魔人妹は教会を訪ねる

 転移した先は、ミラの教会よりも一回り大きな教会だった。中庭があるであろう方向から、幼い子供たちが無邪気にはしゃぐ声が聞こえてくる。


 突然現れたオリヴィアとイロハに驚き、入り口の前を掃き掃除していた初老のシスターが目をぱちくりとさせていた。


「あらまあ……オリヴィアさん。こんにちは」


「こんにちは、シスターグラディス」


「初めまして……」


 おずおずと頭を下げるイロハに、シスターグラディスは柔和に微笑みかけた。


「こちらこそ初めまして。セントマキト教会第116支部、及び付属第1孤児院筆頭のグラディス・エドワイズです。オリヴィアさんの新しいお友達ね?石人形ゴーレム使いの方かしら?」


「あ、えっと、これは……」


 イロハが説明するよりも早くクロは石人形ゴーレムを操作し、彼女の肩から降りて見事なカーテシ-を披露した。


石人形ゴーレム越しに失礼。お初にお目にかかる。Dランクハンタークロ、ならびに妹のイロハ。共にシスターミラの教会で世話になっている。シスターミラの師の方であるとお見受けするが……?』


「いえいえそんな師だなんて仰々しいものじゃありませんよ。ただあの子の義母として最低限の導きをしたに過ぎませんわ?」


 そういえばミラもまた孤児の1人だったのだと、朝食を作る際に聞いていたことをクロは思い出した。彼女のエドワイズ姓はシスターグラディスから受け継いだものなのだろうということも容易に想像がつく。


「私たち、ミラからのお願いで来たんです。様子を見て来て欲しいって」


「そうだったのね……わざわざどうもありがとう。あの子も例の御触れのことで手一杯でしょうに、こちらまで気に掛けてくれたのね……」


 シスターグラディスに着いて来るよう促され、オリヴィアとイロハはそれに従う。教会を囲む柵に沿って歩く内に、だんだんと聞こえる子供たちの笑い声が大きくなっていった。


「こっちには……小さい子たちが多いのね?」


 中庭で遊び回る10数人の小さな子供たちの姿を見ながらイロハが言った。ミラの教会と比べると全体的に暮らしている子供たちの年齢層は低いらしい。


「ええ。第1孤児院には9歳までの子供たちがいます。10歳になったら、ミラのいる第2孤児院へ移動させるんですよ」


「子供たちは元気そうね。良かった良かった」


「不満が出ることは覚悟していましたが……外出禁止令については存外すんなりと受け入れて貰えましたね……子供たちも子供たちなりに、何かを感じ取っているのかもしれませんわ」


「他のシスターの皆さんは?何かしら負担が増えたりとか……」


「いえ……御触れの影響で負担が増えるというようなことはなかったわ……ただ」


 シスターグラディスの表情が曇る。


「昨夜別の問題が発生してね……それが懸念事項になっているの……今、第2騎士団に通報しに行って貰ってるんだけど」


「別の問題?それも騎士団に通報するレベルのって……」


「ええ……実はシスターマリーベルが……昨夜【竜熱の呪い】に侵された状態で帰って来てね……」


「【竜熱の呪い】!?そんな……!」


 シスターグラディスの言葉に驚きの色を隠せないといった様子のオリヴィア。その隣で、兄妹もまた困惑していた。


「【竜熱の呪い】って……アレよね?」


『ああ……虚竜ドラゴニットが使う呪いだな』


 兄妹は施設で受けていた座学の記憶を紐解いた。【竜熱の呪い】とは、『虚竜ドラゴニット』という精霊種の魔物が使う呪いであり、対象に猛烈な倦怠感と体温の過剰な上昇をもたらす。体温は際限なく上昇を続け、解呪出来ない場合約36時間前後で対象を死に至らしめるという恐ろしいものだった。


「解呪するのに所属のシスター全員で夜通しかかるくらい強度の高い呪いだったけど、命の危機は脱していますわ。ただ、シスターマリーベルは教会に帰り着いた時点で何故か自分に向けて睡眠魔法をかけてしまってね……呪いと共にその魔法も打ち消したはずなのだけど……あの子は未だ眠り続けているの」


