魔人兄妹とムササビ
第3階層に戻ると、クロは【温度識別】を使って壁面を走査した。
「――いた」
目標は割合早く発見することが出来た。イロハの【風読み】すら欺く程の擬態能力の持ち主だが、こうして体温を可視化してしまえば丸裸も同じである。
壁に張り付いている目標――ムササビの首を狙い、接近したクロはナイフを突き立てる。断末魔の声すらも無く、ムササビはあっさりと絶命した。
「やっぱり【風読み】では判別が出来ないわね……」
「こうしてじっくり観察すると本当に薄い体だな……生きていられるのが不思議なくらいだ」
壁から剥がしたムササビの尻尾の中程を掴んでぶら下げ、兄妹はその身をつぶさに観察した。体は布と見紛う程薄く、背中に生えた毛は繁茂したマキトアナゴケにそっくりな模様と色合いをしている。尻尾がやたらと長く、身体のおよそ3分の2を占めていた。
図録に記載されていた名は【シビレコケモドキ】。原産国はマキトアナゴケ同様アルジェンティリア聖皇国で、地衣類の多い森の中に生息する哺乳類だった。
尖った尾を地面に突き刺して、体内で生産した電気を帯びた特殊な体液を流し込み、そこへ踏み込んで麻痺した生物に取りついて血を啜るという特異な生態をしている。それを実現するため身体は地衣類の中に違和感無く溶け込める程薄くなり、ほとんどエネルギーを消費しないということもあって1ヶ月以上の絶食にも耐えられる。生息する地域の地衣類に合わせて背中のデザインも異なっていた。
また、哺乳類としては極めて珍しい卵生であり、“保育毛”という特殊な毛に抱えられた卵から孵化した幼体はそのまま母親の腹部に張り付いた状態で成長する。身体が薄すぎて胎児を胎内に抱えることが困難だからだろうと目されていた。
「それでこの不届き者をどうするの、にぃ様?食べるの?」
「残念ながらこいつに可食部位はない。ほとんど骨と皮と発電器官だけだからな」
クロが麻痺させられたことをまだ根に持っているのか少々言葉にトゲの残るイロハの問いに、クロは肩をすくめながら答えた。
「俺が欲しかったのはこいつの尻尾と体液だな。尻尾は見るからに非力そうなこいつでも石の床に穴を空けられる程の鋭さだし、体液はさっきの粘液程ではないが魔力伝導率に優れている。特に雷系統の魔力との親和性が高いらしい」
一応他の部位も何かに使えるかもしれないからと、クロはムササビの死骸に保存魔法を施すとポケットにしまった。
「攻撃的なアイテムが作れそうね」
「そうだな、出来れば後数本確保しておきたい。とはいえトカゲなどに比べると個体数が少ないだろうから、乱獲するのは控えたい所だ。生態系というものは、一度崩れると元に戻すのは難しい」
シビレコケモドキは外敵が少ない分繁殖力は高くないため、あまりに狩りすぎると個体数の回復がしにくくなる恐れがあった。
「だがこいつの習性を利用すれば、素材だけ頂くことができる」
そういうとクロはおもむろに、離れた壁の一点へ指先を向けた。衝撃波の塊が1発、一瞬間を開けて更に2発放たれる。
1発目の【
その瞬間、シビレコケモドキは全身を総毛立たせながら短い奇声を放つとその場で後方に宙返り。跳ね上がった鋭利な尻尾の先端部分が外れ、帯電した体液が付近に撒き散らされた。シビレコケモドキはそのまま壁に張り付くと、脱兎の如く通路の奥へ走って逃げて行った。
「自分で尻尾を……!?」
「よしよし、上手く驚かせることが出来たようだ」
クロは床の体液溜まりに気を付けながら、外れた尻尾を拾い上げた。
「身の危険を感じるとこうして体液を散布し、外敵が麻痺するか外れた尻尾に気を取られているかしている内に逃走を図るらしい」
「こんなことして……その後は大丈夫なのかしら」
「何でもこの尻尾の先端部分は、トラップに使う帯電液と、別種の体液とを混ぜ合わせて固めて作るらしくてな。外してしまっても少し時間が立てば元に戻るそうだ」
拾い上げた長さ30センチ程の尻尾を、クロはまじまじと見る。尻尾の表面にはカモフラージュのためかマキトアナゴケが絡み付けられており、それを取り除くと乳白色の尻尾本体が姿を現した。研ぎ澄まされた針のようなそれは、元が液体であったことを示すかのように、表面にうっすらとマーブル状の模様が入っている。
先端には直径1ミリ程の穴が開いており、そこから帯電液が滴り落ちていた。クロは急いで空き瓶を取り出し、尻尾をそこに差した。
「では、この調子で回収しながら帰るとするか」
「はい、にぃ様」
尻尾の先端で割れないよう注意しながら瓶をしまい、兄妹は隠し通路への帰途に就いた。
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