魔人兄妹は語らう
兄妹に貸し出された部屋は、応接室より奧から西側に伸びる『旅人の宿舎』と呼ばれる建物の2階、中庭側の中央にあった。中庭を挟んで向かいには『幼子の宿舎』という、礼拝堂の扉から真横に伸びた同じく2階建ての建物が見える。こちらは子どもたちが生活する建物のようだった。上空から見下ろすと、丁度教会部分と合わせて『コ』の字型に見えるような配置である。
「それでは、ごゆっくりおくつろぎ下さい」
「ああ、ありがとう」
「おやすみなさい、シスターミラ」
部屋に通された兄妹は、丁寧に整えられた2つのベッドを見るなり全身が倦怠感に支配されたように感じた。案内してくれたミラが扉を閉めるのを確認した2人は無言でそれぞれベッド端に近づくと、倒れ込むようにその身を横たえた。
柔らかい布の感触が全身を包み込む。
「なんか……急に…………疲れが」
「少々濃密に過ぎる1日だったからな……無理もあるまい」
島の昼夜が滅茶苦茶だった為に実際の時間帯は推定することしか出来ないものの、砂浜に埋もれていた聖剣を手にし、勇者を解放して黒幕フラウローズを打倒したのが明け方から午前中に掛けて。そこから勇者と共にメダリアに移動し、午後はギルドでの試験戦闘にサメ退治に通り魔の追跡と、息つく間もない程色々な出来事があった。魔人の身体能力もあって今までは表面化していなかったが、2人の身体に貯まりに貯まっていた疲労は、休める場所にたどり着いたことで一気に吹き出したようだった。
「にぃ様……そっちに行ってもいい?」
緩慢な動作で靴を脱ぎ、もぞもぞと布団に潜り込んでいたクロへ、同じく裸足になったイロハが声をかける。
「ああ……おいで」
クロが掛け布団を半分程開き、隣から移ったイロハがそこに収まる。施設を出てからはろくに寝具もなかったため、こうして2人でベッドに並ぶのは初めてだった。
イロハの背中に腕を回して引き寄せながらクロが言う。
「つかの間ではあるだろうが……それでも、確かな『自由』をこうして得られた。お前には感謝しかない」
「せっかく、
「目下の問題は、これからどうするか、だな。自由を得た代償……と言うべきか。何をすべきかを全て自分で定め、勿論その責任も負う必要がある」
「……何だか、難しいね」
「要は“何をしてもいいが、その結果に対して文句を言うな”ということだよ。ちなみにこのセリフを言った当人はその後に“文句を言う暇があったらどうすべきかを考えろ。何をしてもいいんだから”と続けている」
「誰の言葉?」
「何代か前の勇者様、らしい。風呂上がりに読んだ本に書いてあった」
「ふーん……」
しばしの沈黙が流れる。イロハはクロの胸に額を当てながら、その温もりを感じていた。聞こえて来る規則正しい心臓の鼓動が子守唄のようになって、徐々にまぶたが重くなる。
「自由になった後のこと……か…………考えてなかったわ」
「考える余裕もなかったからな……仕方ない」
「にぃ様は何かしたいこと、ある?」
「俺か?……実はシスターミラに料理を習おうかと思ってる」
“料理”という単語に、イロハはガバッと顔を上げた。
「ほんとに……!?」
「ちゃんとした料理の味を覚えてしまったからな……旅メシももっと美味しくしたいんだ」
クロの脳裏に浮かぶのは、ギルドで食べた香草焼きの味。同じミミズの肉でも自分で焼いたものとは格の違う美味しさであったことが衝撃的だったのだ。再現までは出来ずとも、可能な限りあの美味しさに近付きたいとクロは考えていた。何より――
「にぃ様の料理……楽しみ」
「その内期待に応えてやるさ」
“イロハが心待ちにしている”というその1点だけで、クロのやる気は天井知らずに高まって行った。
「……私は…………どうしようかな」
イロハは静かに瞑目した。思えば、“クロの役に立ちたい”という一心でこれまで行動しては来たものの、“自分のために何かしたい”という明確な目的を持ったことはなかったような気がしていた。
「焦ることはない。そもそも俺たちはまだ“普通の暮らし”というものをろくに知らないんだ。一通り街を見て回ってから考えても遅くはないだろう」
「それもそうね……」
再び、寝室に静寂が満ちる。にぎわっていた街も眠りに付き、今は何も聞こえて来ない。
「……あの人たちは、いつ私たちがもう帝国にいないって気付くかな」
ポツリと、イロハが不安を口にした。
「わからない。こちらから動向を探る手段もないしな……」
現状、帝国軍の捜索の手がどこまで伸びているのか、兄妹には知る術がなかった。流石の彼らでも勇者の虹による兄妹の国家間移動まで想定するのは不可能だろうが、それでも兄妹の手がかりが帝国内で見つからないということに気付くまでにそう長い時間はかからないと思われた。
「だから、タイムリミットは設けるつもりだ。長くても一月。この部屋を借りる期限が切れると同時に、俺たちはこの街を出る。せっかく良くしてくれたここの住民たちを巻き込むわけにはいかない」
「うん。私たちの事情で迷惑をかけちゃいけない……よね」
「むしろ……街を出る前に、何かしらの形で恩を返したいな……具体的には“悪魔退治”とか」
「あいつ――」
眠気に抗い、イロハは再び目を開いた。脳裏に浮かぶ、理不尽にも無辜の民に向けられた凶刃の重さ、そして周辺への被害など一切考慮しない無差別の魔法攻撃。あの騎士モドキの中身が悪魔だったかもしれないと思うと、イロハの胸の内に惜しいところで取り逃してしまった悔しさがこみ上げて来た。
「――今度会ったら、絶対に逃がさないわ」
決意を秘めたその呟きに呼応するように、クロはイロハの背に回した腕に力を込めた。
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