魔人妹は対話する

 風精シルフィード


 気流で構成された身体(風の魔力の影響か青緑色に染まっていることが多い)を持ち、風を自在に操る魔物だった。施設での座学では、乱戦における撹乱能力の高さに注意せよと、イロハは教えられていた。


 そして、イロハとは切っても切れない縁のある魔物とも言える。何しろ、彼女が宿している魔晶は、元々強力な風精シルフィードの物であったのだから。


「ここは不思議な場所だ……いつものように風と会話しているはずが、まるで己と話しているかのような気分にさせられる」


「風と、会話?」


「左様。風とは世の果てから果てへ駆け巡る者。多くのことをっている」


 自分の使う【風読み】とは違うのだろう、とイロハは考えた。【風読み】は自身の触覚を拡張しているようなものなので、“会話”とは言い難い気がしたからだ。


「……そういえば、そなたの名を聞いていなかった」


「あ、えっと……イロハ」


「なんと……」


 聞いたジルヴァンは、初めてイロハに顔を向けた。怪物の面の奥で、青白い眼光が瞬く。


 ジルヴァンは噛み締めるように何度か「そうか……」と呟いたあと、


「始まりの響き、か……良き名を授かったのだな」


 と、声色を和らげて言った。


「にぃ様に、貰ったの」


「……そなたの兄君とは、旨い酒が飲めそうだ」


 ジルヴァンは再び、目線を彼方の空へ向ける。雲の塊が、カタツムリでも這うかのようにゆっくりと流れて行く。


「かの島国は良い……過度な華美さは無く、息づく人は実直にして誠実であり――老若男女の別なく、その全員がつわものである。死合う相手に困ることもない」


「……平和なのか殺伐としているのかよくわからないわ」


「基本的には平和な国だ。危害を加えたり食事の邪魔をしたりせぬ限りは、な」


 機会があれば1度訪ねてみるがよかろう、と締めくくって、ジルヴァンは再び口を閉ざした。


 自分の名前の由来となった言語を用い、兄が度々口にする国。更には今ジルヴァンの語りを聞いたことで、イロハは“島国”への興味を強めていた。無事に渡ることが出来れば追手を撒くことも出来るだろうし、悪くはない案だとも思えた。


(にぃ様に、話してみようかな)


 しかしまずは、この謎の平原から兄の元へ戻らなければ何も始まらない。


「この場所が何処か……分かる?」


 恐る恐るイロハが尋ねると、ジルヴァンは「むぅ……」と唸り声を出した。


「平原だけを見れば、島国のナヅノハラに酷似している。だが、かの地とは違いここには“霊峰ジフ”をはじめ周りを取り囲む山々がない。やはり全く別の場所であろう」


 ナヅノハラ平原の南には、万年雪の積もった一際目を引く高峰――霊峰ジフが聳え立っているのだという。


「既にかれこれ2週間ばかりここにいるが、この地が何処であるのか、我にも皆目見当がつかぬのだ……」


「どうやってここに来たか……とかは?」


「それも記憶がはっきりせぬ。盟友エルフリードに呼ばれて大陸に戻り、久方ぶりに杯を酌み交わしながら他愛ない話をしたのが思い出せる限界であるな。その後は島国への帰途についたはずだが……気が付くとここにいた」


 ジルヴァンは首を傾げながら告げた。


「私は、目が覚めたと思ったらここに。眠った場所におかしな仕掛けや罠はなかったはずだけど……」


 イロハは遺跡の一室で眠りについた時の状況を思い出す。罠の有無は部屋に入る前の時点でクロが精査していたはずだった。兄が何かを見落としていたとは、イロハにはとても思えなかった。


