭部隊か……つくづく間が悪い」
イロハの部屋で傍受した『儂も出る』という教官の言葉を思い出してクロは歯噛みした。このまま行けば間違いなく接触する。認識阻害があるとはいえ、肩が触れでもしたら一発でアウトである。大人数の合間を無事にすり抜けられるとは思えなかった。
「イロハ、この下の様子はどうだ?」
もう一度【
「……ダメ。魔物と戦闘になってたせいか人の数が多すぎる。
「そうだな……」
クロたちを認識出来ずとも、“床がくり貫かれる”という現象だけはしっかりと確認することが出来る。不審がられて看破魔法でも使われようものなら外套も意味を為さない。
クロは瞑目した。進めば精鋭部隊、戻れば将軍級の魔物2体。前から来るのは一応人間ではあるが、教官は帝国軍の元師団長という肩書きの持ち主であり、その精鋭部隊たちも戦闘のプロ集団である。兄妹から見た危険度で言えば後方の魔物たちと大差ない。
「仕方がない……か」
目を開けたクロは、不安そうに見上げてくるイロハに告げた。
「正直下策も下策だが――最終手段を使う」
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