魔人兄は呼び覚ます

◼️◼️◼️◼️◼️◼️




 一方、


 攻撃すると見せかけてフラウローズを出し抜いたクロは、なだらかな斜面をひた走っていた。イロハは信じられないくらい気流が乱れていると言っていたが、高台の風は不気味な程穏やかに凪いでいた。前方は奇妙な色に明滅する霧が立ち込めていて視界が悪い。


 その上――


(やはり、歓迎はされてないみたいだな!)


 足元に魔力の揺らぎを感じたクロが身を捻った瞬間、直前まで身体があった位置を貫くように太い木の根が地中から飛び出した。イロハが足止めしてくれているためか悪魔本人や犬の群れこそ追っては来ないものの、その代わり坂道全体に自動防御魔法らしきものが展開されており、クロの歩みを阻むように木の根やイバラの鞭が間断無く襲い来る。


 クロは速度強化と入れ換え転移リプレイス・ダーツで対応するが、転移に使用したダーツがもれなくイバラの壁や根の群れに阻まれて回収困難となり、その数が徐々に減っていく。元々生産数は20本、そして今はその過半数がイロハの元だ。おいそれとは使えない。


 しかし進むごとに障害の密度は増して行き、転移に頼らざるを得ない状況もまた増えていく……。


「【銀我転針リプレイス・ダーツ】……そろそろ限界か」


 気付けば残るダーツは1本。しかし終端もまた近いのか、坂の傾斜が徐々に緩やかとなり、前方の霧の奥にそびえる巨大な影が徐々に鮮明となっていく。森を抜けた直後にイロハが“樹”のようなものがある、と言っていたが、クロはここに来てようやく、その正体を知ることが出来た。


 様々な色のブロックを積み上げたような、一見すると樹木のように見えるオブジェ――すなわち浜辺に並んでいた、木の役割ロールを強制的に押し付けられてしまった人間の成れの果てと同一の存在だった。しかしそのサイズ感は比べるべくもなく、正に“大樹”と呼ぶに相応しい威容を誇っている。


「……あいつに、会いたかったのか?」


 クロはチラリと手元に目をやった。物体Xは相変わらず何も言わない。ただただクロを急かすように、その意識を軽く大樹の方へ引っ張るだけだ。


 しかし、道を阻む防御機構は遂に極限の激しさに達した。前方の地面からおびただしい数のイバラが伸び上がって何重もの壁を作り上げ、瞬く間にクロの視界から大樹を覆い隠す。


「ッ!!」


 壁が形成される前に転移用のダーツを投げることが叶わず、クロは停止を余儀なくされた。そんな彼を取り囲むように、側面や背後からもイバラの群れが競り上がる。


 やむなく、クロは唯一妨害の及んでいない上空へとダーツを飛ばし、位置を入れ替えた。しかしその時にはもう、大樹の姿は完全に巨大なイバラの壁の向こうへと消えてしまっている。地上も鋭い根とイバラの海に呑まれ、最早安全な着地もままならない。クロは魔法で落下速度を遅らせはしたものの、このままではいずれ飲み込まれてしまうだけだ。


 だが、


(諦めるな……まだ、やれることはあるはずだ)


 戦闘開始直後にかけた【小さき勇者に、ライジング・希望あれホープ】の効果もあり、クロが絶望することはない。思考が止まることもない。僅かな活路を現状より導くため、その紅の瞳が躍動する。


 可能性がありそうなのは――


を、あの壁に向けて放つ)


 クロは目の前を遮る、分厚い暗緑の壁を睨む。本来この隠し球とはフラウローズ本人に叩き込むはずだった代物だが、この状況で出し惜しみをしていられる余裕はもうない。隠し球を隠し球たらしめている要素に割く分の魔力を、全て単純な威力へと変換すればあの壁を貫くことも可能だろう、とクロは判断した。


 しかしここで、クロが手に持つ砂塊から思念らしきものが伝わって来た。今までのような意識誘導ではなく、物体Xの意志が明確に言語化されて、クロの脳内に木霊する。


 曰く“あの複雑怪奇なる魔法を以て、我を投じよ”と。


 複雑怪奇なる魔法、とは【明晰なる飛空刃シャープ・シューター】のことで間違いない。だがこの魔法は条件を満たす物――すなわち純魔銀ピュアミスリル以上の魔力伝導率を持つアイテムに対してしか十全に効果を発揮しない。物体Xが途轍もない魔力を内包していることはクロも理解しているが、それと伝導率とはまた別の話だ。もし適応しなかった場合、出力に難のある自分があの壁を貫けるとはクロには思えなかった。


