魔人妹は挫けない
勇者。
“人類存亡の危機”という限定的な状況下でのみ行使可能な、ブロンザルト王国に伝わる秘技により召喚される、聖剣の担い手である。選定基準は魂の強さと聖剣との相性であり、その双方を満たす者であれば性別や年齢、種族、生死すら問わず、果ては住む世界の違う者さえも対象となる。
その力は正に一騎当千。クロも施設にいた頃、今代の勇者とそのパーティーが、魔王の軍勢をブロンザルト国内より叩き出したという話は聞いていた。
(知らず知らずの内にとんでもない代物を運んでいたものだ……)
膨大な魔力、自己隠蔽に防御結界、幻を祓う虹色の波動――これまで物体Xが見せていた不可解な機能の数々も、正体が聖剣ともなれば全てに納得がいく。メフィストフェレスを拒絶していたのは、おそらくは魔王――すなわち聖剣にとって不倶戴天の敵たる人類の脅威そのものに強い縁のある魔物であったためだろうとクロは推測した。
(それだと、シャルロテの魔晶を持つ俺も拒絶されそうなものだが、外側が人間だったから見逃されたのかもしれないな。まあ、いずれにせよ誰かに勇者の元まで運んでもらう必要があった聖剣には選り好みしている余裕など無かったのだろう)
「事情は【
「力を……貸してくれるのか……?」
「ああ」
「俺にも、あの魔物と戦う理由がある。今も捕らえられている人たち……彼らは、みんな俺が住んでいる街の住人なんだ。むしろ、俺の方こそあなたたちの力を借りたい」
その時、かつてのメフィストフェレスの証言が、クロの胸に去来した。作家の悪魔が劇場魔法の舞台に選んだ場所が、ブロンザルト王国の王都メダリア――すなわち、勇者のホームタウンだったのだということを。
(だんだん、黒幕である悪魔の目的が見えて来た。メフィストフェレスの劇場魔法を利用した、勇者の誘拐と監禁……この島の構造も、勇者を樹木の状態で閉じ込めておくためのものだったということだな)
「そういうことなら、願ってもない。噂に聞く勇者の実力、大いに当てにさせて貰うぞ」
クロがおもむろに指を鳴らす。すると、周囲からイロハ型ゴーレムたちが集まって来て、クロのポケットに白銀のダーツを次々と投入して土に還って行った。勇者がイバラを消し去った所で、ここに来るまでに使ったダーツの回収に向かわせていたのだ。
「俺はクロ。妹の方はイロハという。基本的には俺がサポーターでイロハがアタッカーだ。詳しい情報共有は移動しながらするが、一先ずあんたには前衛を頼みたい」
「オーケー。任された」
頷き合い、2人は急ぎ坂道を駆け降りて行った。
◼️◼️◼️◼️◼️◼️
「はあっ………………はぁ……」
白刃が
イロハが兄の背中を見送ってから、早10分。もう、幾度刃を振るったかわからない。一瞬も動きを止めず、兄を追撃せんと押し寄せる黒犬の群れを片端から塵に還して行く。
「……何故」
指揮棒のように薔薇の杖を操り、犬軍団をけしかけ続けるフラウローズは、これだけの物量を持ってしても一向に押し潰れる気配のないイロハに苛立ちを通り越して戦慄を覚え始めていた。
所詮多勢に無勢と思っていた。姿が見えずともいずれ限界は訪れる、隙さえ作れれば数匹の集団を高台への道にねじ込むことも出来るだろう、と思っていた。
だが蓋を開けて見ればこのザマだ。目の前の意志持つ暴風は、黒犬をただの1匹も通しはしなかった。
「何故折れぬのです……何故挫けぬのです。いい加減我が軍勢が無尽であるということには気付いているでしょうに」
「……そうね」
ゾンッと、短い返答に合わせ、イロハの前にいた犬が扇状にまとめて消滅した。生まれた空白地帯はしかし、後続の犬たちが一瞬で埋め直す。端から見れば、完全な徒労。荒くなっていた呼吸が更に荒くなり、酷使し続けた脚と肺が悲鳴と軋みを上げる。
だが、イロハは止まらない。
「あの高台はトラップ地帯です。あの男が戻ることはありません。私はただ確実を期して、追撃を送ろうとしているに過ぎないのですよ。つまりあなたの行動は完全な無駄なのです」
「嘘ね」
フラウローズの言葉を一蹴し、イロハは更に広範囲の黒犬を薙ぎ払った。彼女も無傷ではない。犬を通さないために、自らの身体も顧みず迎撃に出たこともあった。かわし切れなかった犬の爪牙や背中から生えたツルによって出来た切り傷から、剣を振るう度に赤い液体が滲み出す。
だがそれも、イロハが止まる理由にはならない。
「もし……そのトラップとやらでにぃ様を阻めると本当に思っているなら……あなたは、あんなに必死にならなかったはずだもの」
イロハは覚えている。クロが坂道に突入するや否やフラウローズの顔からあからさまに余裕が失われたことを。嘲笑が消え去り、口調が崩れて分かりやすい罵声が飛んで来たことを。あれは間違いなく、本気の焦りだった。
逆上の代わりに、横合いから黒犬の強烈なタックルが飛んで来た。勢いを殺し切れず、イロハは吹き飛ばされて地面を転がる。すかさず坂道を駆け上がろうとした犬たちへ、イロハは体勢を整えながらダーツの群れを飛ばした。ダーツが纏っていた風の刃が爆発的に膨張して犬の群れを叩き返す。
「私が折れない理由なんて単純だわ……」
血が混じった唾を横合いに吐き捨て、イロハは口許を拭う。隙有りとばかりに襲って来た黒犬のグループを返り討ちにし、彼女はすぐさま坂道の前に舞い戻った。
「にぃ様の背中を守るって決めたからよ。例え無限の軍勢が相手だろうと関係ない。にぃ様が目的を果たすまで、あなたは私が押し留める!!」
啖呵と共に放たれた【荒風】による猛烈な
クロの邪魔をする者は許さないと誓った。兄もそれに応えて背中を任せてくれた。その信頼を、裏切ることは出来ない。
だからイロハは屈しない。崩れない。例え腕から力が抜けようと、脚が地や空を捉えられなくなろうと、両の瞳から核熱の輝きが消えぬ限り、自分の後ろへは、1匹たりとも通しはしない――!!
「……ッ!……ならば己の無謀を悔いて呑み込まれよ!小娘!!」
熱線にも似た眼光へ、フラウローズは犬の軍勢を返した。最高速に達した生産スピードに物を言わせ、津波の如くイロハ目掛けて殺到する黒犬の大群。イロハはそれを裂帛の咆哮と共に【
「――【
その瞬間、背後から飛んで来た光の奔流が、黒犬の津波を極彩色に染め上げた。
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