魔人兄妹のランチタイム

 警報魔法を設置し終え、2人は隠し通路の食堂へと戻って来た。テーブルに狩りたてのワーム肉を並べ、クロは調理用ナイフを手に思案する。


 尚このナイフはワーム狩りの際にキハダマヒリンゴの果汁を塗って使っていた物だが、クロは事前に対毒用のコーティング魔法を施していた。解除すると重ねて塗った毒ごと消し去ることが出来る便利な魔法であり、既に毒の影響は全く残っていない。


 ワーム肉は、サイコロ状になって尚クロの握り拳程のサイズがあった。


「ここはシンプルに、スライスしてステーキといこう」


 クロはおもむろにポケットからフライパンを取り出した。その上に素早く薄切りにしたワーム肉を並べ、下で小さな火球を動かし、全体に熱を通して行く。しばらくすると、香ばしい匂いが漂い始めた。


「ほぁ……」


 うっとりした表情になりつつあるイロハの前に、白い皿が置かれる。


「……よし焼き上がった!」


 間髪を入れずに、クロが皿に肉を並べていく。程よく焦げ目がついた赤身の肉からは、肉汁が続々と溢れて弾ける。


「こいつが良く出る鉱山街では香草焼きが名物らしいが……まあ無い物ねだりをしても仕方あるまい」


「にぃ様……食べてもいい?」


「ああ、遠慮はいらない――」


 お預けを食らった猫のように上目遣いをしてくるイロハに、クロはナイフとフォークを渡しながらゴーサインを出す。


「――存分にかぶりつけ」


「いただきます!」


 言うが早いか、イロハはナイフで肉を一口サイズに切り分け、口に運んだ。瞬間、淡白な味わいのフクロウ肉とは一線を画す、肉の旨味がイロハの口腔を満たす。


「~~~~~~~~~~~~~~!!」


 声にならない嬌声を上げながら、イロハは頬を押さえた。一噛みするごとに、肉汁に加えてまろやかな脂が溢れ出した。


 クロはその様子を満足気に見つめながら、次なる肉を焼き始めるのだった。




◼️◼️◼️◼️◼️◼️




「おいしかったぁ……」


 満たされたお腹をさすりながら、イロハが一息を吐いた。平らげたスライス肉の数は実に10枚に及んだ。


 そこでクロが、イロハの目の前にティーカップを置いた。中には湯気を立ち上らせる淡い黄金色の液体が注がれている。“甘苦い”とでも表現するべきか、とにかくイロハが嗅いだことのないような不思議な香りが漂って来た。


「にぃ様、これは?」


 自分のティーカップにポット(勿論両方とも施設からの盗品である)で同じ液体を注ぎ、クロはイロハにポットを開いて見せた。中には、迷宮の壁に繁茂していた、あのコケが入っていた。


「図録によると、あのコケは薬湯の材料になるみたいだったからな。試しに作ってみた。なんでも消化を助け、胃腸の調子を整える効能があるらしい」


 コケの名前は【マキトアナゴケ】。原産国はアルジェンティリア聖皇国で、植物学者としても名高いマキト大司教という人物によって発見されたことからその名が付けられている。消化器に効果のある薬湯の材料として、古くから広く親しまれている植物だった。


「そうだったのね……」


 イロハは何度か息を吹きかけた後、カップに口を付けた。1拍遅れてクロもそれに倣う。


「ん……んぅ?」


「これは……どうにも形容し難い……」


 薬湯を口に含み、兄妹は揃って首を傾げた。


 味の程は、まず苦味を感じた後、じんわりと甘味と香ばしい草の香りが染み出して来るような、一言では“不思議”としか言い表せないようなものだった。


「ただまあ、薬湯という物は得てして味は二の次だったりするものだろう。となればこれは当たりの部類ではないか?」


「慣れたら美味しくなって来たかも……」


 2人はもう一度薬湯を口にして、ふぅ、とリラックスしたように息を吐いた。


「さてこの後だが、迷宮の第4階層に下りたいと思う。食糧もそうだが、他にも回収したいものがあってな」


「4階層ってことは……ここのすぐ下だよね。何かあるの?」


「ああ。ただ、その前にちょっとを用意する必要があるんだが……」


「いけにえ?」


 急に聞こえた物騒な単語に、空になったカップを置いたイロハは目をぱちくりさせた。


「そう、具体的には例のトカゲだな。一匹麻痺させて下に持っていきたいんだ」


「死骸じゃダメなの?」


「あくまで生きた状態でないとダメらしい。ただ、声帯が麻痺するまでの間に叫ばれてしまったらアウトだからな……どうするべきか……」


 もし一瞬でも叫び声を許せば、周辺のトカゲが一斉に集まって来ることは間違いない。そうなっては回収どころの話では無くなってしまう。


「……あ。にぃ様」


 そこでイロハが、人差し指を立てながら小悪魔的な笑みを浮かべた。


「良いこと思い付いたんだけど――」




◼️◼️◼️◼️◼️◼️




 しばらくして、単独でいるトカゲを、兄妹は迷宮第3階層の下り階段前で発見した。壁面に張り付いて一心不乱にコガネムシを貪っており、兄妹に気付いている様子はない。


「それでは、頼んだ」


「任せて。『汝、孤独の静寂しじまに沈むべし』――」


 調理用ナイフを構えるクロの隣で、イロハは魔法を詠唱した。


「――【孤立無援の無音獄サイレンス・プリズン】」


 魔法が完成すると同時に、クロは麻痺毒付きのナイフを投擲した。ナイフはトカゲの右前脚の付け根に突き刺さり、すぐさま落下したトカゲの身体から自由を奪い始める。


 敵襲を悟ったトカゲは救援を呼ぼうと、まだ動く口を開いた。


「――――――――!?」


 しかし、そこから先が続かなかった。確かに声帯は震えているが、それが叫び声として外界に放たれない。そうこうしている内に、トカゲは指先一本動かすことが出来なくなった。


「先手を取れるなら……それで自由を奪ってしまえば良い……なんてね」


 胸を張って兄の口調を真似てから、イロハははにかんで見せた。


 イロハが使ったのは、一定の領域内における音による空気の振動を無効化する【無音域サイレンス・エリア】のアレンジ魔法。特に、『救援、増援を求めるような音』に大して効果が大きくなるように改良が加えられていた。


「しっかり覚えていたようだな。嬉しいぞ」


「えへへ」


 イロハの頭を撫でながら、クロは空いた手で、投げたナイフの持ち手に結ばれた細く白い糸を引いた。先程解体したオニイトハキの、糸袋と呼ぶべき器官から取り出したものだった。あれだけの巨体を支えることさえ可能ということで、見た目に反して強度はかなり高い。


 糸は抜けないように魔法で固定されたナイフごと、トカゲの身体を難なくクロの元まで引き寄せて見せた。


「生け贄回収っと。それでは、行こうか」


「はい!にぃ様」


 痙攣するトカゲをぶら下げながら、兄妹はまだ見ぬ階層へと下りて行った。

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