 しかしその思考を読んだかのように、物体Xは続けて思念を送って来た。“受諾してくれるのなら、我も協力は惜しまぬ”と。


 そして、協力……?とクロが疑問符を思い浮かべる間も無く、物体Xから膨大な魔力が発せられ、クロの身体を包み込んだ。


「これは……!」


 物体から自分に施された魔力強化がどれほど強力なものか、普段支援魔法を掛ける側にいるクロには良く分かった。単体の強化倍率でも軽く【小さき勇者に、ライジング・希望あれホープ】の倍に達する上、今はそれとの相乗効果で更なる領域にまで至っていた。これならば、例え物体が【明晰なる飛空刃シャープ・シューター】に適応しなかったとしても、力業で壁を破ることができる――!


「――いいだろう。その申し出を受け入れる……『汝、明晰なる空の狩人――』」


 意を決し、クロは物体Xを強く握りしめて詠唱を開始する。しかしそれは、本式の【明晰なる飛空刃シャープ・シューター】を発動する際に使うものではない。物体からの魔力ブーストにものを言わせ、クロは更なる威力を求めて詠唱句を改変していた。懸念された魔力伝導率もダーツと同等かそれ以上のものがあり、想定される魔法の威力がクロにも想像がつかない域にまで高まっていく……。


「『自由なるその翼、今こそ汝が渇望の彼方へ送り届けん――』」


 クロの身体を取り巻いていた魔力が、物体Xを握る右手に収束された。その手を振りかぶり、クロは真っ直ぐにイバラの壁を睨む。


「『虹の彗星よ、本懐を遂げよ』――」


 それは、一度限りの、奇跡の光。




「【渇望の刃、コメットドライブ・彗星の如くシャープ・シューター】!!!!」




 刹那、周囲を極彩色の輝きが満たした。偽りの天より注ぐ、色の濁流より尚鮮烈に、まやかしの海が湛える、白濁より尚清廉に。振り下ろしたクロの手より放たれた彗星は、毒々しい暗緑の城壁を紙屑のように叩き崩し吹き散らして、あやまたず再び姿を現した大樹の幹へと突き刺さった。


 が、しかし、直後に大樹の根元から生えた無数のイバラが幾重にも巻き付き、再び大樹を暗緑の奥に封じ込めてしまう。そしてクロもまた、落下速度の制御に回していた魔力さえ使ってしまったことで地表を覆うイバラの濁流に呑まれかけていた。


「失敗……したのか……?くっ!!」


 四方より襲い来るイバラを牙のナイフと【雷霆の天幕スパーク・カーテン】でなんとかしのぎながら、クロは祈るような思いで大樹に視線を送っていた。


 その時、イバラの柱の彼方から微かな光が漏れ、次の瞬間には大樹を巻き込んでいたイバラが、爆発的な勢いで拡散した虹色の波動にまとめて消し飛ばされた。文字通りの色の洪水が高台全域を席巻し、クロに襲い掛かっていたイバラの濁流も片端から駆逐されて行く。


 色の爆心に大樹の姿は既に無く、代わりに存在していたのは1人の人間だった。黒衣をはためかせながら、ゆっくりと降下して来る。


 大陸では珍しい、丁寧に撫で付けられた黒い髪と意志の強そうな黒い瞳を持つその青年は、おもむろに周囲を飛び回っていた物体Xを掴み取った。その表面を頑なに覆っていた砂が遂に地上へと流れ落ち、奥に秘されていた真の姿が晒される。


 それは極彩色の巨大な宝玉が埋め込まれた、黄金色の。青年が念じるとその先端から七色の光が溢れ、瞬く間に高質化して刃を成した。


「ありがとう。あなたが、俺を元に戻してくれたんだな」


 不意に掛けられた声に、知らず知らず座り込んでいたクロはハッ、と顔を上げた。気付けば、青年が目の前にやって来て手を差し伸べている。


「……あんたは?」


「ああ、まだ名乗って無かったな」


 青年はクロを引っ張り起こして、己の名を明かす。


「俺は一色いっしき……じゃ、無かった。ユウジだ。ユウジ・ブレイブス・モノクローム。……あるいは――」


 ギラリと輝きを放つ剣を肩に担ぎ、青年は続けた。




「――【】の方が、通りはいいかもな?」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る