「そなたも……経緯はわからぬ……か」


 ジルヴァンはおもむろに天を仰ぎ見た。雲の群れが渦を巻き、天空へと吸い込まれて行く。


「そなた以外に、ここを訪れた者はおらぬ。いったい、如何なるえにしにて我らは巡り逢ったのであろうな……」


「……あ」


 それを聞いた時、イロハは背筋を電流が走り抜けたかのような心地がした。


 ある。


 縁となり得る物が。


「何か、心当たりがあるのか?」


 イロハが何かに感付いたと察したのか、ジルヴァンが青緑の双眸を向けた。


「ええ……でも、もしかしたら、あなたにとってはショックなことかもしれないんだけど……」


「構わぬさ。何もわからないまま、無為に時を過ごすよりは」


「じゃあ……」


 イロハは意を決して、自分の身の上を語り始めた。


 の魔晶が、自分の中にあることについても。


「…………成る程」


 聞き終えたジルヴァンは、静かに瞑目した。


「つまりそなたの宿す魔晶が、我のものである可能性がある、ということか」


「……ええ」


「ならば確かめるのは容易い。魔力を練り上げてみてはくれぬか」


 言われた通り、イロハは体内で魔力を励起させた。身体の周囲の空気が流動し、白い髪や手術衣を揺らめかせる。目を細めて、ジルヴァンはその様子を見つめていた。


「ふむ……どうやら、間違いなさそうだな。そなたの魔力それは、ほとんど我の魔力と同一と言って良いだろう」


「やっぱり……」


 イロハは心臓の辺りに手を添えた。目の前の風精シルフィードとの縁を示す魔力の塊が、熱を持っているかのように感じられた。


「となると、我が肉体は既に滅んでいるのであろう……強者と死合った末の死であると実感出来ないのが残念でならぬが……」


「でも、意識は保てているみたいだけど……」


「それは我が風精シルフィードだから……であろうな。元は命も何もない自然現象故、存在するにあたって肉体への依存は少ないのだ。とはいえ魔晶のみの状態であればいずれは魂ごと霧散してしまう運命にあったであろうがな……」


 ジルヴァンは自分の左胸を指しながら、


「そなたの内に取り込まれたことにより、魔晶の魔力は霧散することなく循環するようになり、自然消滅の危機からは逃れられた。最早、我とそなたは一心同体と言って良い」


 そしてこの場所は――と、ジルヴァンは視線を周囲へ巡らせながら更に言葉を続ける。


「おそらくは、魔晶の内部だろう。そうでなければ我が意識がこうして存在するはずもない。肉体を失った我が魂の寄る辺となっていた魔晶の中に、眠りについたそなたの意識が落ちて来た……と、いうことではあるまいか」


「じゃあ、私の身体が目を覚ませば……」


「うむ。そなたは問題なく現世うつしよに戻れるはずだ」


 それを聞いたイロハは安堵して一瞬表情を緩めたが、すぐにジルヴァンへ心配そうな眼差しを向けた。


「でも、あなたはまた1人になっちゃうんじゃ……」


「気にすることはない。元より孤独でいることの方が多い身だ。普段通りに戻るのみよ」


 その時、平原を吹き渡っていた強風が、唐突に止んだ。


「……どうやら、そろそろようだ」


「え?」


「この地の風の強さは2種類あってな。おおよそ一定の周期で『ぎ』と『荒び』の状態が切り替わる。今までは比較的弱めの『凪ぎ』の状態だったな」


 イロハは耳を疑った。先程まででも既に風速は10メートルはあった。これで“凪いだ”状態と言うのなら、“荒んだ”時はどれ程の暴風が吹き荒れることか。


「何、案ずるな。ここがどこか判明した今、この風の周期の正体についても大体想像がつく。おそらく、そなたが活動状態となって魔晶が活性化している場合に風が荒ぶのであろう」


 つまりは、イロハの身体が目覚める時が近づいている、ということだった。


「そうなったら、抗わずに身を任せよ。それでそなたは目覚められる。また逢う時を楽しみにしているぞ」


 怪物の面の奥で笑みを見せた様子のジルヴァンに、イロハは「私も」と応えようとして、


 草の海を薙ぎ倒しながら迫って来た轟風に、天空へと浚われて行った――

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