「つまり何があったかは訊けず終いってことか……」


「ねぇ、にぃ様。にぃ様の【共感幻像トレース・ビジョン】って寝てる人にも使える?」


 そこまで話を聞いていたイロハが肩に乗る石人形ゴーレムに話し掛けるが、クロの反応は芳しくなかった。


『可能ではある、そういう風に作ったからな。だが流石に石人形ゴーレム越しでも正確に使えるかと言われると自信が持てん。俺が直接行くのが一番良いが……生憎と、今はここを離れられそうにないな……』


「そっか……にぃ様でも難しいのね……」


「呪いのせいで想像以上に消耗しちゃってたのかな……何にせよ、無理させる訳にはいかないよね。ありがとうございました、シスターグラディス。また後で来ますね」


 シスターグラディスが微笑み返す。


「ええ。シスターマリーベルが話せるようになったら、改めてお呼びするわ。ミラにも宜しくお願いね?」




◼️◼️◼️◼️◼️◼️




「――やっぱり引っ掛かるなあ……」


 シスターグラディスと別れ、次なる目的地である王立図書館がある東地区に向けて移動中、オリヴィアが呟いた。丁度昨日通り魔を取り逃がしてしまった橋に差し掛かろうというところだった。


 相変わらず運河の水は澄み、水面ではコウモリたちが小魚を狙って飛び交い、周囲の大人たちは談笑しながら通り過ぎて行く。脅威が街に潜んでいることなど、伝えたとして何人が信じるだろうか。


『シスターマリーベルのことか?』


「うん。聞いた情報から推察するに、“あの状況で自分に向けて睡眠魔法をかける”ことへのしっくり来る理由を見出だせないっていうか……」


 そのことは兄妹も疑問に思っていた。


「【竜熱の呪い】をかけられた……ってことは、シスターマリーベルは街中で虚竜ドラゴニットに襲われたってこと……だよね?もし私ならまず無事に教会へ戻れた時点でシスターグラディスたちに危険を知らせると思うわ?」


「そう!そこなんだよイロハちゃん」


 ビシッ、と音がしそうな勢いで人差し指を立てながらオリヴィアが言う。


「自分に睡眠魔法をかけるなんてのは、助けを求めることも危険を知らせることも放棄する選択に他ならないわけ。なのにそれをやったってことは……」


『それらを他者に伝えるよりも先に自らの口と行動を封じるべき切羽詰まった理由が、彼女にはあったということだな……自分が致死性の呪いにかかっていることは、シスターグラディスたちであれば口で伝えずとも見て分かるはずだと踏んで……』


「だとすると……まずいわね……もしかしたらシスターマリーベルがされたことは【竜熱の呪い】だけじゃないのかもしれない」


『ああ……俺もそう思う』


「私も。嫌な予感がするわ……」


 シスターマリーベルを襲った犯人は、使用者が虚竜ドラゴニットであると特定されてしまうリスクを冒してもなお【竜熱の呪い】を敢えて使用していた。効果が派手で分かりやすいそれを隠れ蓑にして他に本命の何かをシスターマリーベルの身体に仕込んでいる可能性は大いに考えられた。


 そしてシスターマリーベルは、その仕込まれた別の何かを抑え込む為に自ら眠りに落ちた……と考えるとつじつまが合うような気がした。


「記録を漁るのも急いだ方が良さそう。今回の件に絡んでそうな虚竜ドラゴニット……ちょっとだけ心当たりがあるんだよね」


「……なるほどなぁ?」


 そこへ、突如鈴を鳴らすような声が挟み込まれた。


 驚いたオリヴィアとイロハが声の方へ視線を向けると、いつの間にか橋の欄干に夜空のような髪色の少女が腰掛けていた。貴族の令嬢然とした白いフリルドレスを身に付け、整った顔にニヤニヤとした笑みを貼り付けている。


「どうやらそっちも……だいぶ厄介なことになってるらしい」

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