魔人兄と【いと昏き魔犬の森】

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 気が付くと、クロは見覚えのある森の中に立っていた。サイケデリックな色彩の空の下、毒々しい緑とくすんだ紅の華に彩られた、不気味極まりない森の中に。


「――!!」


 全身に悪寒が走り、クロは咄嗟にダーツを5本ずつ両手に構えた。周辺の薔薇の茂みが激しく揺さぶられ、直後に、背中から刺々しいイバラを幾本も生やした真っ黒な犬が10数体、全方向からクロ目掛けて襲いかかって来る。


「【明晰なるシャープ・】――」


「あ、だいじょぶだいじょぶ。外野には黙ってて貰うから」


 迎撃しようとしたクロの耳に、指を鳴らす音と、甘ったるい少女の声が届いた。その瞬間、クロを取り囲んでいた黒犬たちが停止する。時が止まったかのように、ある者は地を這うような姿勢で、ある者は何もない空中に磔にされる。


「いやぁごめんごめん。まさか本来の持ち主が死んでも侵入者に攻撃仕掛けて来るなんて思いもしなかったからさ……」


 背後からクロの耳元へそう声を掛けつつ、破綻の悪魔は身の丈程もある得物の大鎌を無造作に振り回して犬の首を刎ね飛ばしていく。散歩でもするかのような気軽さで、鼻歌が交じりそうなくらいの気楽さで、犬の骸が積み重なっていく。


「ここは……まさかフラウローズの魔晶の中なのか……?」


「ご名答」


 周囲を見回してもう刎ねるべき犬の首がないことを確認し、シャルロテはクロに向き直った。


「ではでは宿主クン。ひとまずは仮称迷幻の孤島、攻略おめでとう!賞品は約束通りシャルちゃんのになりまぁすぐぇ」


「ここにはお前が引きずり込んだのか……?」


 正面から抱き着こうとしてきたシャルロテのみぞおちへ軽い掌底を叩き込んで遠ざけながら、クロはそう問いを投げた。


 シャルロテはわざとらしく少し咳き込みながら、


「引きずり込んだとは人聞きの悪い……ちょっと中身に興味があったから宿主クン誘ってデートするのもいいかと思っただけ。面白いんだよー?他の魔物の魔晶世界は。残念ながらここはこうして訪問する前にネタバレを食らっちゃった訳だけど」


「ネタバレ……?」


「キミも妹ちゃんも苦労したでしょう?ええっと……【いと昏きブラックドッグ・魔犬の森フォレストヘル】って言ってたっけ。あの結界魔法だよ」


 黒幕の正体判明前は踏破困難な障害として、正体判明後は悪魔と眷族たちのハンティングフィールドとして機能していた、結界魔法【いと昏きブラックドッグ・魔犬の森フォレストヘル】。フラウローズの魔晶世界であるこの場所は、まさしくその結界魔法が張られていたあの島の環境そのものだった。シャルロテの言うネタバレとはそのことを指しているのだろうとクロは考えた。


「魔法の扱いに長けた魔物はね、自分の魔晶世界で現実を塗り潰す魔法――【魔晶結界】が使えるの。これはだいたい術者にとっての絶対有利空間だから気を付けた方がいいよー?使える魔将、結構いるし」


「……俺たちはつまり、その【魔晶結界】の中心に飛び込んで行ってしまったということか」


「まあ今回はそうする以外に宿主くんたちが助かる方法なかった訳だし、仕方ない仕方ない。私も相手の想定を間違えてたから、正直の【魔晶結界】で幸運だったと言うべきかな……」


 


 犬の群れにイバラ、棘、鋭利な根。あれだけの物量による波状攻撃を仕掛けることができるあの【魔晶結界】ですら、シャルロテにとってはと断じてしまえるレベルに過ぎないということに、クロは戦慄を覚えずにはいられなかった。


「想定を間違えていた、とは?」


「ああ……」


 それを訊かれたシャルロテは、バツが悪そうに毛先を弄り始める。


「えっとね……宿主くんたちと一緒にいたあのメ……メ……なんだっけ?私黒幕はあいつだと思ってたんだよね……」


 クロは意外に思った。メフィストフェレスは百魔将の中でもかなり見下されていたはずである。にもかかわらずシャルロテが黒幕だと勘違いしたということは、“シャルロテはメフィストフェレスのことを(あのような事件を起こせるだけの力があるという程度には)評価していた”ということに他ならないからだ。でなければ勘違いなど起こしようがない。


 しかし、そのことをシャルロテに伝えたクロが聞いたのは、


「いや、ぜんぜん?」


 という簡素な返答のみだった。


「メなんとかさんは実のところ魔王城で1回見かけたキリでさあ……その時に感じた魔力があの島に渦巻いてたっぽかったから黒幕の候補になったってだけ。評判とか人格とかの細かい部分は宿主くんたちとの会話で初めて知ったようなもんなのよ。だから多分、それまでは単純に欠片も興味がなかっただけだと思うよ?評価以前の問題ね」


 あんまりな解答に閉口するクロの内心を知ってか知らずか、シャルロテはクロの周りをゆっくり歩き回りながら最終評定を下した。


「一応そういう部分を含めた上で改めて評価するとしたら……まあ、人形劇はそこそこ面白かったけど順当に弱っちい奴!……っていう感じになるかしらね。多分黒幕として疑うことすらなかったと思う!」


「……そうか」


 クロはただただ、今ここにいない劇作家の悪魔を憐れんだ。

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